作り置きしておいたつまみを手にリビングに戻ると、ソファーから達哉の姿が消えていた。

 寝室のドアの隙間から、灯りが少し漏れている。ビールを一缶飲み干して、ようやく着替える気になったのかもしれない。

 寝室を覗くと、クローゼットのドアを開けて佇む達哉の姿が見えた。

「達哉?」

 名前を呼ぶと、達哉はこちらに振り返った。

「香奈、これって」

「あ……」

 達哉が手にしていたのは、母の形見となってしまった私の浴衣だった。

 母が亡くなる間際、この浴衣を着て、恋人のフリをした達哉を連れ母に会いに行ったことがあるから、記憶に残っているんだろう。

 この浴衣に袖を通す気になったのは、母が亡くなって以来初めてのことだった。

「私も着ようかなって思ったんだけど……」

 言いかけて、口を噤む。美雨の名を出せば、達哉がまた気を悪くしてしまうかもしれないと思った。

「……着ないの?」

「え?」

 もう六月燈には行かないから、今更浴衣に着替える理由なんてないのに。

 達哉にどう言おうかと悩んでいると、クローゼットの衣紋掛けから浴衣を外し、達哉が近づいて来た。

「着てよ、浴衣。そして一緒に六月燈に行こう」

「でも……今から?」

 時計の針は、もうすぐ午後八時を指そうとしている。お祭りももう終盤のはずだ。

 しかし達哉は、そんなことには構う様子もなく私に浴衣を押し付けた。

「今から着替えても、花火の時間には間に合うでしょ。美雨がいないなら、二人でデートしよう」

 照れ屋の達哉が、こんなことを言い出すなんて。

「……わかった。着替えてくるわ」

 私が言うと、達哉はようやく笑顔を見せた。どうやら機嫌は完全に直ったみたい。