「またそれ?」
 上村が嬉々として取り出したのは、いつものグレープフルーツ。
上村から一つ受け取って、以前住んでたマンションよりも小さめのキッチンに立ち、食べやすいようにカットした。もはやグレープフルーツ専用と化しているガラスの器に入れ、上村に差し出す。
「いただきまーす」
 こういうことになって、上村にしては珍しく浮かれてるみたいだ。緩んだ口元を戻そうともしない上村に、思い切って例の疑問をぶつけてみることにした。
「上村、あのさ」
「何、香奈も食べたいの?」
 上村はフォークに刺したグレープフルーツを私の目の前に突き出した。
「何、これは」
「だって、食べたいんじゃないの?」
 にやけた顔で私を見る上村に、ようやくからかわれているんだと気付く。
「もう、ふざけないでくれる?」
 何これ、私は一生こうやって上村に弄られ続けなきゃいけないんだろうか。私は憮然として、横を向いた。
「そう拗ねないでよ先輩。俺に何か聞きたいことがあったんじゃないの?」
 いつの間にか勝手に呼び捨てにしていたくせに、こういう時にだけ『先輩』って呼ぶなんて。上村も今までにないこの雰囲気が、どこかこそばゆいのかもしれない。
「上村さ、葉酸サプリって知ってる?」
「なんすか、ソレ」
「妊娠初期に積極的に摂った方がいいんだって。今日産婦人科で渡されたの」
 上村が座るソファーのすぐ横に置きっぱなしだった紙袋を手に取り、中からプラスチックのケースに入ったサプリメントを取り出した。
「へえ、はじめて見た。こんなのまで飲まなきゃいけないなんて、妊婦さんって大変なんだね」
そう言って上村は熱心にサプリのケースの商品説明を読んでいる。
「それでさ、その葉酸ってグレープフルーツにも含まれてるみたいなんだけど……上村知らないよね?」
「それは知らなかったけど」
 そう言って上村は首を捻る。
やっぱり、私の深読みだったのだ。そんなつもりで上村がグレープフルーツを持ってきていたわけがない。
「でもさ、実は一つすげー印象に残ってることがある」
「何?」
 上村は手に持っていたサプリのケースを、空になったグレープフルーツの器の隣に置いた。
「昔、祥子さんが一人目を妊娠した時、つわりがかなりひどくてさ。唯一食べられたのがグレープフルーツだったんだよね。水飲んだだけでも戻してたのに、『私が食べなきゃ赤ちゃんが』って必死になって食べててさ。母親ってすげーんだなあって思った記憶がある」
「そうなんだ。祥子さん、そんなにつわりひどかったんだ……」
「だからなんとなく、そういうイメージはあったかも。グレープフルーツ イコール妊娠、みたいな」
「えっ?」
 上村の耳たぶがほんのり赤くなってるように見えるのは、私の気のせいだろうか。
「本当はずっと、香奈に子供ができればいいのにって思ってた。そうなれば、何があろうと香奈は俺といることを選ぶはずって……」
「……どうしてそう思ったの?」
「香奈、前に言ってたじゃん。鳴沢さんから身を引いたときのこと」
 確かにあのとき私は、『生まれてくる子供には罪はない。だから私の方が身を引いた』と上村に言った。