会社帰りのバス停で、到着したバスを見上げてため息を吐き出した。まるで朝の通勤ラッシュのような人の多さだ。
バスの中は暖房が効きすぎていて、ウールのストールを巻きつけた首筋に汗が滲む。それでもいつもは平気なのに、私は珍しく人に酔った。
ひどくめまいがして、家の近くのバス停にたどり着くまで目を瞑り、私は必死でつり革を握り締めていた。
 きっとずっと眠れていないから、そのせいだろう。今日くらいはぐっすり眠れたらいいのに。
 母のことをきちんと受け入れられたら、私は眠りを思い出せるのだろうか。
一人の家に帰ると、あの月夜の母の姿が脳裏に蘇っていつまでも消えない。
母が近くにいないことが、ずっと不思議でならなかった。
 ――でもその時は、突然訪れた。

 とにかくずっと靄がかかったような頭をすっきりさせたくて、私は食事もそこそこにシャワーを浴びた。
濡れた髪を乾かそうと、洗面台の前に立つ。覗き込んだ鏡の中の自分に、私は初めて母の面影を見た。
「ずっと似てないって言われたのに……」
 私はおそらく父親似なのだろう。母と一緒に居ても、これまで似ていると言われたことがなかった。それなのに……。
 鏡の中の自分に手を伸ばしてみる。
キリと上がった眉、すっと通った鼻筋、痩せた頬、薄い唇。
いつの間にかこんなにも、私は母に似てきていた。
「本当に、居なくなったんだなあ……」
 今頃、母の不在を実感して、一粒、二粒と涙が零れる。
「……とうとう一人になっちゃった」
 そう呟いて、もう一度鏡を覗きこんだとき、それは突然舞い降りて来た。
「かあ……さん?」
 呼びかけても、答えてくれるわけじゃないのに。気づけば母を呼んでいた。
 ……もしかしたら、これは母からの最後の贈り物なのかもしれない。それは徐々に、確信へと変わっていく。
「うっ……、母さん!」
私は、その場に膝をつき泣き崩れた。
『涙はもう出ない』そう思っていたのに。涙は枯れることなく私の中から溢れてくる。
 泣いて泣いて、時間も場所も何もかもが曖昧になるほど泣き続けて、真冬の空が白み始める頃、ようやく私は眠りに落ちた。
 それは久しぶりに訪れた、安らかな眠りだった。