グレープフルーツを食べなさい

「ひどいな、先輩。……俺からは逃げるなんて」
 私の抵抗に逆上したのか、上村は押さえつける手の力をさらに強めた。
「やっ、上村やめ……」
 ――拒否の言葉は、上村の唇が飲み込んでしまった。
舌を絡め取られ、息を継ぐことができない。足をバタつかせても、上村はやめてくれない。
酸素を求めて無意識に逸らす唇も、またすぐに上村が塞いでしまう。
両手の圧が解かれても、朦朧とした意識では、もう彼を押しのけることもできなかった。
 上村の手がスカートからブラウスを引きずり出し、下着ごと上にたくし上げる。
肌に触れる唇の感触に、ふいに意識が呼び戻された。
 ――何が上村を、苦しめてるの?
 力の抜けた手で上村の頭を抱き寄せ、くせのある髪をそっと指で梳いた。
「何が……あったの?」
 私の体から離れ、顔を上げた上村と目が合う。その表情は、苦しげに歪んでいた。
「上村……?」
 問いかけても、答えない。
微かに震える肩に、伏せた睫に、物言わぬ唇に、閉じ込めていた愛しさが込み上げた。
 ――それで、あなたが楽になるのなら……。
 上村の頬に手を伸ばし、今度は私から口付けた。
両手で頬を包み込み、額に、目蓋に、そっとキスを落とす。
唇を離すと、驚いた表情の上村と目が合った。
「外は、雪よ」
 私の言葉に、上村は怪訝そうに眉をひそめる。
「何も、聞こえないでしょう?」
今夜は、通りを行く車の音も、真夜中に響く足音も、どれも聞こえない。
降り積もる雪は全てをその中に閉じ込めてしまう。
私は笑みを零し、もう一度彼の頬に手を伸ばした。
「朝になれば、きっと世界は真っ白に変わってる」
 大丈夫、私がずっと側にいるからとあなたに言えたならいいのに。
……でもそれは私の役割じゃない。
今夜だけでも、あなたが私を求めてくれるなら。
 今度は、どちらともなく唇を合わせた。
上村の大きな手のひらを探し当て、自分から指を絡める。
このまま、繋いだ手が離れなければいいのに。
 どうか、後悔をしないで。
求めたのは私の方だと、覚えておいて。
あなたに触れることができるのは、きっとこれが最後。
そう思えば思うほど、体は熱を帯びていく。
互いの熱が溶け合い、混ざり合い境界が曖昧になっていく。
体は、こんなにも簡単なのに、たぶん私たちの心は永遠に交わらない。
 謝らないでいて欲しかったのに。
『香奈……ごめん』
眠りに落ちる瞬間、上村の声を聞いた気がした。