「ありがとうございました」
「本当にここでいいの? 部屋まで送るのに」
 心配そうに私を覗きこむ岩井田さんに首を振った。
「大丈夫ですよ。岩井田さんこそ運転気をつけてくださいね」
 夕方降り始めた雪は、うっすらと積もりはじめていた。
「ありがとう、気をつけるよ。……それじゃあ、また明日会社で」
 マンションのエントランスの前に立ち、岩井田さんの車が見えなくなるまで手を振った。紺色のコートに散らばった雪をはらいマンションに入る。私の身体から落ちた雪も降り積もる雪と混ざって、どれがそうだったのかわからなくなった。
 このまま一晩中、雪が降り続いたら。
明日の朝、私が見る世界は色を変えているだろうか。
 
 自分の部屋のドアの前に立ち鍵を差し込んで、おかしいことに気がついた。
鍵が開いている。……部屋に誰かいる?
 細く開けたドアの隙間から中を覗くと、見覚えのある男性用の革靴が目に入った。
そんな、まさか。でもあれは……
 息を呑み、音を立てないようにして玄関の中に入り、明かりの消えた廊下を歩く。
リビングと廊下を隔てるガラスのドア越しに、ソファに座る上村の姿が見えた。
「……上村、どうしてここにいるの?」
 上村は私の方を振り返ると、おもむろに立ち上がった。
彼の大きな背中を間接照明の明かりが照らす。私を見下ろす上村の顔はちょうど影になり、どんな表情をしているのかわからない。
なぜ私の部屋に上村がいるのか。そのわけを知りたくて、私は彼に近づいた。
「上村、何かあったの?」
 一歩、二歩と距離を詰めて、ようやく見えた上村の表情に息を呑んだ。
「おかえり、先輩」
 伸びてきた手が、私の腕を掴む。力の強さに顔を歪めた。
「痛いよ、離して」
「……岩井田さんと、今までどこに行ってたの?」
「は?」
 私が岩井田さんと一緒だったことを、どうして上村が知っているのだろう。岩井田さんの車から降りたところをベランダから見てたんだろうか?
「ドライブは楽しかった?」
「なっ……」
 言い返す間もなかった。
そのままソファに打ちつけられ、上村に体を押さえ込まれた。
覆いかぶさってきた上村に両手を頭上で押さえつけられ、身動きが取れない。
 首筋を這うぬるい感触に驚いて、逃れるように体を引いた。