「母さん、調子はどう?」
「ああ香奈、いらっしゃい」
母は珍しく、体を起こして私を待っていた。
開け放たれたカーテンの向こうに、まだ夏の気配を僅かに残す青空が広がっている。太陽の光を反射させて煌く波間が眩しくて、私は目を細めた。
「眩しくない? カーテン閉めようか」
差し込む光が眩しいのか、最近はずっと昼間も母の病室のカーテンは閉められていた。それが今日は、どうしたのだろう。
「いいの。なんだか今日は、外の景色を眺めていたくて」
母は視線を窓の外へ向け、そう答えた。その表情はとても穏やかで、まるで凪いだ海のようだ。
母は窓の外の景色に一体何を見ているのか。聞きたくない答えが返ってきそうで、私はただ黙って母を見つめていた。
「香奈はどうなの、最近」
「どうって……何が?」
「そうねえ、仕事とか色々」
「相変らず忙しいよ。でももうちょっとで山は越えそうかな」
「上村さんも忙しいの? 色々お話したいこともあったんだけど、当分は無理かしらねえ」
母は今でも私と上村のことを、結婚を約束した仲だと思っている。
「うーん、忙しいんじゃないかなあ」
「香奈ったら、そんな他人事みたいな言い方して。なあに、上村さんとケンカでもしたの?」
「ケンカなんて、私たちはしないよ」
恋人同士のケンカなら、仲直りすることができる。
だけど私たちは、元々ケンカをするような仲でもなかったのだ。
母に上村とのことを全部洗いざらいぶちまけてしまえたら。母はきっとまた私を優しく抱きしめてくれるだろう。
でもきっと、私が楽になった分、母が心を重くする。母は私を一人残していくことを悔やんでしまうだろう。
母を支えて、その苦しみを和らげてあげたいのに、母の前では私の心はいつまでたっても子供の頃のままだ。
今だって母の胸に縋りつき、思う様泣きたいと思ってる。不甲斐ない自分に嫌気が差す。
「母さん、ずっと起きたままで平気?」
もうずいぶん長い間、母はベッドヘッドにもたれて窓の外を眺めている。
「そうね、ちょっと疲れたかな」
ベッドに横になるのを手伝おうと、母の小さな背中に手を添えた。すっかり痩せてしまった母の背中に触れると、言いようのない悲しさが込み上げる。
たまらず私は、薄く骨の浮き出た母の背中をそっと抱きしめた。
「なあに突然」
「ん……、昔はよくこうしてたなあって」
フッと母が微笑んだ気配がした。
「香奈は意地っ張りだから、こうやって私の背中で泣いて絶対に泣き顔を見せなかったわよね」
「そうだったかな。そんなこと、もう覚えてないわ」
ずっと気を張って生きてきた私は、泣くことなんてずっと忘れていた。
――そう、上村に会うまでは。
私の心を弱くするのは、母と上村だけだ。
「香奈の好きなようにしていいのよ。心の赴くままに生きなさい。それが私の望み」
そう言うと、母はまるで電池が切れたようにすっと眠りに落ちた。
安らかな母の寝顔を見つめながら、私はその言葉を噛みしめていた。
「ああ香奈、いらっしゃい」
母は珍しく、体を起こして私を待っていた。
開け放たれたカーテンの向こうに、まだ夏の気配を僅かに残す青空が広がっている。太陽の光を反射させて煌く波間が眩しくて、私は目を細めた。
「眩しくない? カーテン閉めようか」
差し込む光が眩しいのか、最近はずっと昼間も母の病室のカーテンは閉められていた。それが今日は、どうしたのだろう。
「いいの。なんだか今日は、外の景色を眺めていたくて」
母は視線を窓の外へ向け、そう答えた。その表情はとても穏やかで、まるで凪いだ海のようだ。
母は窓の外の景色に一体何を見ているのか。聞きたくない答えが返ってきそうで、私はただ黙って母を見つめていた。
「香奈はどうなの、最近」
「どうって……何が?」
「そうねえ、仕事とか色々」
「相変らず忙しいよ。でももうちょっとで山は越えそうかな」
「上村さんも忙しいの? 色々お話したいこともあったんだけど、当分は無理かしらねえ」
母は今でも私と上村のことを、結婚を約束した仲だと思っている。
「うーん、忙しいんじゃないかなあ」
「香奈ったら、そんな他人事みたいな言い方して。なあに、上村さんとケンカでもしたの?」
「ケンカなんて、私たちはしないよ」
恋人同士のケンカなら、仲直りすることができる。
だけど私たちは、元々ケンカをするような仲でもなかったのだ。
母に上村とのことを全部洗いざらいぶちまけてしまえたら。母はきっとまた私を優しく抱きしめてくれるだろう。
でもきっと、私が楽になった分、母が心を重くする。母は私を一人残していくことを悔やんでしまうだろう。
母を支えて、その苦しみを和らげてあげたいのに、母の前では私の心はいつまでたっても子供の頃のままだ。
今だって母の胸に縋りつき、思う様泣きたいと思ってる。不甲斐ない自分に嫌気が差す。
「母さん、ずっと起きたままで平気?」
もうずいぶん長い間、母はベッドヘッドにもたれて窓の外を眺めている。
「そうね、ちょっと疲れたかな」
ベッドに横になるのを手伝おうと、母の小さな背中に手を添えた。すっかり痩せてしまった母の背中に触れると、言いようのない悲しさが込み上げる。
たまらず私は、薄く骨の浮き出た母の背中をそっと抱きしめた。
「なあに突然」
「ん……、昔はよくこうしてたなあって」
フッと母が微笑んだ気配がした。
「香奈は意地っ張りだから、こうやって私の背中で泣いて絶対に泣き顔を見せなかったわよね」
「そうだったかな。そんなこと、もう覚えてないわ」
ずっと気を張って生きてきた私は、泣くことなんてずっと忘れていた。
――そう、上村に会うまでは。
私の心を弱くするのは、母と上村だけだ。
「香奈の好きなようにしていいのよ。心の赴くままに生きなさい。それが私の望み」
そう言うと、母はまるで電池が切れたようにすっと眠りに落ちた。
安らかな母の寝顔を見つめながら、私はその言葉を噛みしめていた。