【大正ニ年、九月二日
キョウト左京区ニテ、新撰組ト名乗ル三人組ノ怪盗現ル。自ラヲ、土方・沖田・近藤ト名乗ッテイタ。
オ國ヲアゲテ捜索スルモ、犯人ノ行方ハ、ヨウトシテ掴メテハイナイ。】
新聞に大きく載っているのは少しだけ変わった事件だった。
他には【職業婦人】や【教育】といった、大正に入ってから國が力を注いでいる事柄が記されている。
「──三人組の怪盗、か」
声の主は新聞の見開きを黙視で確認しながら、最後には音もなく閉じた。
新聞を丸い机の上に置き、長い睫毛をふっと動かす。すると現れたのは、両目ともに違う色の瞳だった。
左は宵月をそのまま写し取った黄檗色で、右は空の青さを置いた天色である朝と夜。対照的な時間帯の色を備えた瞳だった。
年の頃は二十歳前後。
銀の髪は腰まで伸び、糸のごとき細さを持つ。
雪を被せたとさえ思えるほどの白き肌は、銀の髪をさらに引き立てていた。
服は黒い上衣で、髪の色が栄えるほどに対照的だ。
人形めいた見目は妖艶。
男とも女とも見てとれる美しさ、ともすれば、妖怪か何かの類いか……そんな顔立ちの者が目元を緩ませた。
「ふふ。彼らはどんな楽園を持っているのだろうか?」
薄氷の笑みをし、垂れる髪を耳にかける。
机の上に置いてある花柄の果実盃を口に付け、艶やかな吐息を溢した。
「それはそうとお客人。私の入れた紅茶はお口に召しませんでしたか?」
声に艶を乗せ、ともに机を囲っている者に声をかけた。
「え? ああ、まあ……飲んだ事のない飲み物だけど、なかなか旨いよ」
突然話を振られたのは、銀の髪の者の向かい側に座っている男だ。彼は紅茶という飲み物に縁がなくてねと苦笑いしている。
「そうですか。それは良かったです」
銀の髪の者は真向かいにいる人物を監視する視線を送った。
そこにいるのは……
白の絹帽を被り、黒い蝶襟飾と背広に身を包む男である。
革製の靴には太極図が描かれていた。
少し骨ばった両頬と細身の体型であったが、これと言った特徴のある顔立ちではない。
けれどその姿は、今の時代を生きる中年の男性そのものである。
「……はは。君のような美しい人と茶を楽しめる日が来るとはね。えっと、君の名前……」
銀の髪の者は、男の興味本意な視線に苦笑いした。
「ああ。これは失礼をしました。私の名は【イヴァリィ・ザクス・パヲラ・イリス】と申します」
「え? ええ、と……い……」
「私の名前は、この國の方からすれば発音しにくいようでしてね……。この國では【十六夜】という名で通しております」
「はは。確かに発音難しいな……それにしても、ここはどういう場所なんだい?」
男に場所のことを尋ねられると、十六夜は妖しく微笑した。
「ここは、私と妹の花園……温室とも呼ばれています」
十六夜が言葉を放てば、男の目の色が変わっていくのが見てとれた。
男の興味がこの場所に移ったのを機に、十六夜は彼に気づかれぬように目で追っていく。
西洋の建物が多く並ぶ都会。その都には鉄郡の建物ばかりがあった。それと同じ西洋の建物ではあるが、ここは透明な硝子だけで作られている。
どの窓が開くのか。それすらも調べるのが困難なほどに巨大な硝子張りの温室だった。
四方を見渡しても、あるのは様々な大きさの植物ばかり。中心には星霧を重ねた大樹があり、どこから入ってきたかもわからぬ蝶々が飛んでいた。
硝子でできた壁から見える空は雨を知らぬほどに青く、太陽が燦々と照りつけている。
「これほど大きな植物園は見た事がない。……ん?」
ふと、男は何かに気づいたのか、立ち上がって植物の前まで進む。
男が何かに興味を持ったことを確認した十六夜は、悪戯が成功した子供の笑みをした。
「……これは、蕾?」
男の視界に入ったそれは赤い蕾で、温室のいたる所に生えている。
「ええ。それは黒薔薇です」
十六夜は彼の側まで寄ると、蕾に手を伸ばした。
蕾は柔らかく、表面はさらさらとしている。鼻を近づければ薔薇特有の落ち着いた匂いがし、短く笑った。
「この黒薔薇は少しだけ変わっておりまして……ある条件を満たした時にだけ黒くなり、満開になるんです」
「え? それはどういった……」
「ふふ。それよりも私とお話の続きをしませんか? ここに訪れたのなら、あなたはその資格があるという事になりますから」
象牙の塔としか思えぬこの場所で、十六夜は意味深な発言をして相手の関心を自分へと向けさせた。
男が、十六夜から発せられる妖艶な美笑に少しだけ身を退いている。
十六夜は男の足元に目を置いた。男の顔は笑っていても足はそっぽを向いてしまっている。逃げようとする心理的な行動の基本だなと、十六夜は心中でほくそ笑んだ。
「そう警戒する必要はありませんよ? 言ったでしょう? あなたはお客なのだと」
得得な眼差しを持って冴えない男を追い詰めていく。
男が距離取りを再開させれば、彼は机の前まで進んだ。紅茶の入った果実盃を左手に持ち、右手を机の上に乗せる。男へと向き直り、一人で乾杯をしてみせた。
左右の色が違う瞳で男を見据える。そして豊麗な仕草で誘惑を始めた。
昼と夜。相反する瞳の色が男を捉える。
男は彼の者の妖美にあだを覚え、ゴクリと唾を飲んだ。
「この花園に訪れたあなたこそが答えであり、楽園の餌となる。なぜならそれは……」
気炎を吐くどころか、常に一定の口調で語る。
「あなたが怪盗新撰組の一人なのだから──」
キョウト左京区ニテ、新撰組ト名乗ル三人組ノ怪盗現ル。自ラヲ、土方・沖田・近藤ト名乗ッテイタ。
オ國ヲアゲテ捜索スルモ、犯人ノ行方ハ、ヨウトシテ掴メテハイナイ。】
新聞に大きく載っているのは少しだけ変わった事件だった。
他には【職業婦人】や【教育】といった、大正に入ってから國が力を注いでいる事柄が記されている。
「──三人組の怪盗、か」
声の主は新聞の見開きを黙視で確認しながら、最後には音もなく閉じた。
新聞を丸い机の上に置き、長い睫毛をふっと動かす。すると現れたのは、両目ともに違う色の瞳だった。
左は宵月をそのまま写し取った黄檗色で、右は空の青さを置いた天色である朝と夜。対照的な時間帯の色を備えた瞳だった。
年の頃は二十歳前後。
銀の髪は腰まで伸び、糸のごとき細さを持つ。
雪を被せたとさえ思えるほどの白き肌は、銀の髪をさらに引き立てていた。
服は黒い上衣で、髪の色が栄えるほどに対照的だ。
人形めいた見目は妖艶。
男とも女とも見てとれる美しさ、ともすれば、妖怪か何かの類いか……そんな顔立ちの者が目元を緩ませた。
「ふふ。彼らはどんな楽園を持っているのだろうか?」
薄氷の笑みをし、垂れる髪を耳にかける。
机の上に置いてある花柄の果実盃を口に付け、艶やかな吐息を溢した。
「それはそうとお客人。私の入れた紅茶はお口に召しませんでしたか?」
声に艶を乗せ、ともに机を囲っている者に声をかけた。
「え? ああ、まあ……飲んだ事のない飲み物だけど、なかなか旨いよ」
突然話を振られたのは、銀の髪の者の向かい側に座っている男だ。彼は紅茶という飲み物に縁がなくてねと苦笑いしている。
「そうですか。それは良かったです」
銀の髪の者は真向かいにいる人物を監視する視線を送った。
そこにいるのは……
白の絹帽を被り、黒い蝶襟飾と背広に身を包む男である。
革製の靴には太極図が描かれていた。
少し骨ばった両頬と細身の体型であったが、これと言った特徴のある顔立ちではない。
けれどその姿は、今の時代を生きる中年の男性そのものである。
「……はは。君のような美しい人と茶を楽しめる日が来るとはね。えっと、君の名前……」
銀の髪の者は、男の興味本意な視線に苦笑いした。
「ああ。これは失礼をしました。私の名は【イヴァリィ・ザクス・パヲラ・イリス】と申します」
「え? ええ、と……い……」
「私の名前は、この國の方からすれば発音しにくいようでしてね……。この國では【十六夜】という名で通しております」
「はは。確かに発音難しいな……それにしても、ここはどういう場所なんだい?」
男に場所のことを尋ねられると、十六夜は妖しく微笑した。
「ここは、私と妹の花園……温室とも呼ばれています」
十六夜が言葉を放てば、男の目の色が変わっていくのが見てとれた。
男の興味がこの場所に移ったのを機に、十六夜は彼に気づかれぬように目で追っていく。
西洋の建物が多く並ぶ都会。その都には鉄郡の建物ばかりがあった。それと同じ西洋の建物ではあるが、ここは透明な硝子だけで作られている。
どの窓が開くのか。それすらも調べるのが困難なほどに巨大な硝子張りの温室だった。
四方を見渡しても、あるのは様々な大きさの植物ばかり。中心には星霧を重ねた大樹があり、どこから入ってきたかもわからぬ蝶々が飛んでいた。
硝子でできた壁から見える空は雨を知らぬほどに青く、太陽が燦々と照りつけている。
「これほど大きな植物園は見た事がない。……ん?」
ふと、男は何かに気づいたのか、立ち上がって植物の前まで進む。
男が何かに興味を持ったことを確認した十六夜は、悪戯が成功した子供の笑みをした。
「……これは、蕾?」
男の視界に入ったそれは赤い蕾で、温室のいたる所に生えている。
「ええ。それは黒薔薇です」
十六夜は彼の側まで寄ると、蕾に手を伸ばした。
蕾は柔らかく、表面はさらさらとしている。鼻を近づければ薔薇特有の落ち着いた匂いがし、短く笑った。
「この黒薔薇は少しだけ変わっておりまして……ある条件を満たした時にだけ黒くなり、満開になるんです」
「え? それはどういった……」
「ふふ。それよりも私とお話の続きをしませんか? ここに訪れたのなら、あなたはその資格があるという事になりますから」
象牙の塔としか思えぬこの場所で、十六夜は意味深な発言をして相手の関心を自分へと向けさせた。
男が、十六夜から発せられる妖艶な美笑に少しだけ身を退いている。
十六夜は男の足元に目を置いた。男の顔は笑っていても足はそっぽを向いてしまっている。逃げようとする心理的な行動の基本だなと、十六夜は心中でほくそ笑んだ。
「そう警戒する必要はありませんよ? 言ったでしょう? あなたはお客なのだと」
得得な眼差しを持って冴えない男を追い詰めていく。
男が距離取りを再開させれば、彼は机の前まで進んだ。紅茶の入った果実盃を左手に持ち、右手を机の上に乗せる。男へと向き直り、一人で乾杯をしてみせた。
左右の色が違う瞳で男を見据える。そして豊麗な仕草で誘惑を始めた。
昼と夜。相反する瞳の色が男を捉える。
男は彼の者の妖美にあだを覚え、ゴクリと唾を飲んだ。
「この花園に訪れたあなたこそが答えであり、楽園の餌となる。なぜならそれは……」
気炎を吐くどころか、常に一定の口調で語る。
「あなたが怪盗新撰組の一人なのだから──」