第2話 トビラノムコウ

「ソレ」の向こうに何がある。

「トビラノムコウ」に何がある。

オマエを待つのは鬼か蛇じゃか。

それとも輝く宝玉か。

開けてみなけりゃ、分からない。













「…ちる、みちる夕飯よぉ」

耳を掠める、小さな呼び声。
それが聞き覚えのある母のものだと気付いたとき、みちるはふと目を覚ました。


あれから何時間眠っていたんだろう。時計を見ようにも既に日は落ちていて、部屋も外も真っ暗だった。

「よく寝たな〜…さぶっ」

気温もだいぶ下がっていた。椅子に掛けた白いカーディガンを手に取りスウェットの上に素早く羽織ると、みちるは部屋を出た。



しんと冷えた床の感触が裸足の足を刺激して、ボンヤリした寝起きの頭を徐々に覚ましていく。

「みちる〜、ちょっと!」
階段を降りていると、また母が呼んだ。

「何?聞こえてるよ」

「ちょっと、お兄ちゃんの部屋も声掛けて!さっきから呼んでも返事しないのよ!」

『世の主婦にとって、夕飯時ほど忙しい時間はない』そんな口癖を持つ母親は、すでに苛立ちmaxとなっているようだ。その声は若干の怒気すら孕んでいるように思えた。


みちるには5才上の兄がいる。成人になったばかりの大学生。バイトやなんだで最近あまり顔を合わせていなかったが、今日は家にいたらしい。

いちいち戻るのも面倒だ。その場で振り返り「お兄ちゃん!」と呼んでみたが返事が無い。

まったく…と、呟きながらみちるはしぶしぶ兄の部屋まで引き返した。


「…ん?あれ?」
異変に気付いたのは、兄の部屋のドアノブに手を掛けた時。

微かに漂ってくる異様なにおい。

(何?タバコ?)

「ってか、マジでこれアイツのなの⁈すげー!!」
聞き慣れた兄の声がした。誰か一緒に居るのか、やけにテンションが高い。

「マジだって。タツヤとオレのアニキ親友だったからさ。葬式の時貰ったんだと。つーか宇野、舞い上がりすぎ」
「だな。まぁー圭太はジェットストリーム崇拝してたからな。タツヤの信者。そして厨二」

ドッと湧き上がる笑い声。
誰だろう?けど、どうやら地元の友達が数人
来ているのは確かなようだ。いつの間に…

「何だよ、だってすげーじゃん!ジェットストリーム!こんなちっぽけな市からあそこまで登りつめて…やっと全国区になれたってのに、コレ吸って死ぬとかマジあり得ねー…クソッ」

興奮しつつも悔しげにそう言い放ったのは兄の圭太。かなり初期からのジェットストリームファンだ。

ジェットストリームはみちるも知っている。
地元出身の2人組インディーズバンドだったが、去年シングルをヒットさせて一躍有名になった新進気鋭の若手バンド。

特にボーカル・タツヤは逸材と言われ、その掠れたようなハスキーボイスは他に類を見ず、若者を中心に男女問わず人気があった。

が、願望達成した直後にタツヤは死んだ。確か一カ月くらい前…ネットの芸能ニュースにも載っていて、死因がはっきりしていない事からもしかしたら…

「ク○リじゃないかって…」

ドアノブを握っていた手が、無意識にピクリと跳ねた。

いや、まさかそんな…この前の成人式だって七五三に毛が生えたみたいと笑われていた兄が、よりによってク○リなんて…

「そそ、そ〜んなんあるわけ」
ないし、と言いかけた時だった。
「今日はタツヤの四十九日だー!天国にいく日だー!みんな喜べ、タツヤは天国いくぞー!」

天国!天国!と、まるでライブ後のアンコールを求める熱狂したファンのようだ。テンションもさらに高まって、その声は廊下中に響いた。

圭太の声だ。しかも酷く支離滅裂な…



漂う異臭、異常なくらいのハイテンション…


(この状況ってやっぱり、絶対絶対ーー)

ラ○ってる!!


「お兄ちゃん!ちょっと何やっ…」

言うが早いか、みちるは勢いよくドアを開けた。

「えっ?」
「えっ!」
「うわっ!みちる!」

まるでドッキリにでもあったかのように、中にいた3人の男子が一斉に驚きの声を上げる。

その瞬間、逃げ場を失っていた濃霧のような白煙が出口めがけて流れ込み、一瞬のうちにみちるの全身を覆い尽くした。

(しまっ…)

燻したような煙のにおいが身体いっぱいに広がるーーすぐにそれは激しい咳を誘発して、みちるはその場に崩れ落ちた。

息がーー息が出来ない。

「く…るし…」

「みちるバカ!吸うな!」

圭太が駆け寄ってくる。慌てふためいたその声が、ひどく遠く感じる。


「しっかりしろ!ちょ…っ、母さんクスリ!早く!」

頭の上をドタバタと駆け回る大人たち。そのけたたましい足音の中、血の気の引いた唇を震わせ、必死の形相で覗き込む兄の顔が白い靄に埋もれて霞んだ。


(ああ、全部…)

全部夢なら良かったのにーー

そう願ったが最後、目の前が真っ暗になり何も聞こえなくなった。


みちるの意識は完全に途絶えていた。