外の空間から自分を切り離したはずなのに、意識と体が切り離されているような不思議な感覚に襲われた。
 体の感覚はなく、開いているはずの目にも、さっきまで見えていた空すら見ることができない。
 なに、この感覚・・・・・・。
 戸惑っていると、目の前に金色の狐の姿が現れた。
『妾の力はそなたの物、この力そなたのまっすぐな心に託そうぞ』
 金色の狐は言うと、光の塊になり私の胸の中に吸い込まれるようにして消えていった。
 私は塊を吐き出すような、おぼれかけた後に水を吐き出すような感じで大きく咳込んだ。
 次の瞬間、目の前に再び空が広がったが、それでも金縛りにあったように体は自分の意思に従わない。
 このまま動けないのではないかという、漠然とした恐怖が襲ってくる。
 かなりショッピングモールから離れ、人気のない場所まで来てしまったから、誰も私に気付かないかもしれない。昼間でもこの涼しさだから、夜になったらどうなるんだろう・・・・・・。
 恐怖と困惑で頭が混乱しているところに、スマホの着信音が響いた。
 機械的なベルのような音だが、段々と頭がすっきりとしてくる。それと同時に、体も少し動くようになった。
 電話に出なくちゃ・・・・・・。
 鉛のように重い体に必死に命令を下す。
 手を動かせ、スマホを取り出して電話に出て!
 のろのろとした動きで腕が動く、まるでスローモーションのようだったが、私の手はポケットからスマホを取り出し着信ボタンにタッチした。
 しかし、話そうにも声がでなかった。
 スマホからは尚生さんの声が聞こえる。私を必死に呼んでいる声が。それでも体は動かない。まだ、体の中に入り込んだ金色の光がもやもやと、体の中で蠢いているような感じがする。
『尚生さん!』
 私は声にならない声で尚生さんを呼ぶ。
 スマホは着信状態のままで、通話時間が刻々と増えていく。悲痛な尚生さんの声が何度か聞こえ、通話は無言のまま継続されている。
 尚生さんと話したい! 声を返して!
 次の瞬間、何かが体を突き抜けるような衝撃が走り、私の体は瞬時に自由になった。
「尚生さん?」
 思ったよりも、しっかりとした声が出た。
『紗綾樺さん、大丈夫ですか?』
 緊迫したような尚生さんの声に、私は申し訳ない気持ちと、説明のつかない想いで胸がいっぱいになった。
『紗綾樺さん、今どこにいるんですか? すぐに迎えに行きます』
 尚生さんの言葉に、私は自分が内緒で軽井沢まで来ていたことを思い出した。
「大丈夫です。もう・・・・・・」
『軽井沢にいるんですか?』
 ドキリとして、すぐに返事をすることができない。
『やっぱり、宗嗣さんが言っていたとおり、軽井沢にいるんですね』
 お兄ちゃんにも、軽井沢にいることがばれてる? なんて説明しよう・・・・・・。
 困惑から返事が全く思いつかない。
『何も聞きません。もし、軽井沢にいるなら、迎えに行きます』
 尚生さんの言葉に、私は時計を見る。
 時間は、まだ二時前だった。あの永遠のように長く感じた金縛りにあっていた時間は、ほんの短い時間だったようだ。
「でも、遠いです」
 事実だったけど、間抜けな答えかも知れない。
『家からなら、すぐに上野にでれますから、ダッシュで行きます。つく時間が分かったら連絡します。だから、心配しないでください。メールします』
 それだけ言うと、電話は切れた。
 本当に、軽井沢まで来るつもりだろうか? こんな遠い場所まで・・・・・・。
 私は考えながら起き上がると、頬に優しい風を感じた。さっき芝生に横になった時とは違って、よりリアルに風を感じる気がした。不思議な感覚だ。
 さっきまでは、まるでもう一枚上に何か着ているような、そんな感じだったことに気が付く。でも、今は違う。いまは、自分が本当に生きているという感じがした。
 変な気分だ。
 こんな感覚は、今まで一度も感じたことはなかった。
 自分が生きているという事を感じる。不思議な気分だ。
 目を閉じて風を感じる。前髪が風に揺れ、後れ毛が頬をくすぐる。
 私は、どうやってか分からないけれど、あの日、恐ろしい地震と津波から助かることができた。でも、なにも思い出せない。あの日以前の私がどんなだったか。それでもいい、お兄ちゃんが言うとおり、今を生きていけば。私には、尚生さんという私の力の事を知っても私を信じてくれる友達もいる。
 今の私ができることは、このまま崇君が幸せに暮らせるようにしてあげること。
 私は目を開けると、スマホを取り出した。
 今まで気づかなかったが、メールが二通届いていた。どちらも尚生さんからだった。
 最初のメールは、昨日のデートが楽しかったことと、そのお礼だった。そして、次のメールには、『今日も逢いたい』と書かれていた。
 心がほっこりと温かくなる。こんなに素直に想いを伝えてくれるなんて嬉しい。私も尚生さんに逢いたい。
 もう一度目を閉じると、尚生さんの優しい笑顔が脳裏に浮かぶ。
 手の中でスマホが振動し、私は目を開いた。
 尚生さんからのメールだ。
『三時半までには着きます』
 本当に来てくれる。というか、よくあの時間からそんなに早く軽井沢まで来れるものなのかしら? やっぱり、新幹線の切符の買い方を知ってたら、あんなに焦ったり、バタバタしたりしないです済むから、早く来れるのかしら?
 再び時計を見ると二時だった。
 なんだか今日は時間が経つのが遅い気がする。
 私は立ち上がると、荷物をまとめてアウトレットの方に戻り始めた。

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