電車を降りる前に確認した時と同じで、さやの居場所はなじみのファミレスで止まっていた。
 まったく、ここまで送ってきて、ファミレスに入って時間を引き延ばすとは、あの宮部という男、本当にさやにぞっこんらしい。
 店の中に入ると、すぐに二人の姿が目に入った。
 先日の爆弾交際宣言後はじめてのデートとは思えないくらい、なんだか和やかな、傍目に見たらラブラブな雰囲気が漂っている。
 何をしているのか知らないが、二人でさやのスマホの画面を見ながら、楽しそうにしている。そのせいか、至近距離まで俺が歩み寄っても気付きもしない。ちょうど、『朝七時に出発』という声が聞こえて来たので、ちょっと意地悪かなとは思ったものの、意地悪く声をかけてみる。
「へえ~、明日も朝七時集合でディズニーデートですか?」
 当然、奴は飛び上がらんばかりに驚いたが、さやはいつものマイペースで俺の事を見上げた。
 声も出ずに固まっている奴に、仕事のうっぷんを晴らすべく、もう一言お見舞いする。
「まったく、ちっとも帰ってこないと思ったら、こんな近くでお茶するくらいなら、うちでお茶すればいいだろうに。まあ、うちだと、小言言う邪魔な兄貴がもれなくついてきますけどね」
 とは言っても、今帰りなんだから、家だったらそれこそ二人っきりになれていたのに、まあ、ある意味健全なお付き合いをしているんだという事は認めてやらなくてはいけないんだろうな。
 俺はそんなことを考えながら、さやの隣に腰を下ろした。
「今ね、尚生さんにメールの使い方教えてもらってたの」
 さやの言葉に俺は思わずさやと奴の顔を見返した。
 さやがメール? 俺が何度教えても必要ないの一点張りだったのに! しかも、尚生さんだぁ? いつのまにそこまで進展したんだよ!
 ちょっと不機嫌になりつつ、俺はメニューも水も持ってこない、気の利かない店員に声をかけた。
「すいません、メニュー貰えますか?」
 俺の言葉に、さやがまじまじと俺の事を見つめる。
「あれ、お兄ちゃん、今帰り?」
「ああ、今日はさやがデートでいないから、溜まってた仕事を片付けてガッツリ残業代を稼いできた。来月の給料が増えれば、年末年始が潤うからな」
 俺はワイシャツの袖をまくると、やっと運ばれてきた水に口をつけた。
「正直、今日は助かりました。急な仕事も入って、定時には上がれそうもなかったんで、宮部さんがさやをデートに連れ出してくれて良かったです」
「いえ、自分こそ、事前の許可なく紗綾樺さんを連れ出してしまって、申し訳なく思っていたところです」
「まあ、終わり良ければってことで、今日のことは良いですよ。それに、さやも楽しそうだし」
 さんざん嫌味を言ってしまったが、さやの交際を妨げるつもりはないので、正直にお礼を言った。
 すべては、無茶振りする事務所の上層部がいけないのだが、平均残業時間が一番少ない俺に目を付け、他のスタッフはもっと残業してるんだから、今日ぐらいは残れよなという無言の圧力に屈したわけではないが、年末に向けて懐を豊かにしたい俺としては、今日は快く残業を引き受けた。実際、さやが仕事に行かなくなり、一日一人で家にいるかと思うと、食事の事やいろいろと不安が募り、電話の回数も増えるから、実際仕事が手に憑かない日もある。そういう点から言うと、こうして俺の代わりにさやのそばに奴が付き添っていてくれると思うと、仕事中も不安に襲われることなく集中して仕事ができた。
 それに、本当にさやは楽しそうで、やはり兄と一緒よりも恋人と一緒の方がさやらしさを取り戻せるのかもしれないと、俺はまた奴に嫉妬してしまう。
 俺が人生のすべてを捧げても取り戻せないかもしれないものを奴は簡単に手にしている気がする。結構鈍感な男らしく、本人は気付いていないようだが、明らかに交際宣言をした日の無感情なさやは、もうここにはいない。 
「で、メール使えるようになったのか?」
「たぶん、まだ、一通しか書いてないから」
「じゃあ、なんか送ってみ」
 俺の言葉に、さやはスマホとにらめっこしながら何かを必死に入力している。その間にオーダーを済ますと、目の前で奴がニヤけているのが目に入る。
「なんか、宮部さん楽しそうですね」
「えっ、あっ、いえ、その、宗嗣さんと紗綾樺さんの食の好みは同じなんだなって思っただけです」
 なるほど、今晩の夕飯にさやもハンバーグを食べたという事か。
 そんなことを考えていると、スマホにメールが届いた。
「おっ、届いたぞ。どれどれ・・・・・・」
 俺は慣れた手つきでメールを開く。
『お兄ちゃん大好き♡♡♡』
 思わず目が点になる。
 たぶん、最後のハートマークの入力に手間取っていたんだろう。
 俺はスマホを奴の方に向けて見せた。
「宮部さん、だ、そうですよ」
 画面を見た奴が露骨に羨ましそうな表情になる。その様子を見る限り、まだテストメールでもハートマーク付きのメールをもらってはいないらしい。でも、それも時間の問題だろう。結婚を前提に交際している二人なら、ハートマークなんて、今更なのかもしれない。
「それは、やっぱり紗綾樺さんにとって宗嗣さんは一番ですから」
「あれ、一番の座を狙ってるんじゃないんですか?」
「いえ、紗綾樺さんにとっての一番は宗嗣さんで良いと思ってます」
 こいつ、俺が思っているよりもかなり良い奴かもしれない。これが、草食系と呼ばれるタイプの男なのか?
「相手が紗綾樺さんじゃなかったら、お兄さんに一番の座を奪われたままにはしたくないですけどね。でも、紗綾樺さんと宗嗣さんの関係は、何よりも大切にしたいです」
 なるほどね。俺がさやを任せてもいいと思うだけの男なわけだ。
 俺は妙に納得しながら、さやから届いた最初のメールに削除ロックをかけた。
 この瞬間を忘れたくないから。
 それから、俺が食事を終わるまで今日の出来事をさやが話して聞かせてくれたが、奴は終電があるからと途中でさやに別れを告げて帰っていった。
 楽しそうに今日の出来事を話すさやは、まるで両親が生きていた頃のさやのようだった。