私の仕事は占い師だ。いわゆるスピリチュアルな能力を持っている訳で、巷ではそれなりに知られているし、大御所でもないのに、一応、仕事は『占い師』といえるくらいで、生計を立てられる程度には稼いでいる。
まあ、アパート代は兄と折半だし、両親の保険もあるからがむしゃらに稼がなくても生計はたてられる。でも、私の場合、家賃を払ってもちゃんと暮らせるくらい稼げている。
一人の鑑定料を千五百円という半端な額で始めた占いだったけど、あたると評判になってからは、その値段では一日かかっても鑑定できないくらいの行列が出来てしまい、ご近所さんの相場からはかけ離れた鑑定料に設定を変更した。でも、学生は一人二千円、場合によっては無料で鑑たりもする。それと、社会人でも悩みが仕事なら五千円にしてある。ちなみに、基本は一万円。結婚以外の恋愛は、いくらお金を積まれてもみない。それでも、テレビで見たことのある人が、こっそり並んでいたり、当たったというお礼を別途戴いたり、訳の分からないお食事の招待や豪華クルーズ、やれ車だ家だのと、頼んでもいないのにお礼にくれようとするおじさんたちも多い。
この間までの悩みの種は税務署だった。テレビや雑誌でおなじみの大御所ならともかく、こんな小娘、稼げるはずないと思っていたんだと思う。だいたい、鑑定料に税金のせるってなんか変じゃないか?とか思いながら、数字に強い兄のおかげでなんとか書類を作成し、『払うものは、払えるならとっとと払う』という兄の言葉に従って、きっちりと納めた。でも、これからずっと細かく収支を記録しなくちゃいけないかと思うと、すごく気が重くなった。だって、出費なんて、場所代位しかない。後は、自分で設定したしちめんどくさい鑑定料体系に基づいて、何人の鑑定をしたかを延々と記録することになる。ため息ばかりだ。いっそ、アシスタントを雇おうかと思ったものの、兄の『身の丈に合わないことはするな』という一言で、夢のアシスタントさんのいる生活は消えてなくなった。
たぶん私には、なにが身の丈にあっていて、なにがあわないのか、ピンと来てないんだと思う。たぶん、いまも、これからも・・・・・・。
何が身の丈にあっているか、分かるためには、自分自身を知らなくてはいけない。でも、私には自分がわからない。
献身的にサポートしてくれる兄のことも、最後に撮影したという、私の高校の入学式の写真に写る両親でさえ、私には分からない。
私が分かるのは、写真の隅に写っている、ご近所のシベリアンハスキーの目がヘテロで、片方だけが素晴らしく碧く美しかった事だけだ。しかも、写真に写っていない方の瞳。私は、他の何よりも、その碧い瞳が大好きだ。写真に写っていないのが残念なくらい、あの碧い瞳をもう二度とみられないかと思うと悲しくなった。それなのに、私には何一つ家族の記憶がない。
私を発見した捜索隊は、冷え切った私の体と浅い呼吸に、死んでいるのだと思ったらしい。実際、生きていると分かってからは大騒ぎになったらしい。あやうく、棺桶に入れられるところだったのだから、当然と言えば当然だけどね。
意識のなかった私は、一週間以上も眠ったままで、目覚めても自分が誰かすらわからなかった。まあ、それは今もあまり変わらないかもしれない。
正直、私自身が、一番自分の事を知りたいと思っているというのが正しい。しかし、せっかく備わった不思議な力も、他人の事は見せてくれても自分の事を思い出す助けにはならない。時々夢で見る金色の狐以外、なにも自分に関してはわからない。というか、その狐が何を意味するのかも分からないのだから、見えているのではないかもしれない。
今の私は、空っぽな私という器に、人の事が見える力が収められているようなものだと、私は最近思うようになってきた。それでもいい、もし、兄が幸せでいられるのなら。
まあ、アパート代は兄と折半だし、両親の保険もあるからがむしゃらに稼がなくても生計はたてられる。でも、私の場合、家賃を払ってもちゃんと暮らせるくらい稼げている。
一人の鑑定料を千五百円という半端な額で始めた占いだったけど、あたると評判になってからは、その値段では一日かかっても鑑定できないくらいの行列が出来てしまい、ご近所さんの相場からはかけ離れた鑑定料に設定を変更した。でも、学生は一人二千円、場合によっては無料で鑑たりもする。それと、社会人でも悩みが仕事なら五千円にしてある。ちなみに、基本は一万円。結婚以外の恋愛は、いくらお金を積まれてもみない。それでも、テレビで見たことのある人が、こっそり並んでいたり、当たったというお礼を別途戴いたり、訳の分からないお食事の招待や豪華クルーズ、やれ車だ家だのと、頼んでもいないのにお礼にくれようとするおじさんたちも多い。
この間までの悩みの種は税務署だった。テレビや雑誌でおなじみの大御所ならともかく、こんな小娘、稼げるはずないと思っていたんだと思う。だいたい、鑑定料に税金のせるってなんか変じゃないか?とか思いながら、数字に強い兄のおかげでなんとか書類を作成し、『払うものは、払えるならとっとと払う』という兄の言葉に従って、きっちりと納めた。でも、これからずっと細かく収支を記録しなくちゃいけないかと思うと、すごく気が重くなった。だって、出費なんて、場所代位しかない。後は、自分で設定したしちめんどくさい鑑定料体系に基づいて、何人の鑑定をしたかを延々と記録することになる。ため息ばかりだ。いっそ、アシスタントを雇おうかと思ったものの、兄の『身の丈に合わないことはするな』という一言で、夢のアシスタントさんのいる生活は消えてなくなった。
たぶん私には、なにが身の丈にあっていて、なにがあわないのか、ピンと来てないんだと思う。たぶん、いまも、これからも・・・・・・。
何が身の丈にあっているか、分かるためには、自分自身を知らなくてはいけない。でも、私には自分がわからない。
献身的にサポートしてくれる兄のことも、最後に撮影したという、私の高校の入学式の写真に写る両親でさえ、私には分からない。
私が分かるのは、写真の隅に写っている、ご近所のシベリアンハスキーの目がヘテロで、片方だけが素晴らしく碧く美しかった事だけだ。しかも、写真に写っていない方の瞳。私は、他の何よりも、その碧い瞳が大好きだ。写真に写っていないのが残念なくらい、あの碧い瞳をもう二度とみられないかと思うと悲しくなった。それなのに、私には何一つ家族の記憶がない。
私を発見した捜索隊は、冷え切った私の体と浅い呼吸に、死んでいるのだと思ったらしい。実際、生きていると分かってからは大騒ぎになったらしい。あやうく、棺桶に入れられるところだったのだから、当然と言えば当然だけどね。
意識のなかった私は、一週間以上も眠ったままで、目覚めても自分が誰かすらわからなかった。まあ、それは今もあまり変わらないかもしれない。
正直、私自身が、一番自分の事を知りたいと思っているというのが正しい。しかし、せっかく備わった不思議な力も、他人の事は見せてくれても自分の事を思い出す助けにはならない。時々夢で見る金色の狐以外、なにも自分に関してはわからない。というか、その狐が何を意味するのかも分からないのだから、見えているのではないかもしれない。
今の私は、空っぽな私という器に、人の事が見える力が収められているようなものだと、私は最近思うようになってきた。それでもいい、もし、兄が幸せでいられるのなら。