ベタベタな詐欺や。

 こんなもん、警察に言うたらしまいや。せやけど、こっちの警察はアテにならん。弁護士を呼ぶ金もない。身寄りも知り合いもない。わしらの立場を考えると、どうやら泣き寝入りっちゅうことになりそうや。あー、アホらし。

 おんなじ結論に達したんか、イッチが覚悟を決めたように、潔く土下座した。

「許してください。お金はないです」

「金がなかったら、誠意を見せてもらおう」

「皿洗いでもなんでもします。だから、この子だけは帰してやってください。身体で払えとか、売り飛ばすとか、クスリ漬けにするとかはどうかご勘弁――」

「アホウ! ぼくがヤクザに見えるか。それにうちは料理屋じゃないぞ」

「じゃあどうすれば?」

「住み込みで働け。そしたら給料が出る。その中から、一万円をぼくに返せばいい」

 ん? 住み込みで働く? ちゅーことは、野宿せんでも済む。なんや、向こうから、ラッキーが転がり込んできたで。

「あの、わしも、お世話になってよろし?」

「もちろん。二人まとめて面倒見よう」

「よかったな、イッチ」

「ちょっと待ってよ、ユエナ」

 イッチがわしのブレザーの袖を引いて、耳元でこそこそ、

「やめようよ。ここ絶対、ブラックだよ」

「ならほかにあるか?」

「隣のハンバーガーショップは?」

「住み込みは無理やろ。それに、さっきの駐在も、条件のいいとこなんかない言うてたやろ。せやったら、ここにおったら、マッサージの達人らしいオーナーはんに会う機会もできる。どや?」

「まあ、ユエナが良ければ……」

「決まりや」

 二人とも雇ってもらうことにした。すると古参兵は満足そうにうなずき、

「こっちの世界のいいところは、法律にやかましくない点だ。たくさん稼ぎたければ、一日二十四時間働いてもいいし、何歳から働いてもいい。めんどくさい契約書なんかも交わさなくていい。あと本当は、お客さんにマッサージするには国家資格が要るんだが、そういう細かいことも無視していい。どうだ、とっても楽だろう?」

 イッチは暗い顔して黙っとったから、わしが適当に相槌を打った。

「そうでんな」

「ただし、人様の身体に触ってお金をもらうんだから、最低限の人体の知識と、プロとしての技術がないといかん。ところがそれもなんと、ぼくたちがただで教えてあげる。どうだ、嬉しいだろう?」

「さいでんな」

「その研修を、さっそく今日から受けてもらう。時給が発生するのは、それに合格してからだ。あんまり覚えが悪いと、デビューできないこともあるよ。が、たとえデビューできなくても、住み込みは続けてよろしい。どうだ、慈悲深いだろう?」

「ほうでんな」

「じゃあさっそく白衣に着替えてもらおう。彼氏は男子の休憩室で、彼女は女子の休憩室で着替えてから、ここに戻ってきて。永作、彼氏を案内して」

 それから古参兵は、サンマルチノを呼んで、いろいろ指示した。サンマルチノはわしの手をとると、スキップで休憩室に連行した。

 その部屋に入ったとたん、テレビがあんのを発見して、わっと声が出た。

「テレビある! もしかして、お笑いもやっとる?」

「お笑い? たくさんあるわよ」

「わー、やった! 番組は、向こうとおんなじ?」

「たぶんね。今流行ってるのは、面白ポンかな」

「面白ポン? 芸人はん、誰出てまっか?」

「力道川とか、ふんころがしとか、半ば達郎とか」

「ふんころがし……おもろいでっか、それ」

「とってもね。こんどビデオに撮っといたげる。休憩時間にいつでも観ていいよ」

「おおきに。ちなみにやけど、スマホで動画観たりとかはできん?」

「残念。こっちの世界には、スマホどころか、ガラケーもパソコンもゲームもないの。固定電話はあるけどね」

「なんで?」

「ああいうのを開発できる技術者たちは、言ってみればエリートでしょ。そんな人たちは落ちてこないのよ。だからこっちには、それを作る人がいないってわけ。ま、ないならないで、わたしはすぐに慣れちゃったけどね」

 えーとサイズはと言いながら、サンマルチノがロッカーから服を出してきた。ガチャピン色のカエル服。壁のほうを向いてそれに着替え、仕上げにカエル帽もかぶったとき、なんや知らんが妙に気分が高まってきた。

 まるで、芸人デビューするみたいや。

 コスチュームを着て仕事するっちゅうことに、こんな状況で不思議やが、晴れがましさみたいなもんを感じてもうた。

 普通やったら、このかっこは羞ずかしゅうてたまらん。が、ここではそもそも、羞ずかしさを感じる相手がおらん。アホばっかや。どうせ脳たりんのほとんどビョーキ連中しかおらんのやから、堂々とやったらええ。やったるで、わし。世の中に出たるねん。今日がその第一歩や!

「すごい似合ってる。パチパチパチ。あなたお名前は?」

「奥川ユエナ。姉さんは?」

「花畑イチゴ。イチゴちゃんって呼んでね」

 おまえはサンマルチノじゃ、この嘘つき女。わざわざ袖をまくってリストカットの痕をさらしてからに、と思いながら、腕の横線をイチ、ニと数えとると、

「トールチャンッ!」

 突拍子もない声が聴こえてきて、思わず部屋をぐるっと見た。

「なんや、ちっちゃいばあさんでもおるんか?」

「ちがうわよ。とおるちゃん、どこー」

 サンマルチノが大声出して呼ぶと、ピピッという音がし、ロッカーに下がった制服の中から、小鳥がひょこっと顔を出した。

「わ、インコや」

「トールチャンッ!」

「へえー、かわいい。あんた、とおるちゃんいうんか」

 よう見ようと顔を近づけると、その子は服から飛び出して、わしの肩にぴょこんと止まった。全身青色で、くちばしがほんのり桜色をした、体長十五センチくらいの、くるよ姉さんくらいかわいいインコや。

「コザクラインコのとおるちゃんよ。この店のマスコット」

「店で飼ってるんでっか?」

「オーナーが動物好きでね。一号店ではヒューマンジーのオリバー、二号店ではワニのカイマン、三号店ではイグアナのタモリを飼ってるの」

「タモリを飼うなんて、赤塚先生みたいでんな。オーナーはんて、優しい人なんや」

「タマちゃん? そうね……根は優しいのかも」

 するととおるちゃんが、わしの唇をチョンチョンついばんできた。

「ひゃは、痛くすぐったい」

「急に咬むから気をつけてね。みんな一度は、唇を血だらけにされてるから」

「ココデワラワナイト、モウワラウトコナイヨ」

「わ、おしゃべりも上手」

「天才なの。迷い鳥だったんだけど、オーナーが捕まえてこの部屋で飼うようにしたら、どんどん言葉を覚えちゃって」

「ワスレテチョウダイ、ワスレテチョウダイ~」

「この子欲しいわー」

「さ、着替えたら行くよ。あと、胸にオタマジャクシのバッジをつけて。ただ今研修中のマークだから」

 マッサージルームに戻ると、古参兵はおらず、イッチとソバカスと、さっきすだれ髪のおっさんをモミスケしてたメスガエルが、ベッドや椅子に坐っとった。

 制服に着替えたイッチのまわりは、どんよりと暗かった。まるでラブアタックで、かぐや姫に奈落の底に落とされた、みじめアタッカーみたいやった。

「そんでさ、おれっち、殺人以外の悪いことは、全部やったんだ」

「ふーん」

 ソバカスが神妙な顔つきで、女としゃべっとる。女は気だるそうに、脚を組んで煙草をくゆらせとった。

「クミさんは、なんか悪いこと、した?」

 女はカエル帽をとると、髪を掻きあげながら、

「戦争」

 言うた。やっぱりこいつもアホや。おまえは元帥かいいうことで、仇名はマッカーサーにした。

「戦争か。大変だったね」

「そうよ。仲間が目の前でバタバタ死ぬしね。わたしは捕虜の虐殺にも加わった」

「そんなことして、お母さんに怒られなかった?」

「別に」

「おれっちは親に怒られてばっかりで……で、最後は見捨てられて、刑務所に面会にも来てくれなかった」

「帰る家がなかったのね」

 マッカーサーが、紫の煙をぷーっと吐いた。

「クミさんの親って、どうだったの?」

「自由にさせてくれたわ。わたしが戦争なしじゃ生きられないことを、よく知ってたのね。言われたことはただ一つ、生きていてくれさえすりゃいいって」

 イッチの身体が、ビクンと跳ねた。

 わしは、イッチの坐っとる横に立った。

「どうしたイッチ。なんでそないな暗い顔してんねん」

 イッチは、たこ八郎くらいゆっくりしたモーションで顔を向けると、

「秋山さんが、この服、一着四万円だって」

「ほー、高」

「そんで、毎日クリーニングに出せって。クリーニング代は全部こっち持ちで。このシステムだと、ぼくたち一生ここから抜けられないよ」

「しゃーないやん。十五でなんもできんわしらを、雇ってくれるだけでもありがたい思わんと。まずは仕事を覚えるこっちゃ」

「……ユエナって、前向きだね」

「目が前についとんのはそのためや。よう見てみい。まわりはクズだらけや。わしらこん中じゃエリートやで。絶対出世する」

「そうかなあ」

「わしを信じんしゃい」

 ドン、と胸を叩いたときやった。制服の腹のところについたポケットから、

「トールチャンッ!」

 コザクラインコが、ひょっこり顔を出した。

「なんやあんた、わしのポケットに隠れとったんか」

「とおるちゃん?」

 ふと見ると、イッチがなぜか、怯えたような顔つきでとおるちゃんを見とった。

「……どうしてこの子、ぼくの名前を?」

「ああ」

 それで思い出した。イッチの下の名前はトオルやった。どの漢字だったかは、まだ思い出せんけど。

 すると、突然ドアが開いた。

「お待たせお二人さん。きみたちに支給するサンダルを持ってきた。特別におまけして、一足二万円にしてあげよう」

 古参兵が両手にサンダルを提げて立ってると、とおるちゃんがバサバサッと飛んだ。

「あれ? なんでここにいるんだ」

 目を丸くした古参兵の脇を抜けて、とおるちゃんが廊下に出た。

「わっ、まずい! 誰か捕まえろ。いなくなったら、きっとオーナーに三百万円は請求されるぞ!」

 みんな部屋から飛び出した。とおるちゃんとおるちゃん言いながら追いかける。

 しかしとおるちゃんは、一直線に受付に飛んで行き、間悪く、客が来て自動ドアが開いた隙に、夜の街へと消えていった。

「ダメだ、おしまいだ。ぼくはこれで一生ただ働きだ」

「あきらめなさんな、主任はん。鳥には帰巣本能がある。きっと帰ってくるで」

「なに呑気なことを。悪いのはきみだぞ。責任取れ!」

 と、星空の彼方を茫然と見あげていたイッチが、

「もしかして……もしかして」

 うわ言みたいにつぶやくと、突然走って道路を渡った。

「待て、イッチ。どこ行くんや」

 追っかけた。イッチはぐんぐんスピードを上げていく。カエルのかっこをした二人が追いかけっこしとるのを、道行く人が不思議そうに眺めた。

 しまいに道から、人がいなくなった。

「コラコラ。寂しい場所行くな。さっき危ない言うたばかりやろ」

 イッチは走るのをやめない。なんだ坂こんな坂とのぼっていく。もう限界や、ついて行かれへんと思うたとき、イッチがどこに向かっとるかに気づいた。

 空海の松や。

 昼でも暗い林の中に飛び込んでいった。わしには怖くて無理や。巨人が身を寄せ合って聳えとるような松の木を眺めながら、わしはなすすべもなく立ちつくした。

 と、しばらくすると林の中から、

「お父さーん、お父さーん、どこー」

 半べその声が響いてきよった。

「ねえー、すっかり忘れてたけど、ピヨちゃんが帰ってきたよー。こっちの世界に逃げてきたみたーい。お父さんもいるんでしょー、出てきてー」

 その声は、完全に小学生の男の子になっていた。

「ねえーってばー、生きていてくれさえすりゃいいんだよー、生きていてくれさえ……くそおっ! 勝手に死にやがってえ! ぼくも死ぬぞお。ぼくは決めた。お父さんと同じ三十歳になったら、ここに来て、首をつって死んでやる!」

 わしは林の中に入っていった。足が勝手に前に進む。

 イッチはすぐに見つかった。巨木の幹に頭突きして、ぼこぼこ殴り、わーわー声をあげて泣いとった。

 かわいそうに。

 きっとイッチは、六歳のころから、ずっと泣くのを我慢してたんや。泣き虫のおかんに遠慮して。それが、こんな形で爆発した。

「よしよし、イッチ。気が済んだか。あんまりパチキはあかんで。アホの坂田みたいになるよってな」

「あのね、ピヨちゃんは、ぼくんちで飼ってた鳥なんだ。自分の名前を憶えなくて、ぼくの名前を憶えてさ。それで、お父さんが死んで、お母さんがなんにも世話しなくなったら、あるとき飛んでっちゃったんだよ。ぼく思い出した」

「えらい、よう思い出したな。さ、帰ろ」

「だからこっちには、向こうで見つからなかった迷い鳥が、きっとたくさんいる。それから、死んだと思ってた人間も」

「あんたのおとんは、ちゃんと葬式も出したんやろ」

「でもね、生きていてくれさえすりゃいいよって、言ってあげればよかったんだ。そうしたら死ななかったよ。だからぼく、それを言いに来たんだ」

「六歳には無理や。済んだことはもうええ。あんたがその分生きろ」

「ううん、ぼく死ぬよ」

「なんでや」

「お父さんの子だもん。いつかきっと自殺する」

「コラア、なに甘ったれたことぬかしとんのじゃあ!」

 わしは思わずカッとなり、イッチの胸ぐらをつかんだ。

「おとんが三十で死んだら、わしは三百まで生きたるわいって、男ならなんで思わんのじゃ。親の屍踏んづけて進むんが、子の務めやないけ!」

 イッチの後頭部を、ガンガン木の幹に打ちつけた。するとイッチは目をまわし、

「あ、よいとせのこらせ、あ、よいとせのこらせ」

 ホンマのアホになった。わしはそれを引きずって、マッサージ館に帰ろうとした。

 そんときやった。

 暗い中で、なんかを踏みつけた。

 その感触にぎょっとした。本能的に、人のような気がした。

 ぞくりとしながら見おろす。ズボン――シャツ――顔――すだれ髪。

「おわあ!」

 死体やった。わし、屍踏んづけてもうた。

「自殺しとる、おっさんが! だからここ来るの嫌やったんや」

「ま、待ってよユエナ。どうして自殺なの? 首にロープとかないよ」

「知らんがな。毒でも食らったんやろ」

「警察呼ぶ?」

「アホンダラ! あんなん呼ぶなら落語家呼んだほうがマシや。それにどっちみち、スマホは使えんしの」

「まだ生きてるかもしれない。急いで病院に行って知らせよう」

「絶対死んどるって。触って温度確かめてみい」

 こんなとき、イッチは意外と度胸あった。おっさんの顔にまともに触れ、

「うん、氷みたい」

「ほれ見い。とにかく自殺や。こんな場所で自然死なんて、どう考えても不自然やろ」

「ここに来て死ぬんだったら、首つりを選ぶと思うけどなあ。ぼくはこれ、よそで殺されて、犯人に棄てられたんだと思う」

「……なんやて?」

「殺人だよ。ヒトゴロシ。ゴロゴロあるって言ってたじゃん」

「ほ、方法は?」

「さあ。案外穏やかな顔してて、血も見えないけど、服を脱がしたらピストルの痕とかあったりして」

「なんでこないに無害そうなおっさん殺すねん。動機はなんや」

「ぼくに訊かないでよ。ユエナ、ホームズの生まれ変わりなんでしょ」

「賃貸のホームズ言うたんじゃ! こんなん推理できるかい。早よ帰るで」

「そうだね。犯人がまだ近くに潜んでるかもしれないしね……サイコパスが」

 サイコ聞いたとたん、アンソニー・パーキンスの顔が浮かんで、一目散に逃げた。

 逃げながら、あのおっさん、マッカーサーの客によう似とったけど、同一人物かな、それともただ単に、あの髪型がこっちで流行っとるだけかなと考えた。