そんな訳であるからして、私は己の不出来な身体と心持ちに忸怩たる思いを抱えながら、日々を生活しているのである。会社勤めとしての仕事はしていて、辛うじて食うに困らぬ程度の給金は受け取ってはおり、子宝には恵まれてないが斯様な己にしては幸いにも妻となってくれた有難き妻もおり、籍を入れて数年が立つ。傍目には、幸福か不幸かでいえば幸福よりであろうし、よく目にする人様の幸せをランク付けのピラミッドがあったのならば、とても円錐の先には届きそうもないがさりとて底辺ではなかろうというくらいの位置を右往左往、否、ピラミッドであるならば上下運動を繰り返しているようなものであろう。エジプト古代の王たちもまさか自分等の墳墓が人間社会の位置づけを形容する言葉として用いられるなどは晴天の霹靂、その極みきった極みであることだろう、と想像してしまうが彼らからしたら己などは踏みつける落ち葉ほどの価値もない人間であるからしてそのようなものの哀れみこそ笑止千万なことよと呵々大笑するのだろうかしないのだろうか。
忘れてはいかぬ、そう、狐である。
狐、キツネ、古来よりなぜか人を化かす妖なるキャラ設定をされてしまった、四足歩行の哺乳類、そうあの狐である。
昨日、己が勤める都内の職場から自転車を快走させつつ帰宅していたところ(何を隠そう隠そうもなにも言葉を累々と打ち込んでおきながら隠そうもへったくりもないものだが、ところでへったくりとは懈怠な日本語であることよ)、東京都、且つ大田区と神奈川県を別つ多摩川にかかる丸子橋、その橋上をペダルも軽やかに自転車を進めていたときのことである。因みに、この丸子橋付近は映画「シン・ゴジラ」で鎌倉に上陸したゴジラと陸上自衛隊の戦車たちが激闘を繰り広げた場所として有名になってしまった。結果、戦車は蹴散らされ航空戦力も無力である、ゴジラは意気揚々と都心へと歩を進めていったのであるキャタピラ萌えの方は躍動する戦車をご覧いただくが良いのである。
忘れてはいかぬ、そう、狐である。
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