僕はギターケースと財布、そしてスマホと鍵を持ってアパートを出た。

今日はクリスマスイブで、見慣れた街はいつもと違い、幾つものイルミネーションで彩られている。
なんだかフワフワした、独特の空気が流れている。

中心地に近づくにつれ、人が増えてくる。
楽しそうに笑顔を浮かべる何組ものカップルや親子連れとすれ違い、僕は何だか気後れしてしまう。
こんな時にだけ、僕はつくづく自分を寂しい奴だと思う。親とはもう離れて暮らしているし、彼女いない歴=年齢の男。
クリスマスも家族以外と過ごしたことはないし、バレンタインにチョコをもらったこともない。
改めて考えてみるだけで、溜息が出てしまう。

そのうちに、目的地である駅前の広場に着く。人の波から数歩離れた街路樹の下に立ち止まると、ケースの中からアコースティックギターを取り出した。
それを肩から掛け、ケースは広げたまま置いた。

チューニングを微調整し、一度鳴らした。

僕は音楽の専門学校に通い、プロのミュージシャンを目指している20歳の至って普通の男だ。
もちろん、実際に音楽を生業とするのが簡単ではない事は分かっている。
だからこそ、目指し甲斐がある。
一握りの者だけが立つことのできるステージに、いつか上がりたい。そんな想いが、僕を突き動かしていた。
今日、このクリスマスイブに路上ライブをしようと思ったのも、人前で弾くことで度胸をつけたかったからだ。

演奏を始めようとした頃、僕の前には既に5人ほど集まっていた。
僕は彼らに一礼して弾きだした。なんだか今日は調子が良い。

サビに入ったところで顔を上げると、聴衆が20人以上に増えていた。
手拍子をしている人、目を閉じて聴いている人、スマホで撮影している人など様々だ。

その聴衆の中で、僕から見ると右側にいる女の子が、とても可愛いなと思った。
超絶美人というわけではない。だけれど、清楚で品のある彼女の立ち居振る舞いは、“可愛い子”を印象付けている。
時折見せる髪を耳にかける仕草が、すごく似合っていた。

その後も歌い続けた。
どれも自分が好きな歌で、みんなそれを聴いてくれて、何だかすごく気持ち良かった。

その時、僕は発症した。

さっきの女の子のことが、ふと、頭によぎる。まだいるのだろうか。楽しんでくれているのだろうか。
ちょっとした好奇心と恋心で確かめたい思いはあるけれど、誰もいない場所に取り残されたような、あんな孤独感は味わいたくない。
僕にとっては、視線を上げるというたったそれだけの行為が恐ろしくて、出来なかった。

視線を上に向けたり、時々目を瞑ったりと、なるべく彼女の方を見ないようにして、約10曲歌い切った。

最後の一音を弾き、左手で弦を抑え音が止まると、
「ありがとうございました」
と言いながら頭を下げた。
拍手が起こり、しばらくしてそれが落ち着くと、後ろの方に居た人から少しずつ動き始める。
僕は足下に置いたギターケースの中を見た。そこにはいくらかのチップがあった。財布にしまい、空になったギターケースに首から提げていたアコースティックギターをしまった。

「演奏、良かったですよ」
不意にかけられたその言葉に、僕は少しビクッとして、恐る恐る顔を上げる。
さっきの女の子だった。
声までもが美しくて、僕は感動すら感じてしまった。
「これ、どうぞ」
差し出される手。彼女が握っているのは、千円札だった。
「いやっ、こんなに……」
「いいんですよ。ほら」
彼女は微笑んで、僕の右手にそれを握らせた。
「すみません」
何を謝っているのかは分からないし、こんな僕の拙い演奏に、それだけの価値があるとも思えない。
「私、こういう路上ライブって言うの?これ、初めてで。感動しました」
「あ、ありがとうございます」
答えつつ、僕は内心ドキドキであった。
一目惚れした女性が目の前で、しかも、周りには誰もいなくなっている。

絶好のチャンスだ。

でも、どうしよう。
すんでのところで留まり、この後のことを想像してみると、やはり何か恐ろしい。
断られた時の心の痛みも、リアルに思えてきてしまった。

でもやっぱり、想いを伝えるべきだろうか。
いきなりすぎやしないか? 引かれないだろうか。それでも。

「実は、あなたに一目惚れしたんです。もし良かったら、何処か行きませんか?」

僕にしては珍しく、つっかえることもなく言えた。
最初、彼女は何のことかわからないような表情だったけれど、意味を理解したのかみるみる驚きに染まっていく。
少し考える風にして、彼女は、
「はい、いいですよ」
と言ってくれた。

2人の時計の針が動き始めた瞬間だった。