「見るからにやばそうな雰囲気、って感じ」

 深夜。午前二時半。降り注ぐ小雨。大通りからは遠く離れた、少し怪しげな建物や看板が立ち並ぶ細い道。
 控えめな街灯が照らし出すそのビルには、閉店したにもかかわらず、『漫画喫茶ダラール』との看板が未だに掲げられていた。
 いつものようにお札だらけの金属バットを肩に担いでいる日向が、嫌そうに顔をしかめている。先ほどから何とも表現しがたい胸騒ぎがするので、恐らく彼も同様のものを感じているのだろう。

「……さっさとやるぞ。これ以上雨が悪化しないうちにな」

 雫はそう言って、足早にビルの中へと入った。髪が雨のせいですっかり濡れてしまった。日向も犬のように首を数回振って水滴を落とし、ひょいひょいと隣に並んでくる。
 二人はそのまま一階に足を踏み入れて周りを見回すが、そこは既に埃と瓦礫が積み上がった廃墟となっており、誰の姿も見えなかった。既に漫画喫茶のブース等は撤去されていて、未だ放置された椅子や受付カウンターの残骸などが転がっている。

「んー、いないな」

 二階以上にいるのかな、と日向が首を捻りつつ、階段を上った。雫もその後をすぐ追いかけながら、グローブをはめ直して拳を構える。そのまま二階の扉を開けようとしたところで、頬がひりつくほどの凶悪な空気を察知し、ドアノブに手を掛けた姿勢のまま日向は動きを止めた。無言でこちらを振り返ってきた彼に対し、ゆっくりと頷いてみせてから、雫も体制を低くする。

 ――この先にジバクがいる。

 声に出さずとも、お互いに分かった。バットを強く握り締めた日向は大きく息を吸い込み、それを吐き出すと同時に思い切り扉を開く。素早く中に駆け込んだ雫は、視線を部屋の中に巡らせ、立ち止まった。すぐ背後で日向が、あ、と小さく声を漏らす。
 二人の視線の先――部屋の中央では、一つの影がぽつりと立っていた。背丈はかなり小さく、近づいてみると、こちらに背を向けた男の子であることが分かる。それはこちらの気配に気が付いたのか、おもむろに振り返ってきた。まだ六歳かそこらの、あどけなさの残る顔つき。

「……、子供……?」

 呆然とした声音で日向が呟いた。雫は何も言わなかったが、隣の彼と同様に驚きは隠せなかった。子供のジバクは特に珍しくはないが、先ほどの禍々しい気配の根源と思うと違和感が拭えない。

「あ、れ、お兄さんたち、どうしたの」

 その時、声が響いた。顔を上げれば、その男の子は真っ直ぐにこちらを見つめ、こてんと小首を傾げている。端から見れば、生きている人間の子供と全く違いがない。無邪気で可愛らしい男の子だ。そのせいか、日向が構えていたバットの先端を下ろし、迷ったような表情で口を一文字に結んでいる。
 雫はそんな彼の様子を見て、拳を掲げてから声を上げた。

「日向、やるぞ。子供だろうがジバクはジバクだ」
「……分かってるさ」

 まだ躊躇しているようだったが、それでも日向は再びバットを持ち上げる。そして先端を男の子に突きつけ、ゆっくりと振り上げた。幼い子供の見目をしているので気分は乗らないが、これも仕事だ。彼もそう割り切ろうとしているのか、大きく息を吸い込む音が聞こえる。

「おかあさん」

 ぽつり、と。
 その漏らされた声に、日向は目を見開き、今にも一直線に下ろそうとしていたバットを静止させた。

 男の子は、悲しげに顔を歪めて体を丸めている。ここに留まりたい、離れたくない、そんな想いが痛いほど伝わってきて、雫はぶわりと鳥肌が立った。ジバクと対峙する時は大半が同じような感情を露わにしてくるのだが、この子のそれは格が違う。気を抜けばこちらが動けなくなりそうな、あまりにも強い想い。