なんだか、長い夢を見ていた気がする。
「……い。おいってば、いい加減現実に帰ってこい。おーい」
肩を強く揺すられ、僕、南港梨緒はハッと我に帰る。
「あれ? ここは?」
僕がキョロキョロと観察してみると、僕の周りを様々な人が行き来していて忙しない。はて、僕はこんなところで何をしていたのだろうか?
「現実逃避のついでに一時的な記憶喪失かい? はぁ、全く。君はね、今まで呆けていたんだよ、この撮影スタジオで」
そう告げる、長い黒髪の女性。よく見ると、服装はズタボロで血に塗れていた。
「にゃっ!? ゆ、有加、大丈夫なの? その格好」
僕から有加と呼ばれた、女性は少し服装を気にしながら、ムスッとした態度をとる。
「今回は、めった刺しにされる女子大生の役だからね。これくらいのズタボロ加減じゃないとテレビ的にインパクトに欠けるんだってさ。それにしても、私の死体役シーンを見てどんな妄想をしていたのよ、梨緒」
そういえば、僕は有加の付き添いとしてこの撮影現場にきたのだった。
そして、彼女の死体役のシーンを見て、脳内でミステリーにうってつけな話が浮かんだのだっけ?
僕は、有加から訊かれて、少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「えーっと、恋愛の末に、恋人に手をかけちゃう。犯人の描写を少々……」
僕の答えに、有加はため息を漏らす。
「えっ。なんで、僕の話でため息なんてついたの?」
「梨緒って、空想癖本当に激しいわよね。それに、ミステリーものを読むのを禁止されているのに、そこまで考えちゃうのが逆に凄いわ。逆に」
「うっ……。そろそろ、解禁してくれない? その縛り」
僕は諸般の事情で、ミステリーものを読むのを禁止されている。僕は読みたくて仕方が無いのだけれども、有加がそれを許してくれない。
「ダメに決まっているでしょ」
「僕が有加のお父さんみたいなミステリー作家になりたい為に、ミステリー読んで勉強したいっていっても?」
有加のお父さんは売れっ子のミステリー作家で、僕はそれに憧れる作家志望。なのに、ミステリーを読むことが出来ないだなんて本末転倒だろう。
「読むのはダメだけど、こうして勉強のために、こうして生のサスペンスドラマの現場に連れてってあげているんじゃない」
そうプンプンと有加が怒っている中、すらっと背の高い男性が現れた。今回撮影したドラマのプロデューサーだ。
「司馬さん、死体役おつかれさまでした。リテイクは無いので、このまま上がってもらって構いませんよ。いやぁ、何時見ても素晴らしい死体役でした。いやはや、司馬先生の娘さんがこう体を張って演技してくれると、ドラマも映えますよ」
素晴らしい死体役とはどんな感じのモノなのだろうというツッコミを僕がしている中で、有加は、ありがとうございます。と頭を下げる。
「父親がいつも言っているんですよ。役者としての技能を磨くには、まず死体役で一流になりなさいって」
有加の父親はかなりの変わり者だ。有加はその性格を確実に遺伝していると僕は思っている。
「なるほど、流石司馬先生だ。えっと、付き添いの方だったよね? 目に眼帯をしているようだけど、ものもらいか何か?」
プロデューサーは僕のことをじっと凝視して、眼帯をしている僕の左目を指差した。
「え、えっと……」
僕が上手く説明できなくてモジモジしていると、すかさず、有加のアシストが入る。
「梨緒は小さいときに、薬物の副作用で眼球が溶けたようになって、失明しちゃったんですよ。だよね?」
「う、うん」
僕は有加の説明をこくこくと頷きながら、眼帯を触った。子どものころに処方された薬の飲み合わせが悪かったらしく、過剰反応で失明してしまったのだ。
「おっと、それは聞いてすまなかったね。てっきり、そういうファッションだと思ってしまったよ」
「まぁ、中二病になりそうな感じはしますよねー」
「有加、それ、どういう意味?」
僕が睨みつけると、有加は悪い悪いと片手で軽い感じに謝る。
「話は戻るけど、司馬さんがあれくらいの素晴らしい演技が出来るのなら、今度から普通の役もやってみたくないかい? 今度またキャスティングする時にでも」
プロデューサーの誘いに、気まずそうに有加は目線を逸らす。
「あー……、事務所から言われていると思うんですけど、私、生きている人の演技がどうしてもぎこちなくて、事務所NGなんですよねー」
「そう、それが気になったんだよ。そんなに下手なの? ココに台本あるからさ、やってみせてよ」
プロデューサーはそう言って、とあるページのシーンを開いて有加に渡す。有加も困った表情で台本を受け取り、一通り、目を通す。
そして、まるで、ロボットがダンスを踊っているかのように動き始め、
「ハ、ハンニン、ハ、コノ中ニいりゅー!」
と、まるで片言を話す外国人のような口調で台本にあった台詞を言ったのだ。
この様子に口をあんぐりとさせるプロデューサー。
「い、いきなりの役は緊張しちゃうよね……。あ、そろそろ僕は別のシーンを撮りに行かないと、じゃあ、司馬さん、次の役も期待しているからね」
なんだか気まずくなったプロデューサーは、有加から台本を受け取ると、そそくさとスタジオから立ち去っていた。
「有加、今のワザとでしょう?」
僕の問いに、彼女は舌を出して、いたずらっ子っぽく笑って見せた。
楽屋へと戻り、有加は着替えを抱え更衣室の方へと向かい、カーテンを閉めた。
「よーし、着替え終わりっと」
数分後、カーテンを開いて有加が出てきた。
出てきた有加は、水色に白のボーダーシャツにデニム地のクロップトパンツ。ズボンの裾には白い足がのぞいていた。
「さ、いくわよ!」
つばの大きい麦藁帽子と薄緑のワンショルダーバックを身に付けた有加は、僕の手首を掴んで引っ張った。
「え、行くって何処に!?」
いきなり手を引っ張られた僕はおどおどしながら有加に行き先を訪ねる。
「忘れたの? 大学の先輩からお茶会に誘われたでしょ?」
「あ」
有加にそう言われて、そういえばそんな約束をしたことを思い出す。
それは、3日前の出来事。
僕達は大学の談話室で必死にレポート作成に励んでいた。
「なかなか勉強熱心なのね」
先輩はうんうんと感心するが、別に僕達は勉強熱心なわけではない。二人共同でレポートの草案を作成し、それを二人で各々文脈を微妙に変えながら書いていくという姑息な内職をするつもりなのだ。
「勉強中で忙しいのなら、またの機会にしようかしらねぇ……」
「僕達に何か御用ですか? レポートもそろそろ完成しそうですし、お話できますけど?」
僕は手を止めて、先輩の顔を見た。
「そう? じゃあ、お二人さんの間を失礼するわね」
そう言って先輩は、僕達の間にあった空席の椅子に腰掛ける。
「実はね。二人に相談に乗ってほしいことがあるの。でも、ここで話すのは気が引けるから、ウチでお茶会でも開いて話そうかと思って。予定開いているかしら?」
「相談ですか? しかも、私達二人に?」
有加は怪訝そうな顔で先輩に訊ねる。
「二人だからこそよ。厄介事が大好きな“アリナシ”コンビの二人にしか頼めないのよ」
始終一緒に行動していることから、有加の“有”、梨緒の“梨”を繋げて、“アリナシ”コンビ。僕達はそう呼ばれていた。大学構内では、それに追加して『変わり者の作家の子ども達だから、きっと厄介事に首を突っ込みそう』という固定概念という尾ひれが付いて、いつの間にか、T大学の厄介事大好き“アリナシ”コンビという嫌な異名が付いてしまったのである。
「別に、厄介事が好きなわけじゃないですけどね。でも、先輩にはお世話になっていますし、相談事聞いてあげますよ。三日後、スタジオ撮影があるので、ソレが終わったら伺えますよ。15時頃に行きます。」
有加はスケジュール帳を開いて、日程を先輩に伝えると、先輩は嬉しそうに頷く。
「ありがとう! じゃあ、15時に私のウチまで来てね」
そしてその日が今日だった訳なのだが、僕達が先輩の家へ訪問した頃には、
先輩は変わり果てた状態で床に寝そべっていた。
約束していた15時。三上先輩が住んでいるワンルームマンションにたどり着いた私達は、総合玄関の前に備え付けてあるインターホンで先輩の部屋番号を入力して、ボタンを押した。
しかし、先輩からの応答は一切ない。
「おかしいわねぇ。ちゃんと15時って約束したのに」
一応確認として、スマホで現在時刻を確認する。15時3分、確かに約束した時間だ。
もう1回インターホンを鳴らしても先輩は出る様子はなかった。
私が少しイライラしていると、梨緒が私の服の裾を引っ張る。
「ん? どうしたの、梨緒」
「何かあったんじゃないかなぁ? 三上先輩って結構きっちりしている性格だから、約束をすっぽかすってことは無いと思うんだけど」
少し不安げに答える梨緒。たしかに、自分から相談を持ちかけてきたのにその約束をすっぽかすのは、あの先輩らしくない。
「と言っても、どうやって入るべきか」
このマンションは入り口で暗証番号を入力しない限り、エントランスの自動ドアが開かない仕組みになっている。
「こうなったら、父直伝の七つ道具で開けるしか」
私がワンショルダーバックのチャックを開けようとした時に、梨緒が必死に私を引き止める。
「ダメだって、有加。それ犯罪だから! 正直に事情を管理人さんに話して、開けて貰おうよー」
「……確かに、それもそうよね」
危ない危ない、危うく不名誉な称号を勝ち取りそうだったわ。私は、カバンのチャックを閉じ、管理人室へと歩みを進める。
「すみません。607号室の三上さんのお宅へ訪問する予定をしていた者なんですけど、インターホンを鳴らしても出てこなくて。ちょっと心配なので、エントランスの扉を開けて貰ってもいいですか?」
一応大学の学生証を提示して管理人に頼み込むと、
「どうぞ」
すんなりと、扉を開けてもらえた。
「ありがとうございます」
私と梨緒は管理人に会釈をして、エントランスとくぐる。
エレベーターで6階に行き、先輩の部屋である607号室へ向かう。
扉の前で一度ノックをして、先輩の名前を呼んでみるが、やはり反応はない。
「仕方ない、強行突破かしらね」
私はカバンから白い手袋を取り出し、ソレを手にはめる。
「ねぇ、有加。そんなもの、なんで持っているの?」
「万が一のときの為って、父さんが持たせたのよ。梨緒のカバンの何処かにも入っているはずよ、確か」
私がそういうと、梨緒がガザゴソと自らの水色の2WAYカバンを漁る。すると、奥のほうから白い手袋が出てきた。
「あ、本当だ。何時の間に……」
梨緒が手袋を持って驚くのを余所に、私はレバー状のドアノブに手をかけ、ゆっくりとレバーを下に下ろして引いた。
「……開いてる」
ドアが開いた。隙間から先輩の部屋を覗き込むと、奥の方にだけ電気が付いていて、他は静寂そのものだった。
さて、部屋を覗き込んでいる私達を他の部屋の住民が見たら絶対に通報されそうなので、さっさと入ってしまおう。
「お邪魔しまーす」
「えっ、中に入っちゃうの?」
少し入ることに抵抗をする梨緒の手を引っ張って、私は先輩の部屋に入った。
薄暗い玄関で靴を脱いで、ゆっくり静かに歩みを進める。
電気が唯一付いているところが近くなると、誰かの足が覗いているのが見えた。
その足を見て、梨緒が歩みを速め、その足の方へ近づく。
「三上先輩、インターホン鳴らしても出ないって……っ!!」
梨緒は何か驚いた様子で、しりもちをついた。
「梨緒、どうしたの?」
私はしりもちを付いた梨緒のもとへと駆け寄ると、そこには、
ベッドの柱に布を括りつけ、その布を首に巻きつかせ、床に倒れる先輩の姿があった。
「どうりで」
冷静に倒れている先輩を見ている横で、梨緒は尋常ではないほどの冷や汗をかいて、呼吸が次第に荒くなっていく。
「梨緒、大丈夫?」
梨緒の背中をさすって落ち着かせようとするが、呼吸は荒いまま。目の焦点も次第に合わなくなってきた。
この状況では流石にヤバイか。
私は梨緒に優しく抱きつき、背中をさすりながら耳元で優しく囁く。
「梨緒、ゆっくり目を閉じて、大きく息を吸いなさい。そうすれば、何も見えなくなるから」
梨緒は私の言うとおりに、ゆっくりと目を閉じて大きく息を吸った。すると、梨緒の意識がなくなり私の方に体重を預けてくる。
「全く、梨緒は私が居ないと本当にダメなんだから」
梨緒を近くの壁にもたれさせ、私はスマホを取り出し、電話帳から『叔父さん』を選び、電話を掛けた。
「あ、おじさん?」
『有加か、いきなり電話なんて掛けてきてどうした? 仕事中だから送迎なんて出来ないぞ?』
電話先の声は面倒くさそうに低い声で応対をする。
「刑事の叔父さんにうってつけのお仕事があるんだけど?」
『……どういうことだ?』
「死体を見つけちゃった」
私が無邪気に答えると、電話先から耳が劈くような声で、
『はぁぁぁぁああああああ???』
と叔父さんの叫び声が聞こえた。
「ということだから、急いで来てねー。あ、場所は警察に通報しておくから、じゃあねー」
まだ電話先の叔父さんは話している途中で、私は電話を強制的に切る。
「さて、警察に通報……ん?」
私は、倒れている先輩の横にノートパソコンが開いた状態で置かれているのが気になって、ゆっくりと近づき手袋をしている方の手で電源ボタンを押す。
すると、メモ帳画面が表示され、
『私はもう疲れました。 楽になろうと思います。 ごめんなさい。』
という文章が表示されていた。所謂、遺書というやつだろう。
「……こんなチープな嘘で私の目が誤魔化せると思ったのかしら?」
ある確信を持った私は、その文章を見てニヤリと笑った。
「はぁ……」
私が警察に通報後、父さんの弟に当たる、督(すすむ)叔父さんが部下数人を引き連れて先輩の家へ上がりこむ。
「どうしたの叔父さん、ため息なんてついて」
鑑識や部下の刑事さんが捜査をする中、先ほどから叔父さんは重いため息ばかりついている。
私が訊ねると、今度は内ポケットからハンカチを取り出して、目から出た涙を拭う動作をし始めた。
「あ。もしかして、捜査に貢献する姪の姿がうれしいとか!」
「んな訳あるか。ううっ、有加のこんな姿を兄さんに見せられない。怒られる」
叔父さんは、父さんに頭が上がらない性格である。しかも、私が暴走しないように見守って欲しいという余計な約束をしている為か、私が警察のお世話になりそうなことを仕出かすと、怒られると戦々恐々としているのだ。
「私は、先輩と約束があって梨緒とここに来たんです。いくらインターホンを鳴らしても出てこなかったら、こうして訪問したら、このザマで」
私は担架で運ばれていく先輩の遺体を指差した。
「んで、梨緒の奴は伸びていると」
叔父さんは呆れ顔で壁にもたれかかっている梨緒に視線を移動させる。
「伸びているというか、いつものアレよ。それで、気絶しているわけ」
「アレねぇ……」
事情を知っている叔父さんは“やれやれ”とでも言いたげな表情をした。
梨緒についての事情を知っているのは、私と父さん、あと叔父さんの3人のみである。だから、大体“アレ”というと通じるのである。
「本当に梨緒は私が常に見ておかないと何をしでかすか分からないからね」
「おい、有加。それは……」
おじさんが話している最中で、叔父さんの部下の刑事が叔父さんに話しかけてくる。
「司馬さん、現場のノートパソコンに遺書らしきものがありますし、自殺の線が濃厚なんじゃないですかねぇ……」
「検死結果を見ないことには分からないからな、そう易々と結論を出そうとするな児島」
「し、失礼しました」
児島と呼ばれた部下の刑事さんは叔父さんに謝罪をする。
たしかに、自殺と断定するのは早すぎる。私が見る限りこれは……
自殺なんかではないのだから。
「有加、何か言いたげだな」
叔父さんは何やら勘付いて、私に訊いてくる。
私は話を振られ、胸を張ってドヤ顔で答える。
「フッフッフ、叔父さん。この業界長いと、死体が煩いほどに語りかけてくるのが分かるのよね」
「この……業界ですか?」
横にいた、先ほど謝罪していたのは違う刑事さんが私の発言を聞き返す。
「あぁ、有加はサスペンスドラマで死体役専門の役者なんだよ。一度は見たことあるだろ? ホラ、あの、刑事ざっくバランシリーズとか」
叔父さんは、私の出演作を例にだして説明をする。刑事さんは何かを思い出したようで、ハッとした表情が飛び出す。
「あー! 僕、見たことありますし、そのシリーズ好きです。確かに、何処かで出ていたような気がしますねぇ……」
刑事さんは私の顔をまじまじと見つめる。
「まぁ、死体役の時は結構な化粧をして個々のキャラを作っていますから。さて、話を戻すけど、この事件は自殺じゃなくて他殺のような気がするのよねぇー」
「その根拠はなんだ?」
「まぁ、検死に持ってっちゃったから現物が無いから何とでも言えると思うけど、第一にベッドの柱に布を巻きつけたことによる首吊り自殺と仮定したとしても、恐らくあの死体、首吊りの特徴である首の骨が折れてないはずよ。それに、失禁もしていなかった。それと、一番重要な点は……」
叔父さんは私の話の続きが気になって、ゴクリと息を呑む。
「本来首に布の痕が付くはずなのよねぇ、首をつったとしたら。一応、叔父さん達が来る前にパッと見たけど、ソレがなかった」
「なるほど……、って遺体を触ったのか」
「触るわけないじゃない。ちゃんと、警察様の捜査がしやすいように何も動かず触らずでおりましたよっと」
私の答えに叔父さんは『それなら良し』と頷く。
「どうせ、これから私達にも事情聴取するんでしょ? その前に、梨緒を起こさなきゃ」
私は熟睡している梨緒に駆け寄り、体をゆさゆさと揺らすが、寝息を立てたままビクともしない。
これは、久々にやりすぎたかな?
「しゃーない……、梨緒、許せ」
私は梨緒の右頬に向かって思いっきり、
バチーン!
とビンタを食らわせた。
大音量の破裂音が部屋に木霊し、捜査をしている全員が一斉にコチラのほうを振り向く。お願いだからこっちを振り向かないで、恥ずかしい。
一方の梨緒はというと、
「いったーーーーーーい!」
ビンタの破裂音の後から来る激痛に頬を触りつつ飛び起きた。
「おはよ、梨緒」
私はニッコリと梨緒に笑いかけるが、
「おはようじゃないよ! ゆぅかー、ひどいよー。ほっぺを思いっきり叩くだなんて。僕のほっぺ、取れてない? 大丈夫?」
梨緒は大粒の涙をポロポロと流しつつ、私に訴えかける。
「取れたら一大事じゃない、取れてないから大丈夫よ。それより、ここからが一大事です」
私は一段と真剣な顔つきで梨緒に報告をすると、梨緒は『へ?』と間抜けな声を発する。
「私と梨緒はこれから警察へ行って、取調べを受けます」
「えっ!?」
梨緒は驚きで目を丸くした。
私達二人は叔父さんに警察署内の会議室に通された。
結構な広さの場所に通されて私は愕然とした。
「え、ここで事情聴取するの?」
てっきりドラマで見られるような取調室でやるものだと思った私は、落胆の表情を叔父さんに向ける。
「なんだその目は」
「だって、折角警察署で取調べなんだよ? 誰しもが一度は憧れる取調室で、カツ丼を出されてお涙頂戴で自供するとかやってみたかったのに」
私の言葉に、叔父さんと梨緒が二人揃って冷ややかな視線を私に送る。
「有加、それは何か違うと思う」
「そうだぞ。今回は別に何かを犯したわけじゃないから自供しなくていいだろに。それに、カツ丼は頼んでもいいけど、きちんと代金を請求するからな。あと、会議室にしたのは取調べ室が先約で使えないからだ」
ドラマとはかけ離れた現状にややショックを受けながらも、部屋に先約が居て使えないのなら仕方ないわね。
「先約ってまさか、先輩の事件の容疑者とか」
「……それは教えられない」
叔父さんはそう目線を逸らした。その顔には夥しい量の冷や汗が滲んできた。
私が正解を言い当てると、叔父さんは大体こんな感じで冷や汗を出しながら目線を逸らす。きっと、容疑者を集めて取調べをしているのだろう。
「さて、そろそろ私達も取り調べというか聴取しましょ。時間が勿体無いし。それに……」
私は会議室へ入り、置かれている机の上に座り、不敵に微笑んだ。
「叔父さんがどれだけ私の尋問に耐えられるか、見てみたいし?」
私の笑みに、叔父さんは重いため息を一つつき、
「……これだから、お前と話すのはとてつもなく嫌なんだよ……」
と肩を落とした。
「改めて聞くが、お前らは遺体で発見された三上さんと相談事を聞くという約束はしたが、肝心のその内容は全く教えられてなかったんだな」
叔父さんが紙コップに麦茶を注ぎながら私達に訊ねてくる。
「そうです」
梨緒は麦茶を受け取り、飲みながらウンウンと頷く。
「先輩から大学の談話室で相談事を持ちかけられたけど、肝心の内容は一切何も言ってなかったわねぇ。警察は、そこらへんは何か仕入れているの?」
私も麦茶を受け取り、ぐいっと飲んで喉を潤す。
「こっちも皆目検討が付かなくてな。容疑者数名は洗い出せたが、彼女が何を相談したかったかについては不明のままだ」
「ふーん」
私は紙コップの縁を人差し指でクルクルとなぞりながら、話半分で聞く。警察も、分かってないのなら聞く価値すらないような気がした。
「ただ……」
叔父さんはつい口を滑らしてしまったとばかりに、慌てて口を手で覆った。
「ただ、何かなぁ、叔父さん? 続きを言ってご覧?」
その発言を聞き逃さなかった私はニヤニヤと笑いながら叔父さんに言い寄る。叔父さんは手を押さえたまま首を横にぶんぶんと振る。
私はあまりにも叔父さんに拒絶されたのがショックで、すこししょぼくれた顔になってしまう。
「言うのが嫌ならいいわ。その代わり、そろそろ検死結果が出たでしょ? そっちを教えてよ」
「そんな顔をするなよ。そっちのほうは教えてやるから」
しょぼくれた私の顔を見て罪悪感が芽生えたからなのか、叔父さんはあっさり、検死資料を取り出した。
「督叔父さん、有加をあまり甘やかせちゃダメだよ」
「梨緒は私の父さんみたいなことを言わないの。そんなことより、検死結果を見せて見せて!」
叔父さんから検死結果が書かれている資料をぶんどって、読み進める。
どうやら、先輩の死因は窒息死。あと、体内からは睡眠薬の成分が検出されているらしい。
死亡時刻は凡そ13時辺りではないかという推測がされていた。
「私達が来る2時間前か。それにしても、窒息死と体内に睡眠薬の成分ねぇ……」
「睡眠薬の大量服用で舌が弛緩して、息が出来なくなったとか」
私が次の資料をぺラッとめくると、今度は現場の遺留品等の配置が書かれている紙が出てきた。
「パッと見、睡眠薬っぽいものが書かれている様子も無いし、何かに混ぜて飲んだとしても、コップの一つも机の上に置かれてないっておかしくない?」
叔父さんにその紙を指差しつつ、疑問点を指摘する。
書かれている資料には、先輩の周囲にコップもペットボトルの一つも転がってないのだ。
「たしかに、食器の類いが一つもテーブルに置かれてないっていうのが気になるな」
「自殺だったとしても、律儀に睡眠薬を飲んでコップを食器棚にしまって、眠るように死んだってこと? なんか、無理があるよね」
梨緒もその紙に書かれている文章を目で追いながら、話に加わってくる。
「現場に飲んだはずの睡眠薬が無い、食器も綺麗に片付けられている。これは、確実に他殺だと思うわ。先輩の遺体もそう喋っているはずだわ。煩いほどにね」
死体は一見無口だが、実は、煩いほどにお喋りを繰り返している。
当然のことながら死んでいるのだから、声として発してはいないが、それは例えばダイイングメッセージであったり、死因であったりと様々だ。
まさに、“死人は口ほどにモノを言う”。
「やはり何者かが睡眠薬を持ち去ったとしてみた方がいいのか……。可能なのは一人だけ居るんだ」
「え? だれ? だれ?」
私のキラキラした眼差しに、しまったという顔をする叔父さん。
「そろそろ、言って貰わないと、私も本気になっちゃうかもよ?」
ニコッと笑うと、叔父さんは観念して、容疑者の名前を言ってくれた。
「三上さんが付き合っていた彼氏だよ」
『どうして、文香がこんなことにっ……ううっ……』
督叔父さんに案内された取調べ室の様子が観察できる部屋。
そこで僕達は部屋の中で泣き崩れている男性の姿を見ることになった。
「これが、三上先輩の彼氏?」
有加は窓越しに男性を指差した。マジックミラー越しだから、相手に僕達の姿は見えないとはいえ、有加は行動が毎回大胆すぎると僕は思う。
「そうだ。名前は栗林克也(くりばやしかつや)。元々は総合格闘技で飯を食っていっていたらしいが、今は引退して無職だそうだ。そして、亡くなった三上さんと交際している時は、食費などの恩恵も受けていたらしい」
「つまりは、“ヒモ”ね」
有加が叔父さんの説明で瞬時に“ヒモ”という答えに行き着いた。
僕はヒモの意味は全く分からず、困惑しながらも有加に訊ねると、
「そうねぇ……、梨緒みたいな人かしらねぇ」
と僕を指差したのだ。
「えぇっ! ぼくぅ!」
大声で驚く僕に、叔父さんが静かにしろと注意を入れる。
「有加も梨緒が分からないからってからかうな。正しい意味を教えてやれ」
有加にも注意が入ると、有加はなんだか煮えきれないような返事で答えた。
「へーい。ヒモっていうのはね、自分では何も努力せずに、恋人に沢山尽くしてもらってる人の事をいうのよ。梨緒はまた一つ賢くなったわね。はい、いい子いい子」
そういって、グリグリと僕の頭を有加が撫でるので、僕はその手を払いのける。
『俺は……、文香が居ないと生きていけないのに……どうしてっ!』
男性はひたすら、先輩の名前を呼び続けるだけで、なかなか取り調べが進んでいない状況だった。
「栗林だけが、三上さんの部屋の合鍵を持っているんだ」
「じゃあ、決まりじゃない。アイツが犯人って」
「ちょっと、あんなに先輩の名前を呼びながら泣いているんだよ? きっと悲しくて仕方ないんだよ」
叔父さんと有加が犯人を取調べ室の男性と特定している中、僕は一人だけあの彼が可哀想で仕方なくなってくる。
「あーあ。梨緒、また深く考えすぎよ」
「え?」
僕は気が付くと、ボロボロと涙を流していた。その姿を見た有加はカバンからハンカチを取り出して僕に差し出した。
「有加、ありがとう」
ハンカチを受け取った僕はそれで涙を拭う。
「奴が犯人にしても、現場のエントランスに設置されている防犯カメラに彼の姿が映ってないんだ。事件発生前後に」
「あのマンションの周囲の防犯カメラも一応調べたほうがいいかもしれないわね。あそこ、非常階段のある方には何故か防犯カメラ付いてなかったし」
「有加、いつのまに防犯カメラの位置まで確認していたの?」
有加は僕の問いに、『防犯カメラの位置くらい、普通確認するもんでしょ?』と答えるが、僕と叔父さんは二人揃って首を傾げた。
「とにかく! どうやってあの男が犯行に至ったのか、あと、先輩の相談事とはなんだったのかを分からない限り、事件は解決できそうに無いんじゃない? 前者は警察に任せるとして、後者は暇だから私達で考えるわ」
「もしかして、それって僕も頭数に入っている?」
僕が自分を指差すと、『当たり前じゃない』と有加がさも当然のように返す。
「言っておくが、これはお遊びじゃないんだぞ。特に、有加。お前は分かってやっている節があって悪質すぎるぞ」
「悪質? はてさて、何のことやら? ……ん?」
叔父さんが有加に説教をしていると、有加のスマホが震えた。
「あ、父さんからのメールだ」
有加がスマホの電源を入れると、そこには『父』という表示が映っていた。
「何々? 『今晩の晩御飯は、【鳥肌刑事の湯けむりドロドロ殺人事件。ゴマゴマした喧騒の中で居た目撃者、薬味が見破る先とは……】です。帰ってくるときは連絡ください』だってさ」
有加のお父さんは作家業で家にずっと篭もっているので、気晴らしとして僕達のご飯は作ってくれる。しかし……、
「兄さん。まだ料理名を殺人事件にする癖、治って無かったのか……」
と叔父さんが頭を抱えるレベルで、料理名が重症なのである。
「毎回予想するの楽しいわよ? さて、ご飯予告メールも来た事だし、料理を予想しながら帰りますかね? 叔父さん、もう私達は帰っていいのよね?」
「一通り話はしたし、帰っていいぞ。これ以上居座られたら俺のほうが参ってしまう」
「じゃあ、もう二時間ほど居座ってしまおうかな?」
有加がボソッと言った冗談を叔父さんは聞き逃さなくて、有加をぐいぐい引っ張って署の玄関まで強制連行させた。
「うー、叔父さんのケチー。もうちょっと警察署の中を探検とかしてみたかったのに」
帰り道、有加はブーブーと文句を言いながら歩いていた。
「仕方ないよ、叔父さんも刑事さんで忙しいわけだし」
「フン、いい子ぶっちゃって。梨緒は私が居ないと何も出来ないダメダメっ子なんだから、私の言う事だけを聞けばいいのよ」
有加のその言葉に少しカチンと来た僕は歩みを止めた。
「僕だってもういい大人なんだよ? そろそろ、自立だってしたいし、禁止されるミステリーも読んでみたいんだ。どうして、有加はそうやって僕を縛るの?」
僕の言葉に、同じ様に歩みを止めた有加は、僕の方へ一切振り返らずに答える。
「だって、貴方を堕としたくなんか無いもの……」
いつもと違う声のトーンで話す有加に少し悪寒がする。
「え、今、なんて……?」
僕が恐る恐る訊ねると、有加は、今度は振り返って優しく僕に微笑みかけた。
「ん? 何の話? さ、早く帰ろう」
いつもの声で僕に手を差し出す有加。先ほどのギャップに少し戸惑いつつ、僕は差し出された手を握ったのだった。
閑静な住宅街にある、西洋を思わせるような蔦が生い茂るレンガ造りの家。僕達が暮らしている家だ。
夜8時。重厚そうな扉を開けて、僕らは帰宅の徒に付いた。
「ただいまー」
有加が玄関で元気よく声を出すと、廊下の奥からエプロン姿の白髪交じりの中年男性がスリッパをパタパタと鳴らしながらやってきた。
有加のお父さんで、ミステリー作家の司馬静(しばしずか)さんである。
「お帰りなさい。ゆーちゃん、りーくん。督くんから電話があって、事件に巻き込まれたっていうのは本当ですか?」
「あー……」
有加は何か言いづらそうに僕の方を見る。
「えーっと……、ちょっと先輩の家に訪ねたら遺体を発見しちゃって、さっきまで警察で事情を聞かされていたんです。静さん、ご迷惑をおかけしてすみません」
僕が言いにくそうな有加の代わりに説明をすると、静さんは優しく微笑む。
「いいんですよ。貴方たちが何事もなければ、それだけで、私は安心です。さ、ご飯が出来ているので、皆で食べましょう」
どうやら、静さんのこれ以上のお咎めがなさそうなので、僕達はホッと安堵して、ダイニングへと向かった。
さて、静さんが作った『鳥肌刑事の湯けむりドロドロ殺人事件。ゴマゴマした喧騒の中で居た目撃者、薬味が見破る先とは……』の正体、帰り道にある程度の予想を立てるのが僕達のセオリーなのだけど、今回の僕ら予想は、鶏皮の唐揚げの胡麻ドレ和え。
そして肝心の正解はというと……、
「棒々鶏……」
「棒々鶏だね……」
ダイニングに入ると、そこには綺麗に盛り付けがされている棒々鶏の大皿がそこにあった。
「最近買った、電気圧力鍋のレシピブックを見たら作りたくなったのですよ。いやぁ、最近の家電は便利ですねぇー」
静さんは、趣味・料理の人なので、様々な調理器具をネット通販で買っては使っている。その姿はまるで、主夫みたいだ。
「さ、食べましょう」
静さんに促されて僕達は椅子に座り、手を合わせる。
「いただきます」
ご飯を美味しく食べ終わって、今日一日の汗を洗い流した後、有加から突然、
「父さんに聞いて貰いたい話があるから、父さんの書斎に行くわ。梨緒は絶対に入るんじゃないわよ? いいわね?」
と念を押された僕は仕方なく自室へと入り、ベッドに転がった。
転がりながら僕は、今日の出来事を思い返してみる。
今日は色々なことが起こりすぎて、全部が今日1日の内に起こった出来事だったなんて考えられない。
その中でも特に気になったのは、有加の言葉だ。
『だって、貴方を堕としたくなんか無いもの……』
あの後、僕がいくら聞き返してもはぐらかされるだけだったから、もしかすると聞き間違いだった可能性も否定できないけど……、
あの言葉が本当に有加の口から発せられたものだとしたら、“堕とす”って一体どういうことなんだろう。
僕は僕自身が知らない重大なナニかを抱えていて、それを防ぐために有加はあんなことを言ったのだろうか?
考えれば考えるほどに、グルグルと思考が渦巻いて歪んでいく。
「気になるけど、今は先輩の事件の方が先だね」
そう思い立って僕はベッドから机に移動し、ルーズリーフを1枚取り出して今日起こった事件の概要を書き込んでいった。そして、書き出して気づいたことが一つ、
「そういえば、先輩の部屋に不法侵入したのは覚えているんだけど、それから先の記憶が全くないや……」
僕は事件現場で見事に眠りこけてしまっていたのだ。そして、どうしてそうなったかという記憶がまるでない。気づいたときには、有加のビンタで起こされていた。
「余りのショックで気絶したのかなぁ……。まぁいいか、警察署で見せてもらった資料に色々書いてあったから、ソレを参考にしよう」
僕は警察で見た検死結果などを概要としてまとめる。
「出来た。さて、これからどう導き出せられるか……、はまた明日でいいかなぁ。今日は色々ありすぎて疲れちゃったなぁ」
僕はまとめた概要を机の上に置いたまま、ベッドへと向かって目を閉じた。
夢を見た。
それは、初めて有加の家を訪れた日の頃の記憶。
「わー。ゆかちゃんのパパの本棚大きいね!」
僕はカラフルな本達が並ぶ本棚をキラキラした目で見つめていた。
「へっへー。凄いでしょ! ここからーここまでパパの作品なんだよ!」
彼女は可愛らしくテトテトと走って、自分の父親の作品が収められている本棚を指差す。
「ゆかちゃんのパパ、ご本書いてるの!? すごいよ!」
僕が驚愕していると、彼女は自慢げに胸を張る。
「パパが自由に本棚の本見ていいって!」
「ホント!? 嬉しい。ありがとー」
彼女は自分の父親の作品スペースから一冊の本を取り出した。
「パパの作品、りおくんには難しいかもしれないけど、これなら読めるかも」
そういって、彼女は僕に一冊の本を渡してくれた。
「うん、読んでみるー」
僕はワクワクしながら、渡された本を開く。
しかし、それから先の僕の記憶は途切れてしまっていた。
「……という訳なのよ、父さん」
「ふむ……」
父さんの書斎で、私と父さんは二人揃って事件の概要が書かれた紙をじっと睨めっこしながら雑談をしていた。
「なかなか面白そうな事件に巻き込まれましたね。私なら喜んで筆を取って一作書いてしまうような案件ですよ」
父さんも何だか嬉しそうに、万年筆を取り出し、紙に『動機』、『凶器』、『背景』というキーワードを書き込んでいく。
「父さんも楽しくなるなら、私がはしゃいじゃうのも無理は無いよね?」
私がそういうと、父さんはおでこにデコピンをかましてきたのだ。
「イタッ」
「ゆーちゃん、それとこれとは話が違いますよ。変に首を突っ込んでしまって、ゆーちゃん達に何かあったら、天国に居る沙織さんに顔向けできませんから」
沙織って言うのは、私が幼稚園に入りたての頃に病気で亡くなった母さんのことだ。父さんは今でも母さんのことを溺愛している。その証拠に、母さんの遺灰を加工したセラミックを練りこんでいる、ブレスレットを肌身離さず身につけているほどだ。
「危ないことをしないって。それに、もし私が死んじゃったら、誰も梨緒のことを止められないし」
髪の毛先を指で弄びながら言うと、父さんはため息をついた。
「ゆーちゃんは、りーくんを子どものように扱うのはそろそろ止めた方がいいと思いますよ?」
「え? なんで?」
私は父さんの言ったことを心底理解することは出来ず、聞き返す。
「りーくんはもう大人なんです。それなのに、いつまでもゆーちゃんがそうやって彼を縛り付けたままだと、いつまで経っても心の方が成長できませんよ」
「でもさ、今回の件だって、先輩の遺体を見た瞬間にヤバイ状態だったんだよ? そんな状況に陥ってしまう梨緒を野放しにしろって、父さんは言いたいの?」
私は納得がいかず、食い気味で父さんに質問を返す。父さんは、まぁまぁ落ち着きなさいと私を宥めながら答える。
「別に、今すぐ全部お世話するのをやめなさいと言っているわけではないんですよ。少しずつでいいのです。少しずつ、りーくんの自由にさせてあげなさい。それが、りーくんの今後の為にもなるのですよ」
「梨緒は私が居ないとダメなのに……」
その考えがダメなんです。と再び父さんにデコピンと食らわされる。
「ゆーちゃんも、りーくんを守ろうとする余り、りーくんに依存している性格を治していかないといけないかもしれませんねぇ」
「嫌よ。だって、私は……」
“その為に生かされているのだから”という言葉を言いそうになって慌てて飲み込んだ。いざ言ったところで、どうせ父さんには理解できないだろう。
私と梨緒の約束なんて。
「ま、可能な限り努力してみるわ。それにしても、話は最初に戻るけど、先輩の相談事ってなんだったと思う?」
これ以上私と梨緒についての会話なんて不毛なので、話題を事件の方に切り替える。
「そうですねぇ、話でよくありそうなのは、恋愛関連のものでしょうかねぇ。偏に恋愛といってもバリエーションが豊かですから」
父さんはまた万年筆で、『浮気』・『痴情の縺れ』・『結婚適齢期』など恋愛に関するキーワードを書き込んでいく。
「恋愛関連かぁ。私達二人にするような話かしら?」
「傍からみれば、ゆーちゃんとりーくんは付き合っているように見えますからね。しかもかなりラブラブの。ブハッ」
父さんが嬉しそうに言っている中、私は父さんの顔面目掛けてクッションを投げつけ、見事に命中する。
「なんつー事を言ってるんだ。私は梨緒に恋愛感情なんて断じてない! 断じて!」
「あらあら、顔が真っ赤ですよー。例えばの話なのに、そんなに熱くなっちゃって。可愛いですねぇー」
息を荒げながら力説する私を見て、父さんは呑気に笑っている。この変人クソ親父が。
「でも、いつもくっついて行動しているのですから、周囲の目というものはそんなものですよ。ゆーちゃんがいくら否定しているとしてもね?」
フフフと笑いながら、父さんは用意していたブラックコーヒーをすすり、喉を潤してさらに話を続けた。
「まぁ、ゆーちゃんの場合、否定すればその通りになるかもしれませんが、それはとりあえず置いておきましょう。恐らく、睡眠薬というのは彼氏さんの所持物でしょう。彼の名前をテレビで一度拝見したことありますが、精神的負担の為に引退を決めたと当時のニュースで騒がれたので、今も通院されているのでないでしょうか。それに、ゆーちゃんの話をうかがう限り、彼はその三上さんにかなりの依存をなさっているみたいですねぇ。もしかすると、三上さんも彼に依存していたんじゃないでしょうか?」
父さんは“共依存の可能性”と書いて、ぐるぐると万年筆で丸を囲っていく。
共依存。自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存している状態。
まるで、私みたいじゃない。
「共依存ねぇ。だとしたら、それ関連の話題を私達に振ろうとしたのかもしれないってわけね。先輩もかなりの難題を私達に吹っかけようとしたわね」
ま、その難題も吹っかけられる前に露と消えてしまったわけだけども。
「あくまで私なりの予想です。捜査が進めば次第に明らかになるでしょうから、ゆーちゃんは大人しく見守っていればいいんじゃないですかねぇ?」
父さんはそう言って、テーブルに散乱した物を片付け始めた。
「さ、今日もそろそろ夜が深くなります。寝ましょう。夜更かしは役者には敵ですよ?」
「うん。そうする。父さん、話を聞いてくれてありがとう」
私も持ってきたマグカップを持って立ち上がる。
「親として当然ですから。おやすみなさい」
父さんは優しく笑った。
父さんからの書斎から自分の部屋へ向かう道中、自分なりに推理をしてみる。
栗林は先輩が私達に相談する内容を知り、逆上でもして先輩に手をかけた?
もしかして、相談事は関係ないもしれないけれど、私にしては結構いい線をいってるんじゃないかしら。
さて、明日は警察署へ行って情報収集してやろうかしらね。父さんは大人しくしてなさいって言っていたけど、大人しく待ってなんて居られない。
どうせなら、私達で解決してあげようかしら?
そんな事を思って廊下を歩いていると、梨緒の部屋から唸り声が聞こえる。
「まだ、梨緒のやつ起きているのかしら?」
私が軽くノックをして入ると、部屋は真っ暗で、ベッドでかなり魘されている梨緒の姿が見えた。
「あら、かなり魘されているみたいね」
無理も無いか、今日一日で沢山のことが起きたのだから。梨緒の脳内が上手く処理しきれていないのかもしれない。
私が物音を立てないように近づき、そっと梨緒のおでこを撫でようとした時、
「ゆぅちゃん、ごめんな……さい……、僕のせいで……僕のせいで……」
そう寝言を呟き、一筋の涙が流れる梨緒。
「またあの時の記憶か……」
私は、ゆっくりと屈み、梨緒の頭を優しく撫でながら囁く。
「私は気にしてないから大丈夫よ。今はゆっくり眠りなさい。朝まで、おやすみ」
すると、魘された梨緒の呼吸が次第に穏やかになってくる。そして、深い眠りへと入った。
「これで大丈夫ね。ん?」
暗い部屋に目が慣れたところで、梨緒の机の上に何かが置いてあるのを見つけた私は、そっと机へ近づき、ソレを手に取った。
よく見たら、今回の事件の概要を梨緒なりにまとめていたものだった。
「こんなものまで書いて、だから夢見が悪くなるのよ」
持った紙をクシャっと丸めて捨ててしまおうかと考えたが、朝起きたら梨緒が泣いて迫ってきそうな予感がして、元の場所へと紙を戻す。
「梨緒も梨緒なりに考えていると言うわけか……」
父さんに言われた、『少しずつ、りーくんの自由にさせてあげなさい』という言葉が脳裏をかすめた。
そんな事を考えながら私は欠伸を漏らす。いけない、そろそろ本当に寝なきゃ。
私はそっと梨緒の部屋から抜け出す。
「そんなに考え込まなくていいのよ、梨緒。私が貴方を絶対に不幸にさせないから」
私はそう呟いて、梨緒の部屋から出て行った。
「さぁ、絶好の捜査日和ね!」
朝、雲ひとつない青空。絶好のお出かけ日和。
意気揚々と紺に赤色チェックのチュニックワンピにベージュのキュロットパンツでキメた私は、警察署に向かって歩いていく。
「え、警察署に行くの?」
今、今日の予定を聞かされた梨緒は嫌そうな声をだした。
「行くわよー。進展を聞かなきゃいけないし」
私は大きな籠バックをブンブンと振り回しながら軽い足取りで歩いていく。
「進展って。今朝、静さん言っていたじゃない。警察の動向を見守りましょうって」
「そんなこと言ってたかなぁ? 私は知らないなぁー」
私はとぼけた様な声で笑った。
確かに、朝、父さんは『くれぐれも督くんのお仕事の邪魔をしに行こうだなんて考えちゃダメですよ。警察の動向を見守りましょう』と念を押された。
しかし、そんな事知ったこっちゃない。
「叔父さんにバレなきゃいいのよ」
「えー、バレ無きゃいいの? そんなに上手くいくのかなぁ……」
「大丈夫だって」
私は、そう言いながらスマホである画面を梨緒見せる。
「叔父さんは、今聞き込みの真っ最中だから!」
画面には先輩のマンションの付近の地図に浮かぶ赤い印が一つ表示されていた。
「……まさか、発信機か何かつけたの?」
「ご名答。昨日叔父さんのベルトに忍ばせておいたの」
昨日、警察署へ取り調べする前にコッソリと叔父さんの背中に回りこんでベルト部分に貼り付けておいたのだ。事件が起こればなかなか家に帰れない。だから、まだズボンに付いたままだと予想したら、ちゃんと発信機は叔父さんの場所を克明に知らせてくれていた。
「さて、叔父さんが帰ってこないうちに仕事をしないとねぇ」
私が企むような笑みで笑うと、梨緒が若干だが引いたように見えた。
「有加、怖い」
「え、怖く見える? 演技が身に付いたと捉えて、私もそろそろ生身の人間の役でも挑戦しようかしら?」
私がそういうと、事務所の人に許可取らなきゃダメだよー、梨緒は焦っていた。もちろん、冗談だ。
梨緒は私が死体役専門しか許されていないという本当の理由を知らない。事務所が余りにも私の演技が下手だから許可をしていないと思っているのだが、実は違う。
梨緒は一生知らない方がいい話だ。
「さて、そうこうしている内に、着いたわね」
警察署。受付で、叔父さんではなく、叔父さんの部下の人を呼んでもらう。
数分後、待合室へ叔父さんの部下の一人である妹尾さんが出てきた。
「すいません、司馬先輩も同期の児島もちょっと聞き込みに出払っていて、代わりに僕が。今日は何の御用でしょうか?」
目を爛々と輝かせて私達に挨拶をする妹尾さん。これは、すぐにバラしてくれそうな人だわ。
「叔父さんにちょっと昨日の御礼を言いに来たのですが、そうですか。居ないですか……、ちょっと残念です。ちょっと、頼みたいこともあったのに……」
私がしゅんとした顔をすると。妹尾さんは、
「ぼ、僕でよければ、聞きますが」
と食い気味に答える。
かかった。
「えっと、事件のことについてなんですけど、先輩の日記帳か手帳のコピーなんか貰えませんか? お願いします」
私が両手を合わせて頼み込む姿を梨緒は驚愕しつつ止める。
「ダメだよ。そんな、事件に関連する資料を貰うだなんて……」
「いいですよ。コピーですね」
妹尾さんはニッコリと承諾する。その状況を目の当たりして梨緒は
「え? どうして?」
驚きの表情のまま、硬直していた。
「大量大量っと」
警察署から歩いて10分のところにある喫茶店。
その店の中で、さっき叔父さんの部下の人から貰ったコピーを広げながら有加はニヤニヤしていた。
それにしても、簡単に遺留品のコピーが手に入ることに僕は未だに信じ難い気持ちだった。
「有加は、あの刑事さんと知り合いだったの?」
「いや。昨日が初対面だけど、どうしたの?」
貰ったコピーから一切僕の方に目を向けることなく、有加が答える。
では、なんで重要な証拠品のものをコピーとは言えど、易々と貰えたのだろうか?
「ちょっと、梨緒。折角資料を貰ったんだから、この半分を読むの手伝ってよ」
そう言って有加は、僕に向かってコピーの束を寄越してきた。
今は、先輩の事件のことが最優先なのだけれど、僕は先ほどの警察署の出来事ばかりが気になって仕方ない。
「あの部下の人、僕達にコピーなんか渡して、叔父さんに怒られないだろうか?」
僕達のせいであの人の今後の仕事に影響してしまっては、本末転倒だ。
「大丈夫だと思うわよ。報告する前にきっと忘れちゃうだろうし」
「え?」
呑気にアイスティーを飲みながら答える有加。忘れるってどういうことなのだろう?
「細かいことはどうでもいいのよ。全部丸く収まればそれで。さ、梨緒もノルマをこなして」
ずずいっと、コピーの束を僕に押し付けられる。
「いいけど、今日、大学の講義あったよね? 確か、日本史と考古学が。そろそろ大学に向かわないと遅刻しちゃうよ?」
僕は腕時計で時刻を確認する。時刻は11時すぎ。二つとも午後から講義だけど、そろそろ大学へ向かわないと間に合わなくなる時間になっていた。
「今さっき、大学からお知らせメールで臨時休講になったらしいから今日は講義無いわよ」
有加は重大なことをさらっと言い放つ。
僕も携帯でメールフォルダを確認する。有加の言うとおり、臨時休講のお知らせが入っていた。
「恐らく、報道陣が大学にでも押し寄せたんじゃない? だから、こうやって時間を気にすることなく、考察が出来るってわけよ」
有加はカバンからペンケースを取り出し、気になっている言葉に黄色の蛍光マーカーペンで線を引き始める。僕も仕方なくコピーの束に目を通して、有加と同じ様にマーカーで線を引いていく。この一連の作業に何故か懐かしささえ覚えてくる。
「あ、コレ見て」
有加は1枚の紙を僕に見せる。
「ん、コレ何?」
僕は、紙にマーカーで線を引かれている箇所に注目する。そこには、先輩が書いたと思しき字で15箇所ほどの電話番号が記されていた。
「全部、芸能事務所の電話番号ね。有名どころや私の所属している事務所の電話番号も書かれているし、間違いないわね。あと、こっちには、スポーツ関連雑誌の編集部の電話番号も」
有加はもう一枚の紙も僕に渡してきた。その紙の方には、雑誌名と電話番号が記載されていた。
「……先輩はスポーツ業界でも進出しようとしていた訳じゃないよね?」
僕の質問に、冷ややかな目で有加が見つめる。
「梨緒、それ本気で言ってる? 本気だったら病院へ行ったほうがいいわよ?」
「いえ、冗談で言いました!」
僕が慌てて答えると、有加はアイスティーを飲みきって、
「きっとこれは、先輩の彼氏の栗林に仕事を斡旋してあげるつもりだったのよ。総合格闘技の選手だったみたいだから、バラエティとかでも使えるし、例え精神的苦痛とかでテレビ出演は無理でも、スポーツ関連の雑誌とかのライターだったら在宅で出来るから、負担も軽くなる」
「仕事を斡旋? なんで?」
「そりゃ、ヒモだったからでしょ。先輩は栗林に依存を治して欲しかったんじゃないかしら。少しでも自分の力で働けることが出来るように」
アイスティーを飲み干した有加は、今度は置かれていてぬるくなったお冷を口に含む。
「へー。で、僕らに相談したことはその斡旋の件なのかなぁ?」
「それはまだ探してるから、梨緒もモタモタしないでさっさと探しなさい」
はい、と僕は視線を急いでコピーの方に向けて作業を続行する。
それにしても、他人の日記帳や手帳を読むのはその人の心の中を読み取っているようで、悪い事をしている気がする。
読み込んでいる内に、段々とその人になっていく気さえする。
「ううっ……」
先輩の心に近くなる。
書かれている言葉の一つ一つが僕の頭の中で溶け合い、僕の中に先輩が形成されていくような気がした。
とても、苦しい。切ない。
「あー……、またか」
有加がとてもまずそうな顔をするのが見えた。どうして、僕を見て君はそんな顔をするの?
僕 が 何 か 悪 い 事 で も し た ?
「ゆかぁ……。苦しいよぉ……」
ボロボロと涙を流す僕。幸い、喫茶店には僕達しか居なくて、僕のこんな姿を見ている人は他には居なかった。
「はいはい、梨緒に読ませたのが悪かったわね。よしよし、苦しいだろうけど、何か分かったことがあったなら教えて?」
「何かコレを読んでたら……、好きなのに、突き放さないといけないっていう気持ちが湧いてきて……それで……」
「それだけで十分よ。はい、コレで泣くのはオシマイ」
有加が僕に言葉をかけると、不思議とさっきまで止め処なく流れていた涙がスッと止まった。
「あれ。止まった」
「気の持ちようの問題よ。さて、先輩の意思も汲み取ったことだし、家へ帰って父さんに手伝ってもらうわよ?」
有加はそう言って、テーブルに広げていたコピー達を急いで片付ける。
「静さんに何を手伝ってもらうの?」
僕の質問に有加はニヤリと笑い、
「ミステリーを1作仕上げてもらうのよ。梨緒が読める記念すべき第一作目の作品をね」
僕は今、静さんの書斎の扉の前にいる。
普段は有加から入っちゃダメと釘を刺されて、滅多に入ったことが無いのだが、今日は珍しく有加からの許可が下りたので、来たわけなのだが……、
絶対に有加自身が静さんに言い難い要求だから僕に押し付けたんだ。
「でも、頼まないと、ミステリーがやっと読めるのに……」
今まで禁止されていたミステリーを、ずっと憧れていた静さんが書いたミステリーを読めるチャンスなのだ。この機会を逃すわけにはいかないんだ。
「でもなぁ、静さんだって仕事で忙しいだろうし」
年に1冊のペースで刊行しているような人だ。きっと、今だって新作の執筆の真っ最中のハズだ。それを投げ打って僕のために書いてくれるのだろうか?
そんな事を考えてはノックする手が止まり、僕は入り口の前でウロウロとしてしまう。
どうやったら中に入れる口実が作れるのだろうか、と頭を抱えていると、
「物音がしたと思って来てみれば……、りーくん、どうされましたか?」
急に扉がガチャと開き、中から作務衣姿の静さんが僕の方を見てきたのだ。僕は突然のことで、まるで心臓を鷲づかみされたような心地で扉の前にへたり込む。
「ど、どうしましたか! 何処か調子が悪いのですか!?」
僕の様子に静さんも驚いて、僕の許へと駆け寄ってくれた。
「いえ、ちょっと緊張が解けたら腰が抜けて……」
僕は真顔でそう答えると、静さんはプッと噴き出した。
「おっと、笑ってしまうのは失礼でしたね。さ、中にお入り。用件を聞きましょう」
静さんは僕を介抱しつつ、書斎の中に入れてくれた。
中央に配置してある椅子に僕は座らされる。
「で、何か私にご用件でしょうか?」
「あ、あの……」
用件を言い出せない僕は、静さんの前でモジモジとしてしまうだけで、なかなか話が前に進まない。
「その手に持っているものが、用件に関連するものですかね?」
静さんは僕の手に持っている紙類を指差す。
この人には何でもお見通しなのだろうか?
「そ、そうなんです。実は、静さんにミ、ミ……」
僕は居ても経っても居られず、椅子から降りて、土下座をしながら、
「この設定でミステリーを書いてください! お願いします!」
もう、ほぼヤケの状態で、僕は静さんに頼み込む。
「とりあえず、りーくん。一先ず落ち着きましょう。貴方も私の家族の一員なのですから、そんなに他人行儀に土下座しなくていいのですよ? それをやって、大いに喜ぶのはゆーちゃんくらいですから」
静さんはそう諭しながら、僕に椅子に座るように促した。確かに、僕が土下座したら有加はテンションが上がりそうな気がした。
「静さんのお手間を取らせるのは分かっていますが、僕の憧れである静さんの話が読みたいのです、大丈夫でしょうか?」
僕のお願いに静さんは優しく微笑む。
「ちょうど新作原稿を書き終えて校正待ちなので、私でよければ書きますよ?」
「ほ、本当ですか? ありがとうございます!」
僕はペコペコとお辞儀を何度も繰り返し、静さんに感謝の意を示す。
「りーくんは、家族ですから。頼みたいことがあったのなら、いつでも私を頼っていいんですよ? ところで……」
静さんは、僕から渡された紙の束をチラッと見ただけで、
「この話を持ちかけて来たのは、りーくん自身ではなく、ゆーちゃんですね?」
ギクッ。
僕は、静さんに有加が書いてもらうように提案したことが瞬時にバレて、ぴたっと動きが止まる。
「え、あ……、誠もってその通りでございます」
僕はこれ以上の言い訳は無謀だと悟り、素直に有加が実行犯だってことを認めた。
すると、おじさんはハァと息をつく。
「あの子も仕方ない子ですね。りーくんも、ゆーちゃんの言いなりばかりで大変でしょうに……、いいんですよ? 嫌なら断っても」
「いいえ、いいんです。有加が僕みたいなちっぽけな存在と一緒に居てくれるだけで、それだけで嬉しいから」
有加が僕と一緒に話し、遊んで、行動してくれる。だから、毎日が楽しいし、幸せな気分になれた。
有加が僕を生に繋ぎとめてくれる。それだけで僕は満足だ。
「そうですか。でも、無理は禁物ですよ。君には君の人生がある、誰もソレを阻害することなんて出来ないのだから。おや、これは?」
静さんは一通の封筒を紙の束の中から発見した。
「あ、それは、有加からです。女優としてのリクエストを記してあるって言ってました。僕は見てないので、全然分からないのですが」
静さんは封筒をあけ、中に入っていた手紙に目を通して目を細めた。
「あの子らしい面白い発想ですね。なるほど、これは興味深いですね。流石、私の子」
静さんはそう笑いながら言うので、僕は手紙の内容が気になって仕方ない。
「なんて書いてあるんですか?」
「有加は私の書いた小説で、事件を解決するそうだよ。いやぁ、フィクションとノンフィクションの融合というわけですか。これは、腕が鳴りますねぇ」
静さんは楽しそうに万年筆を走らせる。
フィクションとノンフィクションの融合? 静さんの小説で事件を解決?
僕は静さんの言っている意図がまったく読めない。
「つまり、どういうことなんですか?」
「そうだねぇー、アリナシコンビが私の書いた小説で犯人をコテンパンにするって言ったほうが早いですかね」
「え? えぇぇぇぇえええええええ!?」
静さんの言葉に僕は椅子ごと後ろにひっくり返りそうになったのは言うまでも無い。
父さんから出来上がった小説を渡されたのが、梨緒が頼み込んで二日後のことだった。
私が朝ご飯を食べていると、父さんがクリップでとめられた紙の束を差し出してきたのだ。
「ゆーちゃん、出来ましたよ」
「え、早っ!」
私は余りの出来上がりの速さに、箸の動きを止めた。
確かに、手紙には“早めにお願いね”という注文は付けてはいたのだが、正直に言って、二日で仕上がってくるとは思わなかったのである。
「こういうものは鮮度が命ですからねぇ」
「食材じゃないんだから……どれどれ……」
私は受け取った束をペラペラと捲って、中身を確認した。
私が作成した事件の概要を渡してあるから、そこら辺の背景をちゃんと汲み取っていて、且つ、ミステリー作家の司馬静節が炸裂している文章になっていた。
「二日でこのクオリティは流石だわ。父さん、ありがと」
「あのような煽り文句を書かれていたら、私も本気にならねばと思いましてね」
父さんが言っている“煽り文句”とは、恐らく、『真相を父さんの手で作り出してみない?』という一文のことだろうと想像が出来た。
確かに、私が父さんにやる気を出してもらう為に書いた煽りだったわけなのだが、効果がこんなにもテキメンだったとは……、正直驚きである。
「さて、これをどうするつもりなのですか?」
父さんが答えづらい質問を投げかけるものだから、私は父さんから目線を逸らす。
「……ゆーちゃん?」
父さんが声のトーンを変えて、私の名前を呼ぶ。この落差が怖すぎる。
「り、梨緒に読ませて、あげるのよ。少しずつ縛りを外せって言ったのは父さんの方だからね」
「それはそうですけど、他に何か裏がありそうですねぇ……」
父さんは疑うような目で私を見てくる。私は必死にそっぽを向いてやり過ごすほか無い。
「まぁ、いいです。その代わり、最悪の場合は自分で後処理してくださいね」
やれやれという風に父さんは諦め顔になる。
「大丈夫よ。梨緒が傷つかないようには配慮するから」
「それならいいですが、気をつけてくださいね」
父さんは私の返事を聞くと、書斎へと戻っていった。
はぁ、ちょっと威圧感で寿命が縮むかと思ったわ、さて……。
私はいそいそとスマホで叔父さんに電話を掛けた。
『なんだ? 今忙しいんだが?』
叔父さんは若干眠そうな声で電話に出た。恐らく連日徹夜なのだろう。
「そろそろ、事件が進展してるかなぁー、と思って電話を掛けたのだけれども、その様子じゃちっとも進歩なしってところかしら?」
私が嫌みったらしく言うと、電話先では『うるせぇ』という声が聞こえる。
「まだ、栗林って警察署に居るの?」
『ん? あぁ。一応、署の拘置所に居るが確か、今日が拘留期限だったような気がするぞ。どうしたんだ?』
「ちょっと、栗林と一緒に先輩のマンションに来てくれない? 見せたいものがあるの」
私の言葉に叔父さんから『は?』という間抜けな声が聞こえた。
『お前、何を企んでやがるんだ……』
「それはね、来てからのお楽しみって事で。そうねぇ、時間は死亡時刻の13時辺りで。待ってるねー」
叔父さんがまだ何かを話していたが、そんなのお構いなしに、私は電話を切った。
それと同時に梨緒が起きてきて、リビングへとやってきた。
「有加、おはよー」
大あくびをしながらやってくる梨緒に私は父さんから渡された紙の束を突き出す。
「父さんから出来たって」
その言葉を聞くや否や、梨緒は目を輝かせて紙の束を受け取った。
「やったー。これで、憧れの静さんのミステリーが読めるぞー」
梨緒がいそいそと椅子に座って、貰った紙の束を捲ろうとした瞬間、
「待った。まだ見ちゃダメよ」
私が梨緒に待ったをかける。
「え、どうして?」
「まだ見る時間じゃないからよ。13時に叔父さんと先輩のマンションで待ち合わせしてるから、そこで読んで?」
私の説明に梨緒は意味が分からないようで首を傾げた。
「雰囲気作りよ。それで、梨緒にはソレを読んで重要な役回りをして欲しくって」
「役回り?」
「それは、13時頃のお楽しみで」
私は悪戯っぽく笑って見せた。
先輩のマンションに到着したのは、13時少し前だった。
もう、叔父さん達は到着していて、先輩の部屋も鍵が既に開いていた。
「何をする気なんだ一体。一応、連れてきたけど」
叔父さんの背後には俯いて何かブツブツと唱えている栗林の姿があった。拘留生活で完全に参ってしまっているのだろう。
「これから、推理ショーでも開こうかと思ってね、はい、梨緒、例の小説。今から読んでいいわよ」
私はそう言って再び梨緒に父さん作の小説を渡す。受け取った梨緒は渡された小説を隅々まで読み込んでいく。
叔父さんはその様子を見て、直ぐに勘付いた。
「お前、梨緒を使うつもりか」
「使うだなんて失礼な。梨緒の力で事件を解決させようとしているのに。ねぇ? 叔父さん?」
私は突っかかる叔父さんを嘲笑うように答えた。
「一体、なんの話だよお前らは。俺はこんな場所一刻も早く出て行きたい。解放しろよ!」
栗林は落ち着かない様子で私と叔父さんに訴えかける。
「栗林さん、ダメよ。ちゃんと、座って事の顛末を見なきゃ?」
私の一言で、栗林はいきなり座り込んだ。
「なんで、俺はいきなり座り込んでいるんだ! チクショウ、体がいう事を効かない」
いきなりの事態に栗林は座ったままジタバタとするもんだから、実に滑稽だ。
私がそんな状況に笑っていると、
バサッ。
梨緒が貰った小説の束を床に落とした。
その時、梨緒の表情は……、
いつもの彼とは似ても似つかないような顔に豹変していた。
梨緒はまるで、そこに座り込んでいる栗林のような顔つきになっていた。
梨緒のスイッチが入った証拠だ。
私はソレを確認してニヤリと笑った。
「さぁ。これから始まりますのは、この部屋で起こった悲しくも残忍な物語でございます。皆様、ここで起こった真実、目玉をかっぽじってよくご覧下さいませ」
私は楽しくなって、舞台の口上のような言葉を吐く。
どんなに私が喋っても梨緒はどこか一点を見つめたまま動かない。
さて、始めますか。
私は、先輩が倒れていた位置へと腰を下ろした。
すると、梨緒もヨロヨロとよろめきつつ、私の隣へとやってきたのだ。
これは、全て父さんが書いた小説に書かれている描写である。
「あのさ、話があるんだけど……」
私が小説に書かれていた通りの言葉を梨緒に言う。父さんが書いたあの小説は一通り見たときに全て暗記したので、一字一句漏らさず言えるハズだ。
「いきなり……なんだよ」
梨緒も小説通り言葉を紡いだ。
「あのね、克也と付き合ってもう長いじゃない?」
「……そうだけど、ソレがどうした」
私がモジモジしながら言うと、梨緒は素っ気なく答える。
「そろそろ、結婚とかも考えてもいいかなって。その為にはさ、資金も必要じゃない?」
私は懐から自分の手帳を梨緒に見せた。もちろん、手に入ったコピー通りの電話番号をそのまま記して……。
「克也もそろそろお仕事再会してみない? このままじゃ、克也がダメ人間になっちゃうような気がして」
「別にいいだろ、俺のことなんて! ほっといてくれよ」
梨緒は私の手帳を取り上げると、隅の方へ投げつけた。
いつもの梨緒なら絶対にありえない行動。
そう。梨緒は今、“父さんの作った小説の中の栗林克也”になりきっているのである。
コレが梨緒のヒミツ。
彼は、他人の感情を己にトレースすることが出来る。それが、現実の人物であれ、架空の人物であれ、多種多彩だ。
なので、物語の中に一度入り込んでしまうと、キャラになりきってしまい自分の自我が消失してしまうのだ。
そして、そのせいでアノ事件が起こってしまって、梨緒は今日までミステリーを読むのを禁止されていた訳だ。
私の手によって。
「まだ、精神的に負担が大きいのなら、在宅でライターっていう仕事もあるんだよ。克也、格闘技してたから、その経験を生かして……」
「俺に構わないでくれよ!!」
梨緒は私を突き飛ばすと、ぴたっと動きを止めて申し訳無さそうな顔をする。
「文香ゴメン、痛くなかったか?」
梨緒は私に執拗に抱きついて、顔を手でさわさわと触ってくる、
「大丈夫。私の方こそゴメンね。克也の気持ちが理解してあげられなくて」
私はそう優しく微笑むと、
「やめろ! そんな顔で微笑むな! 文香と同じ様な顔で笑うな!」
外野で本物の栗林がギャーギャーと騒ぎ出す。
「すこし、大人しくしていてくださいね?」
私の指示に従うかのように、栗林は急に静かになる。
「……何か入れてくる」
栗林を演じている方の梨緒はさっきまで騒いでいた、本物に目も合わせずにキッチンへと向かい、冷蔵庫からオレンジジュースを取り出してコップに注いだ。
それから、ポケットから私が出掛ける前に仕込んでおいたピルケースを取り出し、錠剤らしきものを1錠コップに入れてスプーンで混ぜた。
「おまたせ」
梨緒は錠剤が入ったほうのオレンジジュースを私に手渡した。
「わぁ、ありがとう」
私はあたかも先ほどの梨緒の行動に一切気づいて無い様にオレンジジュースを飲み干し、テーブルの上にコップを置いた。
「……片付けてくる」
梨緒は私がジュースを飲んだことを確認すると、再び立ち上がって空のコップを持ってキッチンへと歩いて、コップを洗って食器棚へ戻した。
「うん、ありがとう。あと、15時から大学の後輩が来てくれるから会ってくれない?」
「いいけど、なんで?」
「ちょっと、私達の今後の相談でもしようかと思って……、あれ、ちょっと眠くなってきたみたい。克也、仮眠するから、1時間後に起こしてくれない?」
私の言葉に梨緒は今までに浮かべたことのない歪んだ笑みで答えた。
「いいよ。ゆっくりおやすみ……文香」
私はそう言ってから、横になって寝るフリをする。梨緒に仕込んでおいたピルケースの中の錠剤は実はタダの砂糖の塊だ。
それを本物の睡眠薬だと思っている梨緒は私が寝ているのを仁王立ちで見下ろしていた。
「文香が全部悪いんだぞ。もしかして、俺のことを愛せなくなったのか?」
梨緒は辛そうな表情でクッションを手に持った。
「俺は、お前は居ないとダメなんだ。お前が居ないと俺は……」
ゆっくりと手に持ったクッションを私の顔に近づけていく梨緒。
そして、そのクッションを力強く私の顔へと押し付けた。
苦しくて私は必死にクッションを取ろうともがくが、梨緒の何処にそんな力があったのか分からないくらい彼の力は強く、クッションが外れることは無かった。
「梨緒! 何をしているんだ、離せ!」
その異様な状況に叔父さんが飛び出してきて、必死に梨緒を止めようとするが、梨緒は未だ、私をクッションで窒息死させようとしている。
「叔父さんは止めないで! このまま続行させて」
私は必死に叔父さんに向けて訴えかける。
そう、そのまま中止させるわけには行かないのである。小説の中に描かれていることは完遂させなければ意味が無い。
「このままじゃ、お前が死ぬんだぞ!」
「私なら大丈夫だから、梨緒から離れて」
私の言葉に渋々叔父さんは梨緒から離れる。
次第にクッションを押し付ける力が強くなっていく。そろそろ頃合だろうか?
「うっ……」
私は、カクンと体を弛緩させて、倒れる。もちろん死人の演技として。
梨緒はその様子を目の当たりにして、狂ったような悲鳴を上げた。
「う、うわあぁぁぁぁあああ!!!!」
目を見開き、私の無残な姿を見る。
「文、文香、文香文香文香文香文香文香文香文香文香文香文香文香!!! しっかりしろって、おい!!」
梨緒は乱暴に私を揺さぶるが、私は微動だにしない。
「う、嘘だろ。死ぬなんて、なぁ、嘘だろ? 嘘だって言ってくれよ!!!」
梨緒がいくら呼びかけても、私は起きなかった。
すると、梨緒は部屋の引き出しから布キレを取り出して、ベッドの柱に巻きつけた。
「ゴメンな、今は自殺に見せかけてしまうけど、俺も後から追うからな」
梨緒は涙ぐみながら私が持ち上げて、巻きつけた布キレを私の首へと通し、ノートパソコンには捏造した遺書をタイピングした。
「文香、本当にゴメンな!」
もう一度、死体と化した私のことを見て、梨緒は玄関に向かって走りだした。
このままでは、逃走してしまう。そこで。
「梨緒、ストップ。眠りなさい」
私は目を急に開いて、梨緒に向かって叫ぶと、
梨緒は急に電源が切れたかのように、玄関で倒れこんだ。
混濁する意識の中、僕はアノ日の記憶が蘇る。
幼い頃、有加に静さんの本を紹介して貰って、それを渡された僕はワクワクしながらソレを読んだんだ。
すると、なんだか心の中に黒い何かが湧き出たような気がした。
それはドンドンと大きくなって、やがて僕さえ飲み込んでいった。
「りおくん、どうしたの? 難しい字なら、教えてあげられるけど?」
有加は僕がボーっとしているのを心配して覗き込んでくる。
その有加の首を急に自分の手で絞めたくなったのだ。
まるで、読んでいたミステリーの犯人のように。
僕は無言で立ち上がり、有加のその白い首に両手を添えた。
「……りおくん?」
その様子を不安そうに見つめる彼女。
不安そうな顔がたまらなくて、僕は添えていた両手に徐々に力を加えた。
「なっ……り……くん」
有加は気道を塞がれ苦しそうにもがくけれども、僕は一向に力を緩めない。
「た……すけ……て……」
彼女は涙を流しつつ、かすかな声で僕に助けを乞うけども、僕はそのまま彼女の首を絞め続ける。
やがて、彼女は抵抗する力も無く、だらんと動かなくなった。
「あ……あ……」
その瞬間、僕はハッと我に帰って、絞めていた両手を離すと、彼女が崩れるように床に倒れこんだ。
「え、ゆか……ちゃん? え? これは……僕がやったの……?」
その悲惨な現状に僕が硬直した瞬間、空に稲光が走った。
僕は、一度、有加を殺したのだ。この手で。
「おい、いい加減起きろ」
僕は有加の声で目が覚めた。
「あれ?」
気が付くと、先輩の部屋の玄関で寝転がっていた僕、一体今まで何が起こったんだ?
そういえば、僕は静さんの小説受け取って、それから……。
それから……。
それから先の記憶が無い。
「有加、僕、一体どうなっちゃったの?」
「何寝ぼけているの? 梨緒が急に玄関へ向かって走った瞬間にぶっ倒れたのよ」
『頭大丈夫かぁ?』と有加は僕のおでこにデコピンをかました。痛い。
「さて、事件は無事解明されたわよね? おじさん?」
有加は満面の笑みで叔父さんに話しかけると、
「あ、あぁ。コイツの様子をみるとそうだろうな」
叔父さんの視線の先には、何やら口を動かしつつ放心状態でいる栗林氏の姿がそこにあった。
「そういえば、言葉を封じていたっけ? 今、解いてあげましょうか?」
有加がそう言って指を鳴らすと、栗林氏は、
「文香ゴメン、俺のせいだ……」
と延々と口ずさんでいるのが聞こえた。
「あんなのを見せられたら、精神的には許容オーバーってとこかしらね? フフフ」
有加は楽しそうに笑う。その姿に背筋が凍りつきそうになる僕。
時々、有加が怖くなってしまうときがある。でも、そんな有加から離れられないほど依存してりまっているのが僕だ。
「恐らく、自殺しようとしたけど、死ぬに死に切れなかったんでしょ? 貴方の右腕、リストカットだらけだけど。まぁ、事情は署で聞いてもらってね。精々、残りの命を大切にね?」
有加の言葉に、栗林氏に何かのスイッチが入って、
「う……あ、あはは……あはは」
そして、壊れた。
叔父さんはそんな栗林氏に自分の上着を被せて、有加を睨んだ。
「有加、お前という奴は、本当に……。叔父として恥ずかしいぞ」
辛そうな声をあげる叔父さん。一方で有加はつまらなそうな顔をする。
「恥ずかしい? 私は私の思ったとおりのことをしているだけ。皆にとっては“ナシ”だとしても、私には“アリ”なことなの。誰一人、その邪魔はさせないわ。さて、」
有加は僕に手を差し出した。
「さ、梨緒、かえりましょ?」
「う、うん……」
僕は有加の手を取った。