約束していた15時。三上先輩が住んでいるワンルームマンションにたどり着いた私達は、総合玄関の前に備え付けてあるインターホンで先輩の部屋番号を入力して、ボタンを押した。
 しかし、先輩からの応答は一切ない。
「おかしいわねぇ。ちゃんと15時って約束したのに」
 一応確認として、スマホで現在時刻を確認する。15時3分、確かに約束した時間だ。
 もう1回インターホンを鳴らしても先輩は出る様子はなかった。
 私が少しイライラしていると、梨緒が私の服の裾を引っ張る。
「ん? どうしたの、梨緒」
「何かあったんじゃないかなぁ? 三上先輩って結構きっちりしている性格だから、約束をすっぽかすってことは無いと思うんだけど」
 少し不安げに答える梨緒。たしかに、自分から相談を持ちかけてきたのにその約束をすっぽかすのは、あの先輩らしくない。
「と言っても、どうやって入るべきか」
 このマンションは入り口で暗証番号を入力しない限り、エントランスの自動ドアが開かない仕組みになっている。
「こうなったら、父直伝の七つ道具で開けるしか」
 私がワンショルダーバックのチャックを開けようとした時に、梨緒が必死に私を引き止める。
「ダメだって、有加。それ犯罪だから! 正直に事情を管理人さんに話して、開けて貰おうよー」
「……確かに、それもそうよね」
 危ない危ない、危うく不名誉な称号を勝ち取りそうだったわ。私は、カバンのチャックを閉じ、管理人室へと歩みを進める。
「すみません。607号室の三上さんのお宅へ訪問する予定をしていた者なんですけど、インターホンを鳴らしても出てこなくて。ちょっと心配なので、エントランスの扉を開けて貰ってもいいですか?」
 一応大学の学生証を提示して管理人に頼み込むと、
「どうぞ」
 すんなりと、扉を開けてもらえた。
「ありがとうございます」
 私と梨緒は管理人に会釈をして、エントランスとくぐる。
 エレベーターで6階に行き、先輩の部屋である607号室へ向かう。
 扉の前で一度ノックをして、先輩の名前を呼んでみるが、やはり反応はない。
「仕方ない、強行突破かしらね」
 私はカバンから白い手袋を取り出し、ソレを手にはめる。
「ねぇ、有加。そんなもの、なんで持っているの?」
「万が一のときの為って、父さんが持たせたのよ。梨緒のカバンの何処かにも入っているはずよ、確か」
 私がそういうと、梨緒がガザゴソと自らの水色の2WAYカバンを漁る。すると、奥のほうから白い手袋が出てきた。
「あ、本当だ。何時の間に……」
 梨緒が手袋を持って驚くのを余所に、私はレバー状のドアノブに手をかけ、ゆっくりとレバーを下に下ろして引いた。
「……開いてる」
 ドアが開いた。隙間から先輩の部屋を覗き込むと、奥の方にだけ電気が付いていて、他は静寂そのものだった。
 さて、部屋を覗き込んでいる私達を他の部屋の住民が見たら絶対に通報されそうなので、さっさと入ってしまおう。
「お邪魔しまーす」
「えっ、中に入っちゃうの?」
 少し入ることに抵抗をする梨緒の手を引っ張って、私は先輩の部屋に入った。
 薄暗い玄関で靴を脱いで、ゆっくり静かに歩みを進める。
 電気が唯一付いているところが近くなると、誰かの足が覗いているのが見えた。
 その足を見て、梨緒が歩みを速め、その足の方へ近づく。
「三上先輩、インターホン鳴らしても出ないって……っ!!」
 梨緒は何か驚いた様子で、しりもちをついた。
「梨緒、どうしたの?」
 私はしりもちを付いた梨緒のもとへと駆け寄ると、そこには、
 ベッドの柱に布を括りつけ、その布を首に巻きつかせ、床に倒れる先輩の姿があった。
「どうりで」
 冷静に倒れている先輩を見ている横で、梨緒は尋常ではないほどの冷や汗をかいて、呼吸が次第に荒くなっていく。
「梨緒、大丈夫?」
 梨緒の背中をさすって落ち着かせようとするが、呼吸は荒いまま。目の焦点も次第に合わなくなってきた。
 この状況では流石にヤバイか。
 私は梨緒に優しく抱きつき、背中をさすりながら耳元で優しく囁く。
「梨緒、ゆっくり目を閉じて、大きく息を吸いなさい。そうすれば、何も見えなくなるから」
 梨緒は私の言うとおりに、ゆっくりと目を閉じて大きく息を吸った。すると、梨緒の意識がなくなり私の方に体重を預けてくる。
「全く、梨緒は私が居ないと本当にダメなんだから」
 梨緒を近くの壁にもたれさせ、私はスマホを取り出し、電話帳から『叔父さん』を選び、電話を掛けた。
「あ、おじさん?」
『有加か、いきなり電話なんて掛けてきてどうした? 仕事中だから送迎なんて出来ないぞ?』
 電話先の声は面倒くさそうに低い声で応対をする。
「刑事の叔父さんにうってつけのお仕事があるんだけど?」
『……どういうことだ?』
「死体を見つけちゃった」
 私が無邪気に答えると、電話先から耳が劈くような声で、
『はぁぁぁぁああああああ???』
 と叔父さんの叫び声が聞こえた。
「ということだから、急いで来てねー。あ、場所は警察に通報しておくから、じゃあねー」
 まだ電話先の叔父さんは話している途中で、私は電話を強制的に切る。
「さて、警察に通報……ん?」
 私は、倒れている先輩の横にノートパソコンが開いた状態で置かれているのが気になって、ゆっくりと近づき手袋をしている方の手で電源ボタンを押す。
 すると、メモ帳画面が表示され、

『私はもう疲れました。 楽になろうと思います。 ごめんなさい。』

 という文章が表示されていた。所謂、遺書というやつだろう。
「……こんなチープな嘘で私の目が誤魔化せると思ったのかしら?」
 ある確信を持った私は、その文章を見てニヤリと笑った。

「はぁ……」
 私が警察に通報後、父さんの弟に当たる、督(すすむ)叔父さんが部下数人を引き連れて先輩の家へ上がりこむ。
「どうしたの叔父さん、ため息なんてついて」
 鑑識や部下の刑事さんが捜査をする中、先ほどから叔父さんは重いため息ばかりついている。
 私が訊ねると、今度は内ポケットからハンカチを取り出して、目から出た涙を拭う動作をし始めた。
「あ。もしかして、捜査に貢献する姪の姿がうれしいとか!」
「んな訳あるか。ううっ、有加のこんな姿を兄さんに見せられない。怒られる」
 叔父さんは、父さんに頭が上がらない性格である。しかも、私が暴走しないように見守って欲しいという余計な約束をしている為か、私が警察のお世話になりそうなことを仕出かすと、怒られると戦々恐々としているのだ。
「私は、先輩と約束があって梨緒とここに来たんです。いくらインターホンを鳴らしても出てこなかったら、こうして訪問したら、このザマで」
 私は担架で運ばれていく先輩の遺体を指差した。
「んで、梨緒の奴は伸びていると」
 叔父さんは呆れ顔で壁にもたれかかっている梨緒に視線を移動させる。
「伸びているというか、いつものアレよ。それで、気絶しているわけ」
「アレねぇ……」
 事情を知っている叔父さんは“やれやれ”とでも言いたげな表情をした。
 梨緒についての事情を知っているのは、私と父さん、あと叔父さんの3人のみである。だから、大体“アレ”というと通じるのである。
「本当に梨緒は私が常に見ておかないと何をしでかすか分からないからね」
「おい、有加。それは……」
 おじさんが話している最中で、叔父さんの部下の刑事が叔父さんに話しかけてくる。
「司馬さん、現場のノートパソコンに遺書らしきものがありますし、自殺の線が濃厚なんじゃないですかねぇ……」
「検死結果を見ないことには分からないからな、そう易々と結論を出そうとするな児島」
「し、失礼しました」
 児島と呼ばれた部下の刑事さんは叔父さんに謝罪をする。
 たしかに、自殺と断定するのは早すぎる。私が見る限りこれは……

 自殺なんかではないのだから。

「有加、何か言いたげだな」
 叔父さんは何やら勘付いて、私に訊いてくる。
 私は話を振られ、胸を張ってドヤ顔で答える。
「フッフッフ、叔父さん。この業界長いと、死体が煩いほどに語りかけてくるのが分かるのよね」
「この……業界ですか?」
 横にいた、先ほど謝罪していたのは違う刑事さんが私の発言を聞き返す。
「あぁ、有加はサスペンスドラマで死体役専門の役者なんだよ。一度は見たことあるだろ? ホラ、あの、刑事ざっくバランシリーズとか」
 叔父さんは、私の出演作を例にだして説明をする。刑事さんは何かを思い出したようで、ハッとした表情が飛び出す。
「あー! 僕、見たことありますし、そのシリーズ好きです。確かに、何処かで出ていたような気がしますねぇ……」
 刑事さんは私の顔をまじまじと見つめる。
「まぁ、死体役の時は結構な化粧をして個々のキャラを作っていますから。さて、話を戻すけど、この事件は自殺じゃなくて他殺のような気がするのよねぇー」
「その根拠はなんだ?」
「まぁ、検死に持ってっちゃったから現物が無いから何とでも言えると思うけど、第一にベッドの柱に布を巻きつけたことによる首吊り自殺と仮定したとしても、恐らくあの死体、首吊りの特徴である首の骨が折れてないはずよ。それに、失禁もしていなかった。それと、一番重要な点は……」
 叔父さんは私の話の続きが気になって、ゴクリと息を呑む。
「本来首に布の痕が付くはずなのよねぇ、首をつったとしたら。一応、叔父さん達が来る前にパッと見たけど、ソレがなかった」
「なるほど……、って遺体を触ったのか」
「触るわけないじゃない。ちゃんと、警察様の捜査がしやすいように何も動かず触らずでおりましたよっと」
 私の答えに叔父さんは『それなら良し』と頷く。
「どうせ、これから私達にも事情聴取するんでしょ? その前に、梨緒を起こさなきゃ」
 私は熟睡している梨緒に駆け寄り、体をゆさゆさと揺らすが、寝息を立てたままビクともしない。
 これは、久々にやりすぎたかな?
「しゃーない……、梨緒、許せ」
 私は梨緒の右頬に向かって思いっきり、

 バチーン!

 とビンタを食らわせた。
 大音量の破裂音が部屋に木霊し、捜査をしている全員が一斉にコチラのほうを振り向く。お願いだからこっちを振り向かないで、恥ずかしい。
 一方の梨緒はというと、
「いったーーーーーーい!」
 ビンタの破裂音の後から来る激痛に頬を触りつつ飛び起きた。
「おはよ、梨緒」
 私はニッコリと梨緒に笑いかけるが、
「おはようじゃないよ! ゆぅかー、ひどいよー。ほっぺを思いっきり叩くだなんて。僕のほっぺ、取れてない? 大丈夫?」
 梨緒は大粒の涙をポロポロと流しつつ、私に訴えかける。
「取れたら一大事じゃない、取れてないから大丈夫よ。それより、ここからが一大事です」
 私は一段と真剣な顔つきで梨緒に報告をすると、梨緒は『へ?』と間抜けな声を発する。
「私と梨緒はこれから警察へ行って、取調べを受けます」
「えっ!?」
 梨緒は驚きで目を丸くした。

 私達二人は叔父さんに警察署内の会議室に通された。
 結構な広さの場所に通されて私は愕然とした。
「え、ここで事情聴取するの?」
 てっきりドラマで見られるような取調室でやるものだと思った私は、落胆の表情を叔父さんに向ける。
「なんだその目は」
「だって、折角警察署で取調べなんだよ? 誰しもが一度は憧れる取調室で、カツ丼を出されてお涙頂戴で自供するとかやってみたかったのに」
 私の言葉に、叔父さんと梨緒が二人揃って冷ややかな視線を私に送る。
「有加、それは何か違うと思う」
「そうだぞ。今回は別に何かを犯したわけじゃないから自供しなくていいだろに。それに、カツ丼は頼んでもいいけど、きちんと代金を請求するからな。あと、会議室にしたのは取調べ室が先約で使えないからだ」
 ドラマとはかけ離れた現状にややショックを受けながらも、部屋に先約が居て使えないのなら仕方ないわね。
「先約ってまさか、先輩の事件の容疑者とか」
「……それは教えられない」
 叔父さんはそう目線を逸らした。その顔には夥しい量の冷や汗が滲んできた。
 私が正解を言い当てると、叔父さんは大体こんな感じで冷や汗を出しながら目線を逸らす。きっと、容疑者を集めて取調べをしているのだろう。
「さて、そろそろ私達も取り調べというか聴取しましょ。時間が勿体無いし。それに……」
 私は会議室へ入り、置かれている机の上に座り、不敵に微笑んだ。
「叔父さんがどれだけ私の尋問に耐えられるか、見てみたいし?」
 私の笑みに、叔父さんは重いため息を一つつき、
「……これだから、お前と話すのはとてつもなく嫌なんだよ……」
 と肩を落とした。

「改めて聞くが、お前らは遺体で発見された三上さんと相談事を聞くという約束はしたが、肝心のその内容は全く教えられてなかったんだな」
 叔父さんが紙コップに麦茶を注ぎながら私達に訊ねてくる。
「そうです」
 梨緒は麦茶を受け取り、飲みながらウンウンと頷く。
「先輩から大学の談話室で相談事を持ちかけられたけど、肝心の内容は一切何も言ってなかったわねぇ。警察は、そこらへんは何か仕入れているの?」
 私も麦茶を受け取り、ぐいっと飲んで喉を潤す。
「こっちも皆目検討が付かなくてな。容疑者数名は洗い出せたが、彼女が何を相談したかったかについては不明のままだ」
「ふーん」
 私は紙コップの縁を人差し指でクルクルとなぞりながら、話半分で聞く。警察も、分かってないのなら聞く価値すらないような気がした。
「ただ……」
 叔父さんはつい口を滑らしてしまったとばかりに、慌てて口を手で覆った。
「ただ、何かなぁ、叔父さん? 続きを言ってご覧?」
 その発言を聞き逃さなかった私はニヤニヤと笑いながら叔父さんに言い寄る。叔父さんは手を押さえたまま首を横にぶんぶんと振る。
 私はあまりにも叔父さんに拒絶されたのがショックで、すこししょぼくれた顔になってしまう。
「言うのが嫌ならいいわ。その代わり、そろそろ検死結果が出たでしょ? そっちを教えてよ」
「そんな顔をするなよ。そっちのほうは教えてやるから」
 しょぼくれた私の顔を見て罪悪感が芽生えたからなのか、叔父さんはあっさり、検死資料を取り出した。
「督叔父さん、有加をあまり甘やかせちゃダメだよ」
「梨緒は私の父さんみたいなことを言わないの。そんなことより、検死結果を見せて見せて!」
 叔父さんから検死結果が書かれている資料をぶんどって、読み進める。
 どうやら、先輩の死因は窒息死。あと、体内からは睡眠薬の成分が検出されているらしい。
 死亡時刻は凡そ13時辺りではないかという推測がされていた。
「私達が来る2時間前か。それにしても、窒息死と体内に睡眠薬の成分ねぇ……」
「睡眠薬の大量服用で舌が弛緩して、息が出来なくなったとか」
 私が次の資料をぺラッとめくると、今度は現場の遺留品等の配置が書かれている紙が出てきた。
「パッと見、睡眠薬っぽいものが書かれている様子も無いし、何かに混ぜて飲んだとしても、コップの一つも机の上に置かれてないっておかしくない?」
 叔父さんにその紙を指差しつつ、疑問点を指摘する。
 書かれている資料には、先輩の周囲にコップもペットボトルの一つも転がってないのだ。
「たしかに、食器の類いが一つもテーブルに置かれてないっていうのが気になるな」
「自殺だったとしても、律儀に睡眠薬を飲んでコップを食器棚にしまって、眠るように死んだってこと? なんか、無理があるよね」
 梨緒もその紙に書かれている文章を目で追いながら、話に加わってくる。
「現場に飲んだはずの睡眠薬が無い、食器も綺麗に片付けられている。これは、確実に他殺だと思うわ。先輩の遺体もそう喋っているはずだわ。煩いほどにね」
 死体は一見無口だが、実は、煩いほどにお喋りを繰り返している。
 当然のことながら死んでいるのだから、声として発してはいないが、それは例えばダイイングメッセージであったり、死因であったりと様々だ。

 まさに、“死人は口ほどにモノを言う”。

「やはり何者かが睡眠薬を持ち去ったとしてみた方がいいのか……。可能なのは一人だけ居るんだ」
「え? だれ? だれ?」
 私のキラキラした眼差しに、しまったという顔をする叔父さん。
「そろそろ、言って貰わないと、私も本気になっちゃうかもよ?」
 ニコッと笑うと、叔父さんは観念して、容疑者の名前を言ってくれた。
「三上さんが付き合っていた彼氏だよ」