なんだか、長い夢を見ていた気がする。

「……い。おいってば、いい加減現実に帰ってこい。おーい」
 肩を強く揺すられ、僕、南港梨緒はハッと我に帰る。
「あれ? ここは?」
 僕がキョロキョロと観察してみると、僕の周りを様々な人が行き来していて忙しない。はて、僕はこんなところで何をしていたのだろうか?
「現実逃避のついでに一時的な記憶喪失かい? はぁ、全く。君はね、今まで呆けていたんだよ、この撮影スタジオで」
 そう告げる、長い黒髪の女性。よく見ると、服装はズタボロで血に塗れていた。
「にゃっ!? ゆ、有加、大丈夫なの? その格好」
 僕から有加と呼ばれた、女性は少し服装を気にしながら、ムスッとした態度をとる。
「今回は、めった刺しにされる女子大生の役だからね。これくらいのズタボロ加減じゃないとテレビ的にインパクトに欠けるんだってさ。それにしても、私の死体役シーンを見てどんな妄想をしていたのよ、梨緒」
 そういえば、僕は有加の付き添いとしてこの撮影現場にきたのだった。
 そして、彼女の死体役のシーンを見て、脳内でミステリーにうってつけな話が浮かんだのだっけ?
 僕は、有加から訊かれて、少し恥ずかしそうに頬を掻く。
「えーっと、恋愛の末に、恋人に手をかけちゃう。犯人の描写を少々……」
 僕の答えに、有加はため息を漏らす。
「えっ。なんで、僕の話でため息なんてついたの?」
「梨緒って、空想癖本当に激しいわよね。それに、ミステリーものを読むのを禁止されているのに、そこまで考えちゃうのが逆に凄いわ。逆に」
「うっ……。そろそろ、解禁してくれない? その縛り」
 僕は諸般の事情で、ミステリーものを読むのを禁止されている。僕は読みたくて仕方が無いのだけれども、有加がそれを許してくれない。
「ダメに決まっているでしょ」
「僕が有加のお父さんみたいなミステリー作家になりたい為に、ミステリー読んで勉強したいっていっても?」
 有加のお父さんは売れっ子のミステリー作家で、僕はそれに憧れる作家志望。なのに、ミステリーを読むことが出来ないだなんて本末転倒だろう。
「読むのはダメだけど、こうして勉強のために、こうして生のサスペンスドラマの現場に連れてってあげているんじゃない」
 そうプンプンと有加が怒っている中、すらっと背の高い男性が現れた。今回撮影したドラマのプロデューサーだ。
「司馬さん、死体役おつかれさまでした。リテイクは無いので、このまま上がってもらって構いませんよ。いやぁ、何時見ても素晴らしい死体役でした。いやはや、司馬先生の娘さんがこう体を張って演技してくれると、ドラマも映えますよ」
 素晴らしい死体役とはどんな感じのモノなのだろうというツッコミを僕がしている中で、有加は、ありがとうございます。と頭を下げる。
「父親がいつも言っているんですよ。役者としての技能を磨くには、まず死体役で一流になりなさいって」
 有加の父親はかなりの変わり者だ。有加はその性格を確実に遺伝していると僕は思っている。
「なるほど、流石司馬先生だ。えっと、付き添いの方だったよね? 目に眼帯をしているようだけど、ものもらいか何か?」
 プロデューサーは僕のことをじっと凝視して、眼帯をしている僕の左目を指差した。
「え、えっと……」
 僕が上手く説明できなくてモジモジしていると、すかさず、有加のアシストが入る。
「梨緒は小さいときに、薬物の副作用で眼球が溶けたようになって、失明しちゃったんですよ。だよね?」
「う、うん」
 僕は有加の説明をこくこくと頷きながら、眼帯を触った。子どものころに処方された薬の飲み合わせが悪かったらしく、過剰反応で失明してしまったのだ。
「おっと、それは聞いてすまなかったね。てっきり、そういうファッションだと思ってしまったよ」
「まぁ、中二病になりそうな感じはしますよねー」
「有加、それ、どういう意味?」
 僕が睨みつけると、有加は悪い悪いと片手で軽い感じに謝る。
「話は戻るけど、司馬さんがあれくらいの素晴らしい演技が出来るのなら、今度から普通の役もやってみたくないかい? 今度またキャスティングする時にでも」
 プロデューサーの誘いに、気まずそうに有加は目線を逸らす。
「あー……、事務所から言われていると思うんですけど、私、生きている人の演技がどうしてもぎこちなくて、事務所NGなんですよねー」
「そう、それが気になったんだよ。そんなに下手なの? ココに台本あるからさ、やってみせてよ」
 プロデューサーはそう言って、とあるページのシーンを開いて有加に渡す。有加も困った表情で台本を受け取り、一通り、目を通す。
 そして、まるで、ロボットがダンスを踊っているかのように動き始め、
「ハ、ハンニン、ハ、コノ中ニいりゅー!」
 と、まるで片言を話す外国人のような口調で台本にあった台詞を言ったのだ。
 この様子に口をあんぐりとさせるプロデューサー。
「い、いきなりの役は緊張しちゃうよね……。あ、そろそろ僕は別のシーンを撮りに行かないと、じゃあ、司馬さん、次の役も期待しているからね」
 なんだか気まずくなったプロデューサーは、有加から台本を受け取ると、そそくさとスタジオから立ち去っていた。
「有加、今のワザとでしょう?」
 僕の問いに、彼女は舌を出して、いたずらっ子っぽく笑って見せた。

 楽屋へと戻り、有加は着替えを抱え更衣室の方へと向かい、カーテンを閉めた。
「よーし、着替え終わりっと」
 数分後、カーテンを開いて有加が出てきた。
 出てきた有加は、水色に白のボーダーシャツにデニム地のクロップトパンツ。ズボンの裾には白い足がのぞいていた。
「さ、いくわよ!」
 つばの大きい麦藁帽子と薄緑のワンショルダーバックを身に付けた有加は、僕の手首を掴んで引っ張った。
「え、行くって何処に!?」
 いきなり手を引っ張られた僕はおどおどしながら有加に行き先を訪ねる。
「忘れたの? 大学の先輩からお茶会に誘われたでしょ?」
「あ」
 有加にそう言われて、そういえばそんな約束をしたことを思い出す。

 それは、3日前の出来事。
 僕達は大学の談話室で必死にレポート作成に励んでいた。
「なかなか勉強熱心なのね」
 先輩はうんうんと感心するが、別に僕達は勉強熱心なわけではない。二人共同でレポートの草案を作成し、それを二人で各々文脈を微妙に変えながら書いていくという姑息な内職をするつもりなのだ。
「勉強中で忙しいのなら、またの機会にしようかしらねぇ……」
「僕達に何か御用ですか? レポートもそろそろ完成しそうですし、お話できますけど?」
 僕は手を止めて、先輩の顔を見た。
「そう? じゃあ、お二人さんの間を失礼するわね」
 そう言って先輩は、僕達の間にあった空席の椅子に腰掛ける。
「実はね。二人に相談に乗ってほしいことがあるの。でも、ここで話すのは気が引けるから、ウチでお茶会でも開いて話そうかと思って。予定開いているかしら?」
「相談ですか? しかも、私達二人に?」
 有加は怪訝そうな顔で先輩に訊ねる。
「二人だからこそよ。厄介事が大好きな“アリナシ”コンビの二人にしか頼めないのよ」
 始終一緒に行動していることから、有加の“有”、梨緒の“梨”を繋げて、“アリナシ”コンビ。僕達はそう呼ばれていた。大学構内では、それに追加して『変わり者の作家の子ども達だから、きっと厄介事に首を突っ込みそう』という固定概念という尾ひれが付いて、いつの間にか、T大学の厄介事大好き“アリナシ”コンビという嫌な異名が付いてしまったのである。
「別に、厄介事が好きなわけじゃないですけどね。でも、先輩にはお世話になっていますし、相談事聞いてあげますよ。三日後、スタジオ撮影があるので、ソレが終わったら伺えますよ。15時頃に行きます。」
 有加はスケジュール帳を開いて、日程を先輩に伝えると、先輩は嬉しそうに頷く。
「ありがとう! じゃあ、15時に私のウチまで来てね」

 そしてその日が今日だった訳なのだが、僕達が先輩の家へ訪問した頃には、
 先輩は変わり果てた状態で床に寝そべっていた。