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「……り、紫織……」

 どこか遠くで、自分を呼んでいる声が聴こえてくる。
 だが、辺りを見回してみても、声の主の姿は全く見当たらない。

(――宏樹君の声、どこから……?)

 そう思っていると、今度ははっきりと「紫織」と耳に飛び込んできた。

 紫織はハッと我に返った。
 否、正確には夢の世界から現実へ舞い戻った。

「すっかり熟睡していたみたいだな」

 紫織の目の前には、呆れたように苦笑を浮かべる宏樹の顔があった。

「――宏樹、君……?」

 頭がぼんやりしている紫織は、未だに夢と現実の区別が付いていない。

(あれ? 私は何してたんだっけ……?)

 宏樹を仰ぎながら、紫織は記憶を遡ってみる。

 まず、家でゴロゴロしていて母親に叱られ、追い出しを食らったところまでは憶えている。
 それから、簡単な身支度をしてから外に出たところ、隣人の宏樹と遭遇した。

(そうだ!)

 そこでやっと想い出した。

(私、宏樹君に誘われて……)

 宏樹の運転する車に乗っている最中、急に眠気が遅い、そのまま宏樹の好意に甘えて眠ったのだ。
 しかも、その後はすっかり深い眠りに落ちてしまった。

 もし、宏樹に起こされなければ、まだ眠り続けていた可能性は充分にあり得る。

(私ってば、最低……)

 頭の中が完全に活動を始めたとたん、紫織は自己嫌悪に陥った。
 間抜けな寝顔を晒していたのではないかと思うと、急激に羞恥心が芽生え出し、宏樹をまともに見ることが出来ない。

 気まずさのあまり俯いている紫織に、宏樹は追い討ちをかけるように真顔で言った。

「紫織の寝顔、久々に見させてもらったよ。それにしても、なんか面白い夢でも見てたのか、時々笑い出したかと思ったら、モニョモニョと寝言も言ってたぞ。ついでに涎も出してた」

「えっ……!」

 紫織は慌てて口を覆った。

(笑ってただけじゃなくて寝言まで言ってたなんて……! しかも涎って……!)

 紫織はこのまま、穴があったらすぐに飛び込んでしまいたい、と心底思った。
 だが、車内には当然ながら紫織が入れるほどの手頃な穴などあるはずもないので、両手で頬を押さえるのが精いっぱいだった。