「――紫織?」

 思案に耽っている紫織の顔を、宏樹が怪訝そうに覗き込んでくる。

 宏樹の顔がすぐ目の前にある。

 紫織は驚いて目を見開き、思わず背を仰け反らせた。

「別に、そんなにビックリすることないだろ?」

 宏樹は呆れたように苦笑した。

「だ、だって……! 急に宏樹君が顔を近付けてくるから……!」

 紫織の心拍数は徐々に上がっている。

 宏樹とは長い付き合いだし、幼い頃は、抱っこもおんぶもしてもらっていたこともあるが、今は違う。
 ほんの少し、宏樹の吐息を感じただけで紫織は本気で失神寸前まで追い込まれる。
 だからと言って、突き放されてしまうのも淋しい。
 本当に、恋心というものは厄介に出来ている。

(私、このままで大丈夫なのかな……?)

 そんなことを思っていたら、宏樹が、「おい」とまた声をかけてきた。

「紫織、特に予定がないなら、ちょっと俺に付き合わないか?」

「え……?」

 突然の申し出に、紫織はポカンと口を開けたまま何度も瞬きした。

 宏樹は紫織に自分の言葉が伝わっていないと思ったらしい。

「だから、俺に付き合って、って言ったんだけど」

「あ、それは分かったんだけど……。――なんで?」

「『なんで』って言われてもなあ……」

 さすがの宏樹も困惑していた。

「深い意味はないんだけどねえ。――まあ、いいから来い」

 珍しく命令口調で紫織に促してくる。

 紫織は言われるがまま着いて行くと、隣家の車庫に停められている宏樹の車の前まで来た。

 宏樹はコートから車のキーを取り出すと、鍵穴にそれを差し込んでドアを開けた。

「ほら、紫織も乗った」

「あ、うん」

 抵抗する間もなかった。
 いや、宏樹に抵抗する気など元からなかったが。

 紫織はドアを開けると、助手席に座り、シートベルトを着用する。

 宏樹はそれを見届けると、車のキーを回した。