「――千夜子」

 宏樹は、一番訊きたかったことを訊ねてみた。

「お前は、俺といて幸せだったと想ってくれたことがある?」

 千夜子は一呼吸吐いたあと、『もちろんよ』と答えた。

『私にとって、コウは初めての恋人だったもの。コウといられた時間は、本当に幸せだった。でも……、今はもう、コウを愛せる自信がないから……』

「――そう……」

『ほんとにごめんなさい。せっかく久々に電話してきてくれたのに……。いきなり別れを言うなんて私もどうかしてると自分でも分かっているけど、今言わないと、もっとコウを傷付けていたと思う……』

 千夜子はそこまで言うと、『それじゃあ』と切り出した。

「あ、待って」

 宏樹は、慌てて電話を切ろうとしている千夜子を引き止めた。

「ひとつ、お願いしたいんだけど……」

『――なに?』

「最後に、一度だけ逢えないかな……? もちろん、それで俺も終わりにするから……」

 千夜子は少し黙り込んでいたが、結局、彼女から肯定の返事はなかった。

『ごめんなさい。もう、コウとは逢わないと決めてるから……』

 ここまではっきりと言いきられてしまっては、引き下がる以外にない。
 宏樹は、「分かった」とだけ答えた。

「それじゃあ、元気で……」

『うん、コウも……』

 それを潮に、今度は本当に千夜子は電話を切ってしまった。

 耳の奥に、電話が切れた後の音が鳴り響いている。

 もう、千夜子の声は聴こえない。
 それなのに、その無機質な音のどこかで、千夜子の声の幻が届いてきそうな気がしていた。

 宏樹は目を閉じた。
 そうしていれば、しばらく逢えなかった千夜子の笑顔が見えるかもしれない。
 そんな幻想を抱きながら、宏樹は受話器からゆっくりと耳を離した。

[第三話-End]