紫織はまた、あらぬ方向に目を泳がせている。
 言うべきか、言わざるべきか悩んでいたようだが、やがて、思いきったように言った。

「宏樹君の彼女にして」

 宏樹は目を見開いたまま絶句した。
 紫織の要求してきたのは金目のものではない。
 しかし、それよりも簡単に応じられるようなものではなかった。

「――本気で、言ってるのか……?」

 やっとの思いで宏樹は訊ねた。

「本気だよ」

 紫織は先ほどと変わらず、宏樹をじっと見据えている。

「私が一番欲しいのは宏樹君だもん。確かに、宏樹君には他に好きな人がいるのも知ってるよ。けど、やっぱり私、自分の気持ちに嘘なんてつけないよ。
 ずっとなんて言わない。一日だけでいいから、私を、宏樹君の彼女にして下さい」

 そこまで言いきってからも、紫織は相変わらず宏樹に視線を注いだままだった。
 だが、その瞳は揺れているように感じる。

 宏樹はしばし悩んだ。

 千夜子への未練はなくなっているものの、だからと言って、簡単に紫織に乗り換えられるほど器用ではない。
 しかも朋也の問題もある。

 紫織は今、『一日だけ』と言っていたが、軽い気持ちで答えてしまって良いのだろうか。

 宏樹は再び紫織の表情を覗った。
 今にも泣き出してしまうのでは、と思えるほど、唇が小さく震えている。

 不意に、数日前の朋也の言葉が頭を過ぎった。


『紫織はな、ただ兄貴に、「ずっと側にいてやる」って言ってもらいたいだけなんだよ!』


(断ったとしても、紫織を傷付けてしまうのには変わりない)

 宏樹は意を決した。