「まだガキじゃねえか」
 尚も池脇さんが分かり切った事実を口にすると、彼の言葉遣いに眉をひそめた文乃さんが、平手で池脇さんの背中をバシンと音がする程強く叩いた。その時だ。僕の隣に立っていた辺見先輩が、ぎくりとしたように震えて一歩後退した。
 どうかしたのだろうかと彼女を見やると、心なしか辺見先輩の顔は青ざめているように思えた。
「大丈夫ですか?」
 僕の問いに、辺見先輩は僕と池脇さんの間で視線を走らせ、「うん」とだけ答えた。
 文乃さんは唇を結んで辺見先輩を見ていたが、やがて気を取り直したように池脇さんを見上げ、
「新開さんはこう見えて、私なんかよりよっぽど今回の件に適した能力をお持ちなの」
 と僕を紹介した。僕は彼女に、どう見えているのだろう。
「なんだっけ。霊が見える体質とかなんか、そんな事言ってたあれか? お前、まじでそんなわけの分かんねえ仕事やってんのか?」
 池脇さんの放った辛辣な言葉は、ある意味では非常にまともだった。心霊現象や怪談話などを頭から信じていない人間の発言であり、どちらかと言えば世間的には大多数をしめる意見だろう。エンターテイメントとしてのジャンルは確立していても、それを日常生活と同レベルに扱う一般人を見かる事はまずない。しかしこの場に集まった人間たちの中で限って言えば、池脇さんこそが異端なのである。
 文乃さんは馬鹿にされたにもかかわらず、そんな池脇さんに対して嬉しそうな苦笑を浮かべて、
「まあまあまあ、そういうスタンスだからだよ。だからこそ竜二くんが必要なんだよねって、そういう話」
 と答えた。池脇さんは眉間に皺を刻んで困惑顔である。
「竜二君はね、なんていうんだっけかなー、…『物理系最強アタッカー』?」
「はい?」
 物理?最強?…なんだ? 言葉は力強いが、何かのゲームかアニメの設定だろうか。首を捻る僕たちを前に、紹介された当の本人はしかめっ面で文乃さんを見下ろすばかりで、言い返す言葉すら思いつかない様子である。理解出来ない相手に辟易している態度であることは、明らかだった。
「相当、嫌そうですね」
 と、勇気を出して僕は池脇さんに声を掛けた。
「嫌っつーか、面倒くせえ、意味わかんねえよ。ツレだからしゃーなしに頼み事聞いてやるってだけの話だよ。それが何だよ、こんな所まで来てみりゃまじでオカルト話かよ、しかもガキかよ、あげく物理とか何の話だよって」
 池脇さんの、ある意味平等で飾らない物言いに、何故だか僕も少し笑ってしまいそうになった。
「確かに。僕が言う事ではありませんけど、大変ですね」
「だろ? 帰っていいか?」
「ダメです」
 文乃さんが即答し、僕と彼女は二人して笑い声を上げた。
 ところがだ…。
「どうかしましたか?」
 文乃さんが、辺見先輩を見つめてそう言った。
 この頃には僕も異変を察し始めていた。いや、もとを辿れば最初からなんとなく変だった。僕の知るかぎり辺見先輩は社交性の塊だ。そんな彼女が人見知りなどするはずがなく、十分すぎる程男前の部類に入る男性と知り合う機会を得てまとも口を開かないなんて、それはやっぱり変なのだ。
「辺見さん」
 と、文乃さんは言った。
「もし何か仰りたいことがおありなら、遠慮なさらずに」
 なんだ? 文乃さんの気になる言い回しに、僕は辺見先輩の横顔を見つめた。僕は初め、辺見先輩と池脇さんが知り合いなのかと疑った。そして更に、彼女が少し怯えているようにも見えた。だが僕の目から見た池脇さんは口調こそ荒いものの、辺見先輩が怯えるほど悪い人には全くもって思えなかったのだ。
「あ、の、お幾つですか?」
 と、辺見先輩は言った。
 …そこ?気になるのはそこなの?
 僕は内心驚きながらも、黙って成り行きを見守った。
「俺か? 二十四」
 答える池脇さんに、
「私の年までバレるんだけど」
 と文乃さん。
「お前の年なんて世間的にゃどうだっていいんだよ」
 返す池脇さんに、文乃さんは目を見開く。
 僕的には、どうだってよくはない。
「そんなに違わないじゃないですかー、人の事ガキ呼ばわりしといてー」
 辺見先輩は普段通りの口調でおどけて返し、手に持っていたカバンの中から名刺ケースを取り出した。おそらく、大学の文学サークルで作成した部員用の名刺である。今は持っていないが、僕の名刺も今年作ってもらった。
「幾つなんだ?」
 池脇さんが名刺を受け取りながら、辺見先輩に尋ねる。
「はたちです」
「辺見、…キル?」
 っはは!思わず僕は声に出して笑った。
「キリ!です!言っときますけど、希璃のリは瑠璃色のリですから。ルはまた別の字です!」
 それはそうだろう。だが間違えられやすいのは仕方がない。何を隠そう僕と辺見先輩の距離が近づいたのも、このお互いが読み辛い名前を持っている事のシンパシーが切っ掛けなのだ。
 初めて同士の顔合わせの場において、笑いの起こるこの流れは非常に良いんじゃないかと僕自身は感じていた。しかし文乃さんは少しだけ悲しい顔で辺見先輩から目を逸らすと、僕に向かって諦めたように微笑みかけたのだった。