上履きを脱いだところで「河野くん」と声がした。女子に話しかけられることがあまり無いから、しかもこんな所でーーーー反射的に、身体が少し強張った。後ろから呼び止められたから姿は見えなかったけれど、誰の声なのか、僕はすでになんとなく分かっていた。


振り返った先にいたのは、やっぱり、クラスメイトの井原さんだった。

普段話す機会は無くても、同じクラスなら誰がどんな声なのかは大体分かるものだ。授業中の発言だったり、休み時間中に聞こえてくる声だったりで。

それに井原さんとは、他の女子と比べると、ほんの少し話す機会が多い。同じ美化委員なのだ。もちろん話すと言っても、委員会の集まりだったり、委員の仕事の一環としてコミュニケーションを取る程度だ。


「リュック、開いちゃってるよ」

「え」

「後ろ。チャックが開いたまま」


あ、と僕は慌てて、再び赤ちゃん抱っこの体勢になり、全開のチャックを閉めた。傘を取り出したらそれで満足してしまった自分に、自分で呆れる。

僕にはこういう所がある。自分で言うのもどうかと思うけど、少し、鈍臭い。クラスメイトの女子に指摘されるなんて恥ずかしいことこの上ないけど、でも言ってもらえてよかった。このまま気付かないで電車に乗って、しかも誰にも何も言われなくて、妙な視線だけ感じることになったらそれこそ恥ずかしい。