お椀に入れたそれをお母さんに差し出したとき、案の定驚いた顔をしていた。 

「一心、どうしてこれ……。だって、今日来るなんて話してなかったじゃない」
「母さん、芋煮会から帰ったあと、いつも『甘いものが食べたい』って言ってこれを作ってただろ。そのとき、必ず俺のぶんも作ってくれて……。母さんが来ても来なくても、俺にとっても芋煮のあとはこれだったんだ」

 その言葉を聞いて、お母さんの持ったお椀の中身がふるふると震えた。
 粒を残したあんこに、コンロで焼き目をつけたお餅を入れたお汁粉。それがあの小鍋の中身だった。

「栗の渋皮煮も作ったし、食べ足りない人だけに配ろうと思っていたから量は少なめなんだが……」

 それで大場さんに『念のため』と話していたのか、と納得する。

「お父さんばっかりって思っていたけれど、私と一心の間にも、ちゃんと思い出の料理があったのね」
「当たり前だろ。親父と過ごす時間は長かったかもしれないけれど、家での食事を用意してくれていたのは母さんなんだから」

 瞳の表面で揺れていた膜が、とうとう涙になってお母さんの頬を伝った。

「私……。一心が家を出て行くのを止めなかったこと、ずっと後悔していたの。いくつになってもかわいい息子だったし、本当はずっと一緒に暮らしていたかったのよ」

 鼻をすすりながらそう語るお母さん。お父さんも兄弟子たちも、一心さんが出て行くのを止めなかったと司さんから聞いたとき、私は『ひどい』と思ってしまったけど……。お母さんの場合は、止めたくても止められなかったんだ。

 初めて聞くお母さんの本音だったのか、一心さんの表情もつらそうだった。

「でも、たくさんの経験のおかげで今の一心がいるなら……、私はあのとき子離れしてよかったと思うわ」

 さっぱりした顔で笑うお母さん。本当の意味で味沢家がひとつになったのは、今日なのかもしれない。

「で、親父はいつも、餅はふたつだったよな。餅はやわらかめが好きだったから、母さんのより長めに煮込んである」
「俺のぶんもあるのか?」

 一心さんがお父さんのぶんのお椀を差し出すと、驚いて眉毛を上げながら受け取った。

「いつも三人で食べてただろ? 芋煮会が終わったあと、家の台所で。親父と母さんは毎回疲れた顔をしていたけど、これを食べたらほっとしていた」
「そうだったな……」

 昔を思い出すように、しみじみとつぶやくお父さん。お餅がくたくたになったお汁粉に、愛おしそうに目を落としていた。