死にたがりの僕が、生きたいと思うまで。

 図書室を出た直後、俺は頭痛に襲われた。
 いじめのせいで不眠症になってたから、頭痛に襲われるのはよくあった。だが、今回襲ってきた痛みは寝不足のせいだと思えなかった。いつもある頭痛の倍以上は痛い。頭が割れそうだ。余りの痛みに頭を抱える。痛すぎて気絶しそうだ。
「なえっ!?」
 あづは慌てて図書室に入り、ナースコールを押した。
 それから俺は痛みどめを投薬され、検査室に連れてかれた。
「赤羽くん、君は慢性硬膜下血腫です」
 検査後、主治医の穂稀先生がカルテを見ながら言った。
「……そうですか。手術はしなくていいですよ。長く生きる意味なんかないので」
 先生の言葉を先読みするみたいに言う。
「……赤羽くん、本気で言ってるの?」
「はい。俺は死んでいいです」
「そう本気で思うなら、何で今君は泣いてるの?」
 顔を触ると、涙が頬を伝っていた。
「俺は生きてちゃいけないんですよっ!」
 掠れた声で叫び、俺は先生が持っているカルテを破いた。
「赤羽くん、そんなの誰が決めたの」
「……世間です。親戚にも同級生にも死ねって言われました。俺に生きる価値なんかないんですよ」
「赤羽くん、そんなこと……」
「とにかく手術は受けなくていいです。さっさと病室連れてってもらえますか」
「……わかったわ。病気のこと説明したら、すぐに連れてく。ね? 説明くらい聞いて」
「……わかりました」
 俺は大人しく従った。
 病室に行くと、あづがベッドに座ってうずくまっていた。
「あづ……」
「なえ! お前大丈夫なのか?」
 あづは慌てて立ち上がり、俺の肩を叩く。
「あっ、あぁ。平気だよ。 あづ今日はもう帰ってくれないか。あんま元気ねぇから。また明日来い」
「明日も来ていいんだな? 言質取ったからな?」
 ――しまった。そう思ったが、既に遅かった。
 あづは嬉しそうに頬を赤らめて笑い、俺の頭を撫でてくる。……こいつ、本当に明日も来る気だ。
「……わかった。来ていいよ。どうせ来んなっていっても来るんだろ?」
「よくわかってんじゃん! じゃ、また明日な!」
 そういい、あづは上機嫌で病室を出ていった。
「はぁ……」
 枕に頭を突っ伏し、ため息を吐く。
 俺がなったのは頭痛や吐き気に襲われたり麻痺が起きたりする病気らしい。悪化すると意識障害が起きたり昏睡状態になったりして、最悪死ぬらしい。
「ハハ、死ななくてもこんなオチかよ」
 飛び降り自殺をした時に頭部が負傷してなってしまったそうだ。どうせ殺すなら、なんで生かしたんだよ。なんで空我になんか会わせたんだよ! 何で俺は、泣きそうになってるんだよ。何でさっき泣いたんだよ!
 ――もうやめとけ。これ以上心を開こうとするな。今ならまだ引き返せるだろ。本当にもうやめろ……。
 俺は人殺しで、あづはただの学生だ。友達がいて、親もいる明るい普通の学生だ。世界が違いすぎる。それになにより、俺は一緒にいる資格がないだろ。だって死ぬんだぞ。生きる気もないんだろ。だったら捨ててしまえ。
 忘れちゃえよあんなお節介野郎。

 ――無理だ。

 捨てられるなら、明日また来いなんて言っていない。
 優しさに飢えていた。いじめにあって、両親も姉も死んで、一人で生きてくしかないと思った。そう思っていてもどうしようもなく寂しくて、寒くて仕方がなかった。それはまるで、雪山にいるかのように。そこにつけこまれた。気を許しちゃダメだと思ってても、無意識のうちに許してしまっていた。絶対後悔するに決まっているのに。俺は馬鹿なのか。他人なんて信用すんなよ。信用したところで、どうせ捨てられるだろ。それならいっそ自分から捨てろよ! 
 
「あああああああぁぁ!!!」

 足も頭も痛くて声を出すのすらきついくせに、無理矢理喉仏から張り上げて叫んだ。
 枕元にあったあづが持ってきてくれた本を掴み、破いた。何十ページも一気に。病院の本だとわかっても、そうせずにはいられなかった。どうせ患者に弁償しろなんて言ってこないだろう。そう思って無我夢中で破いた。良くないと思ってても、物に当たらずにはいられなかった。当たれば気が済むわけでもないのに。
 もう嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! 
 俺が何したって言うんだよ!!
 なんで何もかも奪われる! 姉も、両親も、自分の命すらも‼ どうせ殺すなら、せめて逆にして欲しかった。俺が姉より先に死ねばよかった。それなのになんでっ!! 
 ――やめろ。希望を持つのも、どうしようもない現状を嘆くのもやめろ。お前はなんもできねぇだろ。なにかできたら苦労しないんだよ。
 いじめられた時から知ってるだろ。――神は残酷だって。残酷でなければ、俺はとっくに死んでるハズなんだよ!!
 嘆きは止まらない。どうせ手に入らないと思うのに、期待が止まらなくなってしまう。
 ――友達が欲しい。――誰かに相談したい。このやり場のない想いを。
 ――誰か助けてくれ。
 アホか。さんざん邪険にしたくせに今更助けてくれなんて、虫がいいにも程がある。助けてもらえるわけないだろ。
 お前は人殺しだろうが!
 最愛の姉を殺したんだぞ!
 助けられたら奇跡なんだよ‼
 ボロボロになった本をゴミ箱に投げ捨て、俺は泣き崩れた。
「朝か……」
 気が付けば朝になっていた。いつの間にか泣き寝入りしていたらしい。
 目を擦って涙を拭っていたら、また頭痛がおしよせてきた。
「痛っ!」
「赤羽くん、大丈夫っ!?」
 ナースコールを押すと、すぐに看護師と穂稀先生がきてくれた。渡された薬を飲むと、徐々に頭痛が収まってきた。
「はぁ……」
 頭を押さえながらため息をつく。
 自分は病に侵されていることを今更のように実感して、冷や汗が出た。
「薬、多めに持ってきたから棚の上に置いておくね。また痛くなったら飲んで」
 病室の端に置かれた棚の上に薬と水の入ったコップを置いて、先生は言う。
 棚に入ってるのは、替えの病衣と自殺した時に着た服だけだ。寝るためのベッドに、医者や見舞いに来た人が座る丸椅子、ゴミ箱、窓、それに花瓶。――必要最低限のものしかここにはない。遊べる道具もなければ、大好きな姉もいない。そんなせまい世界で、俺は死んでくのか……。寂しいな。そんなこと俺が考えちゃダメだけど。死ぬしかないんだし。
「赤羽くん、病室に監視カメラをつけてもいいかな? またいつ症状が起きるかわからないから、念のために」
 先生が真剣な顔で言う。
「……いいですよ。先生、昨日はすいませんでした。その本も」
 ゴミ箱にある本を顎で示す。
「大丈夫だよ。急に病気のこといった私も悪いからね。少しは落ち着いた?」
「……はい」
「そ。ならよかった。赤羽くん、もう一度聞くけど、本当に手術はしなくていいの?」
 先生は首を傾げ、心配そうに俺の顔をのそきこむ。
「……しなくていいです」
「よく考えな。今はしなくていいって本気で思ってるのかもしれないけど、考え方が変わることもあるから。ね?」
「……分かりました。後先生、俺が重篤なの親戚には言わないでください。……たぶん、早く死ねって言われるだけだと思うので」
 先生は目を見開いて俺を見た。
「本当にそれでいいの? まさか、亜月君にも言わない気?」
 亜月……? あ、あづのことか。あづきであづね。
「……あいつは、友達でもなんでもないので」
 首を振って俺は言った。
「赤羽くん、少しでも友達だと思ってないと、そんな言葉はでないよ? 少しは素直になったら?」
「……じゃあどうしたらいいんですか。心配されたくないんです。これ以上世話やかれたくないんですよ」
 先生は口をつぐんだ。
「とにかく、アイツらにも親戚にも言わないでください。お願いします」
 上半身をベッドから起こし、頭を下げた。
「……わかったわ。それを赤羽くんが望むなら、そうする」
 俺の頭を撫でて、先生は笑った。
「ありがとうごさいます」
「うん。でも、本当にいいの? 何もかも話さなくて」
「……いいです。後先生、歩けるようになったらどっかの病院に移ってもいいですか。できれば日本じゃなくて海外の病院に」
「それはいいけど、どうして? まさか、何も言わずにいなくなるつもり?」
「……そうです。きっと捨てられないと思いますけど」
 捨てられないなら何も言わずにいなくなるしかない。
 俺にあいつらと一緒にいる資格はない。死ぬのに一緒にいるなんてダメだ。
「だったらここにいればいいじゃない!」
 先生は声を荒げた。
「それじゃダメなんです。あいつには俺が死んだのを引きずって欲しくないんです」
「……わかったわ。でも、よく考えな。手術のことも、病気のことを話すかどうかも、転院するかどうかも。ね?」
 先生から顔を逸らし、口をつぐむ。
「わかった?」
 俺の顔を覗きこんで、先生は言う。
「……はい」
「ん。じゃあ後でカメラをつけに看護師とかが来ると思うからよろしくね。その時に朝食も持って行かせるから。じゃあ、またね」
 そういい、先生は病室去ろうとした。
「あ、先生、待ってください」
「ん?」
「あの、俺ってこのまま手術受けなかったら、余命どんくらいですか」
「そうだね。君の病気はそんなすぐ死ぬ訳じゃないの。悪化してヘルニアになったらそうなる可能性が高いけどね。悪化するのがいつかわからないからまだなんともいえないけど、きっともって数年かな」
「……そうですか」
 数年か。じゃあ大方、成人は迎えられないだろうな……。
「……うん。じゃあ、またね」
「はい」
 小さな声で、俺は頷いた。

 先生がいなくなった後、俺はベッドの後ろにあった窓を開けた。
 風が入ってきて、ベッドのそばにある丸椅子とゴミ箱が揺れる。俺の黒髪も一緒に揺れた。
 空では、太陽がさんさんと輝いている。気温は二十度くらいだろうか。梅雨入りしたのに良く晴れている。太陽を見るのは久しぶりだな……。
 眩しくて手で顔を隠していると、額から汗が流れた。
「……そりゃ、生きてたら汗くらい流れるよな」
 汗を拭って小さな声で呟く。
 後数年で汗も流れなくなって、そのうち息もできなくなるのか。
 一筋の涙が頬を伝う。――死にたくない。人殺しの俺に、長く生きる資格なんてないのにそんなことを思う。
 生きたいわけではない。
 生まれてからずっと死ねって言われてたし、それでも生きたいとは思えない。そんなことが思えるほど俺は強くない。
 ただ、死にたくはない。
 ――死ぬのは怖い。
 当たり前のようにしていた息が突然できなくなって死んでしまうのを想像したくない。そうなるのがどうしようもなく怖い。でも、受け入れるしかないんだよな……。
 俺は窓を閉め、ベッドに寝っ転がった。
「痛っ!」
 足が動いて、猛烈な痛みに襲われた。
 ……死んだら痛みも感じなくなるのか。
 ますます死への恐怖心が強くなり、思わず悪寒が走る。――怖い。でも受け入れないと。
 長く生きてても親戚やいじめっこに早く死ねって言われるだけなんだから。
 「あづ、俺はいいって」
「いい加減しつこいぞ潤!ここまで来たならお前も入れ!」
 お昼頃。廊下から大声が聞こえてきた。なんの騒ぎかと思って身体を起こすと、病室のドアの前で、潤とあづが言い争いをしていた。
「でっ、でも!」
「いーじゃん!……俺、潤もなえと仲良くなんなきゃ嫌だよ」
 拗ねるみたいに頬をふくらませてあづは言う。ドア越しでもあづの声は大きくて、よく聞こえた。
「……ああもう、わかったよ」
 あきれたように肩を落とし、潤はそう言うかのように口を動かす。あづより声が小さいから、本当にそういったかはわからない。でも、多分そう言った。
「やっほー! なえ!」
 病室に入ってくるなり、あづは声を上げる。一緒に入ってきた潤は、何も言わず丸椅子に座った。
「うわっ、本当に来た」
 俺は嫌そうな顔をして言う。
「当たり前だろ。お前が来いって言ったんだから」
「うるせえ」
「……否定しねぇのかよ? うわっ、マジ? あづすげーじゃん。本当にこいつにまた明日来いって言わせたのかよ!俺はてっきり冗談だとばかり……」
 潤は目を見開いて叫んだ。
「ああ!だから言っただろ!絶対仲良くなれるって!」
 嬉しそうに笑ってあづは言う。
「……俺はこいつと仲良くする気なんか」
「そんなこというなよー。なえも友達は大勢いた方が楽しいだろ?」
俺の隣に座り、あづは俺の肩に腕をのっけて、足をブラブラと動かす。
「……別にお前のこと友達だなんて思ってないし、これから友達になる気もねぇ」
 俺はあづにデコピンをして憎まれ口を叩く。
 嘘だ。
 俺は少なくとも、あづには心を開きかけている。友達だと思ってなくても、友達になりたいとは思っている……かもしれない。
「いやそれ絶対嘘だから!友達だと思われてなかったら絶対帰れって言われてるし! なぁ、潤?」
「……まぁ、確かに帰れとは言われてないな。この前来た時と違って」
「だろだろ? やっぱ今日来て正解だっただろ?前より丸くなってるし」
「……まぁ、前よりはな」
 控えめに潤は頷く。
「なってねぇ。帰れ」
「帰らねぇよ? あと、そのやり方は汚ねぇ」
「はいはい。重いからどけろ」
 そう言い、俺はあづの腕を摑んでどかした。
「えっ、……確かに、大分丸くなってるな。 会ったばっかの時なら今絶対振りほどいてたし、隣にいんのも嫌がってただろうからな」
 うんうんと頷きながら潤は言う。
「だろー?」
 潤の方を向いて、あづは口角を上げて上機嫌に言う。
「俺、明日も来ようかな。あづがいくなら。こいつと仲良くなる気はねぇけど!」
「いや仲良くなれよそこは!」
 声を上げてあづは突っ込む。
「だって、あづこいつといたら俺の扱い雑になるだろ」
「なんねぇよ⁉」
「……お前らウザイくらい仲良いな」
「まぁな!お前も一緒に3人で仲良くしようぜ!」
 親指を上に上げ、残りの指を曲げてあづはいう。グッドのサインだ。
「「しねぇ」」
「だからなんで潤まで乗り気じゃないんだよ!」
「だってこいつ常識ねぇし」
「……そんなこと言ったら俺もないだろ? 髪染めてるし、学校休みがちだし」
「……お前は特別」
 あづの頭を撫でて、潤は言う。
「じゃああいつも特別にしろよ! 不平等な潤は嫌いだ!」
 頬をふくらませて、あづは潤から顔を背ける。
「わ、わかった!ごめん、ごめんあづ」
 慌てて手を合わせて、申し訳なさそうに潤は言う。
「よし!じゃあ明日も二人で来るからな!なえ!」
 そういうあづと、肩を落としながらも笑う潤を見て、胸が熱くなった。ムカついた。同時に、ほんの少しだけ羨ましいと思った。こいつらは本当にお互いのことを信じあってるんだとわかって。俺もそういう友達が欲しかった。こいつらといたら、きっと人生が楽しくなるんだろうななんて、そんなことを思う。俺は人生を楽しんだらいけないのに。
「……わかったよ。もう好きにしろ」
 そう思うのに、気がつけばそう口走っていた。 ……好きにさせちゃダメだろ。死ぬんだから。
 来るなって言えよ……。
 言えるわけがなかった。
 やっとできた友達にそんなこと言えるハズもない。

 ……友達?

 否定したくせにそんなふうに思ってたのか……。
 先生に友達じゃないって言ったのも、さっき否定したのも認めたくなかったからだ。友達だと思ってるのを認めたくなかった。だって認めたら、大切に思ってると自覚したら、別れが辛くなってしまうから。

「なえ? 何ぼーっとしてんだよ。あ、もしかしてまた頭痛いのか? だから喋ってなかったのか? 先生呼ぶか?」
 突然、あづが心配そうな顔をして言ってくる。
「アホか。平気だよ」
 あづの頭を叩いて、呆れたように言う。
「あ、お前今笑っただろ⁉」
「笑ってねぇ」
「いや絶対笑った。口角上がってたってマジで。写メ撮っとけばよかったー。なえが笑うの超貴重なのに」
「撮らなくていいわ。この馬鹿が」
 あづの頭を叩く。
「いーじゃん。照れてんの?」
「フッ。あづなえ大好きかよ」
 潤は鼻で笑って、呆れたように言う。
「好きに決まってんじゃん? 友達なんだし」
「誰が友達だ誰が」
「友達だろ毎日会ってんだから。な? 潤」
「……まぁ、そうだな」
「それ見ろ! 二対一だからもう友達だ! これ決定!」
「多数決で友達かどうか決まるわけねぇだろ」
「なんだよノリわりぃな! こういう時は友達だっていえばいいんだよ!」
「言わねぇ」
 友達だと思ってても、それを認めちゃダメだ。
 ちゃんと取り繕わないとダメだ。だって繕わないと、何もかも話したくなってしまう。いじめのことも姉のことも。そんなのダメだ。そんなことしたら捨てられてしまう。
 先生には最悪繕ってるのがバレてもいいけど、こいつらにまでバレたらダメだ。絶対ダメだ。そう思っていても、日に日に俺の化けの皮は剝がれていった。そして、ある出来事が完全に俺の化けの皮を剥がした。

死にたがりの僕が、生きたいと思うまで。

を読み込んでいます