「それは、おはよう、朝だよ、だったかと」

「は?」

「おはよう、朝だよ、と」

「いや、聞き返したんじゃなくて、それのどこが不審な声なのかと聞きたかったのです」

「え、怖くないですか? 突然、家の中にまで聞こえるような声で、叫ぶなんて」

 良夜さんには、私の恐怖など理解できないのだろう。人と狛犬だ。価値観は天と地ほども違うのだろう。

「良夜さんには、聞こえていなかったのですね」

「当たり前でしょう。この家の敷地内には、満月大神の結界があるんです。悪しき者は、近寄れないようになっているのですよ」

「そ、そうだったのですね」

 そうは言っても、確認しないと気が済まない。外を見て回ると言うと、良夜さんは呆れかえった。

「自ら問題に首を突っ込むなど、脳天気にもほどがあります」

「それが性分ですので」

 きっと、外を見回って異常なしだったら、落ち着くだろう。

「では、ちょっと見回りを」

「待ってください。もしも、誰かいたとしたら、それは満月大神の結界を破ってやってくる、邪悪な存在です。あなたなんて、一瞬で屠られてしまうでしょう」

 一瞬、「モフられてしまう」と聞き間違ったが、そんなわけない。きっと、「屠られてしまう」だろう。

 サーと、血の気が引いてしまう。

「ど、どど、どうすれば、いいのですか?」

「まあ、あなたくらい存在感がなかったら、邪悪なるものも気付かないかもしれません。どうぞ、傘を武器に見回りに行ってきては?」

「そ、そんな!」

 涙目で助けてくださいと訴えると、深いため息をつかれてしまう。

「仕方がありませんね。いったいどこから、声が聞こえてきたというのです?」

「えっと、裏庭のほうからです」

「自ら確認に行くなど、愚かでしかないのですが」

 辛辣な言葉をはきつつも、良夜さんは調査に同行してくれるらしい。
 正体不明の声を恐れず、ずんずんと先陣を切ってくれる。裏庭へと回ったが、怪しい存在は確認できない。

「何もいないじゃないですか」

「私が窓から外を覗いたときには、すでにいなくて」

「キジバトの鳴き声を、変な風に聞き違ったのでは?」

 キジバトというのは、アレだ。田舎の野山に出現するハトの一種だ。“クークドュッドュルー”みたいな、独特な鳴き方をする。

「いや、キジバトの鳴き声ではないですよ」

「だったら、登校中の小学生の声を聞いたのでは?」