鷹司さんのよく通る声を耳にして、ハッと我に返る。

 危なかった。一瞬、意識が飛んでいたような気がする。もしも立っていたら、倒れていただろう。

「すみません。ちょっと、疲れているのかもしれません」

「今日は休んだほうがいい。店は、あとの者に任せたらいいだろう」

 尊大な鷹司さんが、珍しく心配してくれている。いつもより声が優しい気がして、少しだけくすぐったく感じた。

「ごめんなさいね。私が、長々と喋ってしまったばかりに」

「いえ。昨日から、家の者にゆっくりするように、言われていたんです。今日頑張って、明日から休もうと考えていまして」

「その結果がこれか」

「すみません」

 徳岡さんは会釈をして、お店を出る。来た時よりも、表情は明るくなっていた。

 お客さんがいなくなった途端、鷹司さんは私の背中をぐいぐい押して、休ませようとする。

 つごもりさんと良夜さんを呼び、私がいかにおかしいか、語って聞かせていたら。

「まったく。体調がおかしいときは、自分で申告して休むのが普通ですよ」

「ゆっくり、休んで」

 今日ばかりは、お言葉に甘えて休ませていただく。自分でも、おかしいと思うほど、何かが変だった。
 何が“変”なのかは、よくわからないけれど。

 良夜さんがシーツやタオルケットを洗濯したものに代えてくれていたようだ。清潔な、いい匂いがする。

 横たわって目を閉じた瞬間、意識が遠退いていく。どうやら、酷く疲れていたようだ。

 夢の中に、もちづき君が出てきて私に言った。「もう、限界だ」と。

 何が限界なのか尋ねても、答えてくれない。自分で気付かなければ、意味がないと。

 そういえば、もちづき君は出会ったときに、私に問いかけてきた。「“忘れ物”を、していないか?」と。そのあと、東京に、と付け足したような気がする。

 忘れ物って何? 私は、何を、忘れているの?

 思い出せない。私の中に、欠けている“何か”を。

 暗く深い海の底に沈んでいく感覚を覚える。このままだといけないと思いつつも、体が動かない。

 もがいていると体力を奪われ、疲れてしまう。もう、このまま沈んでしまおうか。そう思った瞬間、声が聞こえた。

 ――花乃、諦めたら、いけないよ。

 祖母の声だった。

 その瞬間、暗い海のような空間に、一筋の光が差し込んだ。