どうすればいいのか。
本当はわかる。
「嬉しい」と言えばいいのだ。
彼に対する感情はまだ、はっきりとした恋心ではないかもしれない。しかしほんのりとそれに近いものはあるくらいは自覚していたし、それに彼と付き合っていけばもっと好きになれるかもしれないではないか。
だから受け入れてしまえばいいのだ。
絶好のチャンスだ。
だというのに、幸希はなにも言えずにいた。
「僕と付き合ってくれませんか」
幸希の返事を促すように、もっとはっきり言われたけれど。
やっぱりなにも言えなかった。喉が凍り付いてしまったようだったのだ。
自分がどうしてこんな反応をしてしまうのかすらもわからずに。
沈黙が落ちていたのはどのくらいだったか。
幸希がなにも言わないために決まっているだろうが、戸渡の声のトーンが落ちる。
Noの答えかもしれない、と思ったのかもしれない。
「嫌、ですか」
そういうわけではない、違う、断りたいわけじゃない。
けれどやはりなにも言えやしない。今までこんなことはなかった。
「嫌じゃ、ない、けど」
やっと言った。
けれどそれはなんの意味もない言葉だった。
そんなことしか言えなかったのは、それは彼があまりに優しいから。
ああ、そうだ。
今までは幸希から好きになったことばかりだったのだ。これほど誰かに好意を向けられたことはない。
きっと今まで付き合った彼氏たちには、その好意を察されて、そしてそこに付け込まれていたのだ。だから向こうはすぐに飽きたのだろうし、用が済めばさっさと幸希の前からいなくなった。
でも今、幸希を抱きしめている戸渡は違う。純粋に彼から好意を抱いて、それを伝えようとしてくれているのだ。
急に恐ろしくなった。自分から誰かを好きになることは知っていても、本当の意味でアタックされたことはなかったのだと思い知ってしまったゆえに。
「後輩としか、見られませんか」
訊かれても「そうじゃないけど」としか言えない。
曖昧過ぎる。
もういっそ、はっきり「ごめん」と言ったほうがましなのかもしれないほどに、煮え切らないことしか言えない。
「……すみません」
どう動いたら良いのかもわからなくなっていることだけは、わかってくれたのだろう。謝られる。
自分が情けなくてたまらなくなった。
先輩なのに。
恋をしたことがないわけでも、付き合ったことがないわけでもないのに。
こんなことは、初めて告白される学生にも劣ると思ってしまう。
「唐突すぎたかもしれません」
謝ったのは、告白をしたことにではなくその点についてだった。幸希が動けなくなった理由をそこだと思われたようだ。
こうしていても仕方がないと思われたのか、そっと身を離される。
戸渡に抱きしめる腕をほどかれて、幸希は思わず顔をあげていた。彼を見上げる。
どうしたらいいかわからない、けれど。
なにも言葉が出てこないけれど。
このままなにもなくなってしまうのは嫌だった。我儘が過ぎるというのに。
くしゃりと顔が歪むのがわかった。
「……そんな顔、しないでください」
戸渡は困ったように笑う。
そしてまた、沈黙。
どうしたらいいかわからないのは、きっと幸希ばかりではない。望みがあると思ったからこそ戸渡からも告白してきたのだろうし、それがこのような妙な空気になるとは想定外だっただろう。
「もう一軒、行きませんか」
不意に沈黙は破られた。
おまけにその言葉は想定外だった。てっきり「送っていきます」のたぐいのことを言われると思っていたゆえに。
もう一軒? どこへ? 飲みに? それとも。
「帰せませんよ。そんな顔をされたら」
戸渡からの言葉はとても優しかった。言葉のままに、表情も。
告白してきたのだ、彼からも緊張しているだろうに、幸希を安心させるように笑みを浮かべてくれる。
優しくされている。
身に余るほどに。
あまりにたくさん与えられたそれは、幸希の心から零れてしまう。
そして外に出てきた。ぽろっと涙が零れる。
幸希がそれを自覚したのは、戸渡のほうからまた困ったように笑われてからだった。
「……やっぱり、帰せません」
「……あ、……ご、ごめ……」
謝る言葉すらすべて言えやしなかった。
「行きましょう」
もう一度手を取られて、引っ張られる。
幸希はやはり、その手を握り返すことはできなかった。そんな自分が嫌でたまらずに、ひとつぶ零れた涙が続いて出てきてしまう。
俯いた幸希に今度はなにも言わずに、車へ連れていかれて、そして助手席に乗せられた。
「駐車代、払ってきます」とだけ言って、戸渡は出ていく。幸希は乗せられた助手席で、ぎゅっとスカートを握りしめて見つめていた。
ぽたりと涙が落ちる。
もうどうでも良くなっていた。
妙なところへ連れこまれようとも。そうすることで彼になにか返せるのならば。
ただ悲しいのは、好意を素直に受け取れない、あまつさえ拒絶されたと思われても仕方のない反応しかできないことだ。
戸渡はすぐに戻ってきて、そして車を発進させた。
幸希はなにも言えずに車が走るままになっていた。
だというのに戸渡は、落ち着いた声で話す。
ただしそれは普通すぎる、なんでもない話だった。
「暑いですか? クーラーつけましたけど、効くまで少しかかるかもしれません。すみません」
「この間、芳香剤を買ったんですよ。営業車にも取り入れたんですけど、香りが強すぎなくていいなと思って……でも気に入らなかったら言ってくださいね」
車がどこへ向かうのかはわからない。
やはりどうでも良かったけれど。自分の思考だけでいっぱいになってしまっていて。
暗い中、二人の乗った車はスムーズに進んでいった。
どのくらい走っただろう。三十分くらいだったかもしれない。
車はどこかへ着いたようだ。駐車スペースらしきところへ入っていく。
ここはどこだろう。
思ったものの、すぐその思考は吹っ飛んだ。
「実は先輩とご飯ですから家まで送らないとと思ってて……それで自分の車で来たんですよ」
最後に言われた言葉。
たまらず幸希は顔を覆っていた。
本当はわかる。
「嬉しい」と言えばいいのだ。
彼に対する感情はまだ、はっきりとした恋心ではないかもしれない。しかしほんのりとそれに近いものはあるくらいは自覚していたし、それに彼と付き合っていけばもっと好きになれるかもしれないではないか。
だから受け入れてしまえばいいのだ。
絶好のチャンスだ。
だというのに、幸希はなにも言えずにいた。
「僕と付き合ってくれませんか」
幸希の返事を促すように、もっとはっきり言われたけれど。
やっぱりなにも言えなかった。喉が凍り付いてしまったようだったのだ。
自分がどうしてこんな反応をしてしまうのかすらもわからずに。
沈黙が落ちていたのはどのくらいだったか。
幸希がなにも言わないために決まっているだろうが、戸渡の声のトーンが落ちる。
Noの答えかもしれない、と思ったのかもしれない。
「嫌、ですか」
そういうわけではない、違う、断りたいわけじゃない。
けれどやはりなにも言えやしない。今までこんなことはなかった。
「嫌じゃ、ない、けど」
やっと言った。
けれどそれはなんの意味もない言葉だった。
そんなことしか言えなかったのは、それは彼があまりに優しいから。
ああ、そうだ。
今までは幸希から好きになったことばかりだったのだ。これほど誰かに好意を向けられたことはない。
きっと今まで付き合った彼氏たちには、その好意を察されて、そしてそこに付け込まれていたのだ。だから向こうはすぐに飽きたのだろうし、用が済めばさっさと幸希の前からいなくなった。
でも今、幸希を抱きしめている戸渡は違う。純粋に彼から好意を抱いて、それを伝えようとしてくれているのだ。
急に恐ろしくなった。自分から誰かを好きになることは知っていても、本当の意味でアタックされたことはなかったのだと思い知ってしまったゆえに。
「後輩としか、見られませんか」
訊かれても「そうじゃないけど」としか言えない。
曖昧過ぎる。
もういっそ、はっきり「ごめん」と言ったほうがましなのかもしれないほどに、煮え切らないことしか言えない。
「……すみません」
どう動いたら良いのかもわからなくなっていることだけは、わかってくれたのだろう。謝られる。
自分が情けなくてたまらなくなった。
先輩なのに。
恋をしたことがないわけでも、付き合ったことがないわけでもないのに。
こんなことは、初めて告白される学生にも劣ると思ってしまう。
「唐突すぎたかもしれません」
謝ったのは、告白をしたことにではなくその点についてだった。幸希が動けなくなった理由をそこだと思われたようだ。
こうしていても仕方がないと思われたのか、そっと身を離される。
戸渡に抱きしめる腕をほどかれて、幸希は思わず顔をあげていた。彼を見上げる。
どうしたらいいかわからない、けれど。
なにも言葉が出てこないけれど。
このままなにもなくなってしまうのは嫌だった。我儘が過ぎるというのに。
くしゃりと顔が歪むのがわかった。
「……そんな顔、しないでください」
戸渡は困ったように笑う。
そしてまた、沈黙。
どうしたらいいかわからないのは、きっと幸希ばかりではない。望みがあると思ったからこそ戸渡からも告白してきたのだろうし、それがこのような妙な空気になるとは想定外だっただろう。
「もう一軒、行きませんか」
不意に沈黙は破られた。
おまけにその言葉は想定外だった。てっきり「送っていきます」のたぐいのことを言われると思っていたゆえに。
もう一軒? どこへ? 飲みに? それとも。
「帰せませんよ。そんな顔をされたら」
戸渡からの言葉はとても優しかった。言葉のままに、表情も。
告白してきたのだ、彼からも緊張しているだろうに、幸希を安心させるように笑みを浮かべてくれる。
優しくされている。
身に余るほどに。
あまりにたくさん与えられたそれは、幸希の心から零れてしまう。
そして外に出てきた。ぽろっと涙が零れる。
幸希がそれを自覚したのは、戸渡のほうからまた困ったように笑われてからだった。
「……やっぱり、帰せません」
「……あ、……ご、ごめ……」
謝る言葉すらすべて言えやしなかった。
「行きましょう」
もう一度手を取られて、引っ張られる。
幸希はやはり、その手を握り返すことはできなかった。そんな自分が嫌でたまらずに、ひとつぶ零れた涙が続いて出てきてしまう。
俯いた幸希に今度はなにも言わずに、車へ連れていかれて、そして助手席に乗せられた。
「駐車代、払ってきます」とだけ言って、戸渡は出ていく。幸希は乗せられた助手席で、ぎゅっとスカートを握りしめて見つめていた。
ぽたりと涙が落ちる。
もうどうでも良くなっていた。
妙なところへ連れこまれようとも。そうすることで彼になにか返せるのならば。
ただ悲しいのは、好意を素直に受け取れない、あまつさえ拒絶されたと思われても仕方のない反応しかできないことだ。
戸渡はすぐに戻ってきて、そして車を発進させた。
幸希はなにも言えずに車が走るままになっていた。
だというのに戸渡は、落ち着いた声で話す。
ただしそれは普通すぎる、なんでもない話だった。
「暑いですか? クーラーつけましたけど、効くまで少しかかるかもしれません。すみません」
「この間、芳香剤を買ったんですよ。営業車にも取り入れたんですけど、香りが強すぎなくていいなと思って……でも気に入らなかったら言ってくださいね」
車がどこへ向かうのかはわからない。
やはりどうでも良かったけれど。自分の思考だけでいっぱいになってしまっていて。
暗い中、二人の乗った車はスムーズに進んでいった。
どのくらい走っただろう。三十分くらいだったかもしれない。
車はどこかへ着いたようだ。駐車スペースらしきところへ入っていく。
ここはどこだろう。
思ったものの、すぐその思考は吹っ飛んだ。
「実は先輩とご飯ですから家まで送らないとと思ってて……それで自分の車で来たんですよ」
最後に言われた言葉。
たまらず幸希は顔を覆っていた。