「うれしい」と言う小さな声が聞こえた。ほんの真似事だけで紗耶香ちゃんからゆっくり身体を離した。紗耶香ちゃんは目をつむったままじっとして動かない。それで、そっと後ろから包み込むように抱いて、耳元で「おやすみ」というと頷いた。
すぐに寝息が聞こえた。顔を覗き込むと、安らかな優しい顔をしているので安心した。紗耶香ちゃんの寝息を聞いているうちにこちらも寝入ってしまった。
夜中、紗耶香ちゃんが寝返りしたので目が覚めた。寝苦しくないように身体をずらしてやる。相変わらず安らかな優しい顔で眠っている。あんなふうでよかったのかなと自問しているうちに、また、眠りに落ちた。
それからいつもの夢を見た。紗耶香ちゃんと抱き合っていた。二人とも嬉しそうだった。紗耶香ちゃんがしっかり僕にしがみついている。僕は力いっぱい抱き締めている。そういう夢だった。
朝、紗耶香ちゃんが僕の腕をそっとほどいて、布団を抜け出していったのに気づいて、目が覚めた。気づかれないように眠ったままを装って、後姿を目で追った。シャワーの音が聞こえる。
しばらくすると、バスタオルを身体に巻いて戻ってきた。こちらがまだ眠っているのを確認すると、向こうを向いて身体を拭いて、髪を乾かして、下着をつけて服を着た。
鏡に向かって化粧しているみたい。時々、こちらを向いて、僕が眠っているか気にしている。化粧が終わったのか、そっとこちらにくる。
目をつむって眠ったふりを続けていると、顔を覗き込んでいる気配がする。突然、腕を伸ばして抱き寄せる。一瞬驚いたようだったが、抱きついてきた。軽くキスする。
「おはよう」
「おはようございます」
「もう、起きていたの? 二人で朝寝をして、昨夜の余韻を楽しみたかったのに」
「夢を見ていました。二人が裸で抱き合っている夢です。目が覚めたら恥ずかしくなって。もう起きてください。ご飯食べましょう」
紗耶香ちゃんは薄化粧をしている。僕は薄化粧が好きだ。若い子は肌がきれいだから薄化粧がよい。今日の紗耶香ちゃんは昨日とはやはり少し違って見える。少し落ち着いてきたような気がする。
身支度を整えてから二人でダイニングルームへ向かう。ビュッフェスタイルの朝食が準備されている。
いつもはパンと牛乳なので、和食の取り合わせにした。紗耶香ちゃんはパンとジュースとフルーツの取り合わせだ。女の子は少食だなとみていると「朝は和食がいいですか」と聞いてくる。
「いつもは時間がないから、朝食はパンと牛乳だけど、今日は時間があるから、和食を食べてみたいと思っただけ。朝食はパンと牛乳くらいでいいよ」
「私、朝はあまり食べられないけど、なんでも作ります」
「まあ、無理することないよ」
「ありがとう。でも遠慮しないで下さい。早起きだから何でも作ります」
食事を終えて部屋に戻る。先に紗耶香ちゃんを部屋に入れて、部屋に入るとすかさず、後ろから抱きしめる。首に軽くキッス。恥ずかしそうに身体を固くしている。
「今日はどこへ行きたい? 車を借りてあるから、のんびり周辺をドライブしようか」
ここにはもう一泊して明日の朝、金沢へ戻る予定にしている。行き場所はどこでもよいというので、水族館とガラス工房を訪ねることにした。
水族館をひととおり見た後にレストランで昼食を摂る。おすすめの定食とサンドイッチを注文した。紗耶香ちゃんはサンドイッチの一人前は多いので少し食べてほしいというので、残りを食べてあげた。
紗耶香ちゃんはあまり多く食べられないので、外食はほとんどしないとのこと。昨晩の料理もかなり僕が食べてあげた。
食が細いとは聞いていたが、食べる量がほんとうに少ない。僕には弟がいるが、姉妹がいないので、女の子の食事の量の少ないことを始めて実感した。これだけしか食べないで、大丈夫かと心配になる。
ガラス工房では、両方の親にお揃いのグラスを買い、僕たちにもお揃いの色違いのグラスを買った。僕のものはブルーとグリーンの混ざったもので、紗耶香ちゃんのものは赤とピンクの混ざったものだ。良いお土産ができた。
その後、海岸線をドライブして、4時ごろには旅館に戻ってきた。部屋に戻り、窓際のファーに座って二人でのんびり外を眺める。七尾湾と能登島がみえる。紗耶香ちゃんがお茶を入れてくれる。
これからの予定を話し合う。明日は、朝食後、宿を出て、金沢の母親の家へ紗耶香ちゃんを送り、それぞれの実家で一泊する。明後日の朝、9時46分発の新幹線で東京へ向かい、12時20分に東京着、午後2時ごろには高津の自宅に到着の予定だ。
夕食の時間が近づいて来たので、お風呂に入ることにした。部屋に温泉のお風呂があるけど、今日はそれぞれ大浴場へ行ってみることにした。大浴場でお湯につかっていると温泉に来たなあと実感できる。
部屋に戻るともう食事の用意が始まっている。今日は部屋で食事だが、おいしそうな料理ばかりだ。紗耶香ちゃんにはとても食べきれそうもないくらいの品数だ。準備ができるまで一人ソファーで少しずつ暗くなる外を見ている。ふと昨日のことを思い出した。
昨日の一日は本当に慌ただしくて長かった。でも随分前のことにようにも思われた。朝、式場のホテルへ両親と弟の4人で出発。11時から事前打ち合わせ。12時から結婚式、1時から披露宴。3時過ぎに披露宴が終わり、二人でホテルを出発したのが、4時過ぎ。駅から列車でここ和倉温泉のホテルへ。到着が6時ごろで、レストランで食事。そして、長くて短かった二人の初めての夜。
紗耶香ちゃんが浴衣に着替えて戻ってきた。髪を後ろでアップにしている。うなじがゾクッとするほど白い。じっと見ているとその視線に気づいて、恥ずかしそうにこちらへ来る。
「久しぶりに大きなお風呂にゆっくり入れて、気持ち良かった」
「うん、よい温泉だった。日本人には温泉が一番だ。温泉でひと風呂浴びて、湯上りにビールを飲んで、膝枕でうたた寝をする。これが夢だった」
「ビールを飲んで、膝枕にします?」
「ありがとう。膝枕もいいけど、お腹が空いた。夕食の用意ができたら、すぐに食べよう」
しばらくして「ごゆっくり」と仲居さんが部屋を出てゆく。
向かい合って食事をはじめる。紗耶香ちゃんがビールを注いでくれる。二人きりでゆっくり食事をするのはこれが初めてかもしれない。金沢で会って食事をするときも大概は家族が同席していたし、昨日のレストランでの食事も周りに人がいた。
「二人きりでの食事はお好み焼以来だね」
「そうですね」
「おいしいね」
「おいしいですね」
話が続かない。紗耶香の箸も進まない。少しとって口に運ぶだけ。
「このあとのこと考えている?」と聞くとうなずく。
「大丈夫だから、楽にして、少しお酒を飲んだら」とビールを注いでやる。
「少しだけ飲みます」と小さなコップ半分ほど飲んだ。
すぐに頬に赤みが増して、目が少しうるんだみたいだ。
「少し気が楽になったみたい」と箸が動くようになった。
そして何かお話してという。そういえば、こんなにゆっくり話す時間をとれたのは初めてだ。それで、大学を留年した時の話や、就職試験の時の話をした。紗耶香ちゃんは聞き上手でいろいろ聞いてくれた。
それで、今度は紗耶香ちゃんの話が聞きたいと言ってみた。すると高校時代の話をしてくれた。先生の教えてくれた勉強の仕方が役に立ったと言っていた。そして、いつも先生のことを思っていたので、結婚できて本当にうれしいとも言ってくれた。
「紗耶香ちゃん、先生もいいけど、名前を呼んでくれないかな」
「昌弘さんと言うのはまだ慣れないので、しばらくは先生と呼んでもいいですか?」
「言いやすいのならしばらくはいいけど、人前では止めた方が良いと思う」
「分かりました。先生も紗耶香ちゃんはやめてくれませんか? 紗耶香でお願いします」
「分かった。お互い気を付けよう」
お腹が一杯になった。紗耶香もお腹が一杯と言うが、結構残っている。食べる量は相変わらず少ない。そうこうしていると「お済ですか」と仲居さんが部屋に入ってきた。
席を立ってソファーに移り、二人でコーヒーを飲む。仲居さんが食事を片付けて、布団を敷いてくれる。また二つ枕がならぶ。それを二人、横目で見ている。やはりなんか照れくさい。
紗耶香がシャワーを浴びたいと言うので、では一緒にと言うと、ダメといって一人お風呂へ入って行った。紗耶香の次にお風呂に入ってシャワーを浴びて歯磨きして、寝る準備をする。
出てくると、明かりが小さくなっていて、紗耶香はソファーに座っている。横に座って手を握る。身体を固くするのが分かる。大きめのソファーでゆったりしているので、引き寄せて、脚の間に後ろ向き座らせる。
面と向かっては恥ずかしさがあるが、後ろからだと顔が見えないので、気にならない。両手で強く抱きしめる。
「紗耶香、大好きだ」
「私も」
紗耶香を抱きかかえて、布団のところまで運んで行く。突然、抱きあげられたので、驚いたようだったが、首に手をまわして「お姫様抱っこ、うれしい」と言ったので、そのまましばらく部屋の中を歩き回った。布団に下ろして座らせると「大好き」といって抱きついてきた。
紗耶香が辛そうなので続ける気にならない。頃合いを見て、身体を離して、紗耶香の耳元で「これからは時間が十分あるから」というと頷くのが分かった。
後から抱くように身体で包み込んだらすぐに紗耶香の寝息が聞こえてきた。もう眠ったみたい。連日の緊張で疲れているのが分かった。
紗耶香の身体のぬくもりを感じながら、心地よさそうな寝息を聞いていると寝入ってしまった。
また、夢を見た。紗耶香と抱き合っている夢だ。いつまでも二人抱き合っている。そういう夢だった。
明け方、紗耶香が布団を出て行きそうな気配で夢から覚めた。今度は、手を掴んで布団の中に引き戻した。一瞬の抵抗があったが、抱き締めるとおとなしくなった。
紗耶香はようやく愛されることに慣れてきた。そのあとは疲れたのかしばらく布団の中でおとなしくしていた。
ほんのすこしの間だけど、眠ったみたいだった。夢を見た。また同じ夢。紗耶香と抱き合っている夢だった。夢と現実が交錯している。
すっかり明るくなったころ、紗耶香がシャワーを浴びたいというので一緒に浴室へいって二人で朝風呂に入った。
明るい所で初めて見る紗耶香の裸身はまぶしかった。こんな美しいものが自分のものになったんだと、じっと見ていると、恥ずかしいと言ってさっさと出て行ってしまった。
朝食を済ませて、ゆっくりと帰り支度をする。特急列車で金沢駅へ、駅からタクシーで紗耶香を母親の家まで送って行く。昼前には無事到着した。
駅に着いた時に電話してあったので、母親が猫と家の前で待っていた。紗耶香が明るい顔をしているので安心したみたいだった。嬉しそうに挨拶をする。そのまま実家までタクシーで帰った。
すぐに寝息が聞こえた。顔を覗き込むと、安らかな優しい顔をしているので安心した。紗耶香ちゃんの寝息を聞いているうちにこちらも寝入ってしまった。
夜中、紗耶香ちゃんが寝返りしたので目が覚めた。寝苦しくないように身体をずらしてやる。相変わらず安らかな優しい顔で眠っている。あんなふうでよかったのかなと自問しているうちに、また、眠りに落ちた。
それからいつもの夢を見た。紗耶香ちゃんと抱き合っていた。二人とも嬉しそうだった。紗耶香ちゃんがしっかり僕にしがみついている。僕は力いっぱい抱き締めている。そういう夢だった。
朝、紗耶香ちゃんが僕の腕をそっとほどいて、布団を抜け出していったのに気づいて、目が覚めた。気づかれないように眠ったままを装って、後姿を目で追った。シャワーの音が聞こえる。
しばらくすると、バスタオルを身体に巻いて戻ってきた。こちらがまだ眠っているのを確認すると、向こうを向いて身体を拭いて、髪を乾かして、下着をつけて服を着た。
鏡に向かって化粧しているみたい。時々、こちらを向いて、僕が眠っているか気にしている。化粧が終わったのか、そっとこちらにくる。
目をつむって眠ったふりを続けていると、顔を覗き込んでいる気配がする。突然、腕を伸ばして抱き寄せる。一瞬驚いたようだったが、抱きついてきた。軽くキスする。
「おはよう」
「おはようございます」
「もう、起きていたの? 二人で朝寝をして、昨夜の余韻を楽しみたかったのに」
「夢を見ていました。二人が裸で抱き合っている夢です。目が覚めたら恥ずかしくなって。もう起きてください。ご飯食べましょう」
紗耶香ちゃんは薄化粧をしている。僕は薄化粧が好きだ。若い子は肌がきれいだから薄化粧がよい。今日の紗耶香ちゃんは昨日とはやはり少し違って見える。少し落ち着いてきたような気がする。
身支度を整えてから二人でダイニングルームへ向かう。ビュッフェスタイルの朝食が準備されている。
いつもはパンと牛乳なので、和食の取り合わせにした。紗耶香ちゃんはパンとジュースとフルーツの取り合わせだ。女の子は少食だなとみていると「朝は和食がいいですか」と聞いてくる。
「いつもは時間がないから、朝食はパンと牛乳だけど、今日は時間があるから、和食を食べてみたいと思っただけ。朝食はパンと牛乳くらいでいいよ」
「私、朝はあまり食べられないけど、なんでも作ります」
「まあ、無理することないよ」
「ありがとう。でも遠慮しないで下さい。早起きだから何でも作ります」
食事を終えて部屋に戻る。先に紗耶香ちゃんを部屋に入れて、部屋に入るとすかさず、後ろから抱きしめる。首に軽くキッス。恥ずかしそうに身体を固くしている。
「今日はどこへ行きたい? 車を借りてあるから、のんびり周辺をドライブしようか」
ここにはもう一泊して明日の朝、金沢へ戻る予定にしている。行き場所はどこでもよいというので、水族館とガラス工房を訪ねることにした。
水族館をひととおり見た後にレストランで昼食を摂る。おすすめの定食とサンドイッチを注文した。紗耶香ちゃんはサンドイッチの一人前は多いので少し食べてほしいというので、残りを食べてあげた。
紗耶香ちゃんはあまり多く食べられないので、外食はほとんどしないとのこと。昨晩の料理もかなり僕が食べてあげた。
食が細いとは聞いていたが、食べる量がほんとうに少ない。僕には弟がいるが、姉妹がいないので、女の子の食事の量の少ないことを始めて実感した。これだけしか食べないで、大丈夫かと心配になる。
ガラス工房では、両方の親にお揃いのグラスを買い、僕たちにもお揃いの色違いのグラスを買った。僕のものはブルーとグリーンの混ざったもので、紗耶香ちゃんのものは赤とピンクの混ざったものだ。良いお土産ができた。
その後、海岸線をドライブして、4時ごろには旅館に戻ってきた。部屋に戻り、窓際のファーに座って二人でのんびり外を眺める。七尾湾と能登島がみえる。紗耶香ちゃんがお茶を入れてくれる。
これからの予定を話し合う。明日は、朝食後、宿を出て、金沢の母親の家へ紗耶香ちゃんを送り、それぞれの実家で一泊する。明後日の朝、9時46分発の新幹線で東京へ向かい、12時20分に東京着、午後2時ごろには高津の自宅に到着の予定だ。
夕食の時間が近づいて来たので、お風呂に入ることにした。部屋に温泉のお風呂があるけど、今日はそれぞれ大浴場へ行ってみることにした。大浴場でお湯につかっていると温泉に来たなあと実感できる。
部屋に戻るともう食事の用意が始まっている。今日は部屋で食事だが、おいしそうな料理ばかりだ。紗耶香ちゃんにはとても食べきれそうもないくらいの品数だ。準備ができるまで一人ソファーで少しずつ暗くなる外を見ている。ふと昨日のことを思い出した。
昨日の一日は本当に慌ただしくて長かった。でも随分前のことにようにも思われた。朝、式場のホテルへ両親と弟の4人で出発。11時から事前打ち合わせ。12時から結婚式、1時から披露宴。3時過ぎに披露宴が終わり、二人でホテルを出発したのが、4時過ぎ。駅から列車でここ和倉温泉のホテルへ。到着が6時ごろで、レストランで食事。そして、長くて短かった二人の初めての夜。
紗耶香ちゃんが浴衣に着替えて戻ってきた。髪を後ろでアップにしている。うなじがゾクッとするほど白い。じっと見ているとその視線に気づいて、恥ずかしそうにこちらへ来る。
「久しぶりに大きなお風呂にゆっくり入れて、気持ち良かった」
「うん、よい温泉だった。日本人には温泉が一番だ。温泉でひと風呂浴びて、湯上りにビールを飲んで、膝枕でうたた寝をする。これが夢だった」
「ビールを飲んで、膝枕にします?」
「ありがとう。膝枕もいいけど、お腹が空いた。夕食の用意ができたら、すぐに食べよう」
しばらくして「ごゆっくり」と仲居さんが部屋を出てゆく。
向かい合って食事をはじめる。紗耶香ちゃんがビールを注いでくれる。二人きりでゆっくり食事をするのはこれが初めてかもしれない。金沢で会って食事をするときも大概は家族が同席していたし、昨日のレストランでの食事も周りに人がいた。
「二人きりでの食事はお好み焼以来だね」
「そうですね」
「おいしいね」
「おいしいですね」
話が続かない。紗耶香の箸も進まない。少しとって口に運ぶだけ。
「このあとのこと考えている?」と聞くとうなずく。
「大丈夫だから、楽にして、少しお酒を飲んだら」とビールを注いでやる。
「少しだけ飲みます」と小さなコップ半分ほど飲んだ。
すぐに頬に赤みが増して、目が少しうるんだみたいだ。
「少し気が楽になったみたい」と箸が動くようになった。
そして何かお話してという。そういえば、こんなにゆっくり話す時間をとれたのは初めてだ。それで、大学を留年した時の話や、就職試験の時の話をした。紗耶香ちゃんは聞き上手でいろいろ聞いてくれた。
それで、今度は紗耶香ちゃんの話が聞きたいと言ってみた。すると高校時代の話をしてくれた。先生の教えてくれた勉強の仕方が役に立ったと言っていた。そして、いつも先生のことを思っていたので、結婚できて本当にうれしいとも言ってくれた。
「紗耶香ちゃん、先生もいいけど、名前を呼んでくれないかな」
「昌弘さんと言うのはまだ慣れないので、しばらくは先生と呼んでもいいですか?」
「言いやすいのならしばらくはいいけど、人前では止めた方が良いと思う」
「分かりました。先生も紗耶香ちゃんはやめてくれませんか? 紗耶香でお願いします」
「分かった。お互い気を付けよう」
お腹が一杯になった。紗耶香もお腹が一杯と言うが、結構残っている。食べる量は相変わらず少ない。そうこうしていると「お済ですか」と仲居さんが部屋に入ってきた。
席を立ってソファーに移り、二人でコーヒーを飲む。仲居さんが食事を片付けて、布団を敷いてくれる。また二つ枕がならぶ。それを二人、横目で見ている。やはりなんか照れくさい。
紗耶香がシャワーを浴びたいと言うので、では一緒にと言うと、ダメといって一人お風呂へ入って行った。紗耶香の次にお風呂に入ってシャワーを浴びて歯磨きして、寝る準備をする。
出てくると、明かりが小さくなっていて、紗耶香はソファーに座っている。横に座って手を握る。身体を固くするのが分かる。大きめのソファーでゆったりしているので、引き寄せて、脚の間に後ろ向き座らせる。
面と向かっては恥ずかしさがあるが、後ろからだと顔が見えないので、気にならない。両手で強く抱きしめる。
「紗耶香、大好きだ」
「私も」
紗耶香を抱きかかえて、布団のところまで運んで行く。突然、抱きあげられたので、驚いたようだったが、首に手をまわして「お姫様抱っこ、うれしい」と言ったので、そのまましばらく部屋の中を歩き回った。布団に下ろして座らせると「大好き」といって抱きついてきた。
紗耶香が辛そうなので続ける気にならない。頃合いを見て、身体を離して、紗耶香の耳元で「これからは時間が十分あるから」というと頷くのが分かった。
後から抱くように身体で包み込んだらすぐに紗耶香の寝息が聞こえてきた。もう眠ったみたい。連日の緊張で疲れているのが分かった。
紗耶香の身体のぬくもりを感じながら、心地よさそうな寝息を聞いていると寝入ってしまった。
また、夢を見た。紗耶香と抱き合っている夢だ。いつまでも二人抱き合っている。そういう夢だった。
明け方、紗耶香が布団を出て行きそうな気配で夢から覚めた。今度は、手を掴んで布団の中に引き戻した。一瞬の抵抗があったが、抱き締めるとおとなしくなった。
紗耶香はようやく愛されることに慣れてきた。そのあとは疲れたのかしばらく布団の中でおとなしくしていた。
ほんのすこしの間だけど、眠ったみたいだった。夢を見た。また同じ夢。紗耶香と抱き合っている夢だった。夢と現実が交錯している。
すっかり明るくなったころ、紗耶香がシャワーを浴びたいというので一緒に浴室へいって二人で朝風呂に入った。
明るい所で初めて見る紗耶香の裸身はまぶしかった。こんな美しいものが自分のものになったんだと、じっと見ていると、恥ずかしいと言ってさっさと出て行ってしまった。
朝食を済ませて、ゆっくりと帰り支度をする。特急列車で金沢駅へ、駅からタクシーで紗耶香を母親の家まで送って行く。昼前には無事到着した。
駅に着いた時に電話してあったので、母親が猫と家の前で待っていた。紗耶香が明るい顔をしているので安心したみたいだった。嬉しそうに挨拶をする。そのまま実家までタクシーで帰った。