<事件>
心菜と栄太と雄斗を連れて、ボンジュールからチャリで五分の公園へ逃げた。この公園は長い坂道の途中にあって、すべり台の上からはボンジュールの建物が見下ろせる。四角いコンクリート製の廃墟がパトカーの赤い光に照らされ、黒一色で塗りつぶされた夜の街にぽっかりと浮かんでいた。
「次っ! ひーくん!」
順番に傷の手当をしていた心菜がベンチから俺を呼び、俺はアルミ板の上をダンダンダン! と走ってすべり台を下りる。顔にばんそうこうを貼られたちょっと間抜けな顔の栄太と雄斗はブランコに腰掛けていた。
「いってー、しみる! ちょ、心菜、もっと優しくやってくれよ」
「男の子でしょ、これぐらい我慢して。嫌ならもう、喧嘩しない!」
「はいはい」
心菜に叱られてる俺を見て栄太と雄斗が声をひそめ、ぷっと笑う。横目で睨む(にらむ)と二人ともツンとすました、真面目な顔になった。
「みんなにメールしたけど、うちの高校の奴は全員無事だって。誰も捕まってない」
栄太が携帯をいじりながら言った。両耳を飾る計五コのピアスが公園の外灯の光を浴びて、テカテカしている。隣で雄斗がくるっと首をこっちに向ける。茶色でも金でもなく、ハイビスカスみたいな真っ赤に染めた髪は夜でもよく目立った。
「なんか、俺らの近くで影山(かげやま)が暴れてたんだって。あのパトカー、俺らじゃなくて影山を追ってたらしい」
「で、影山は?」
「いやどうも、逃げちまったらしいですよ、ボス」
ふざけた調子で敬語を使い、ニッと欠けた前歯を見せる。俺は心菜が消毒している腕の痛みを我慢しながら、フンと「ボスらしく」頷いてみせた。
影山はこの街の不良の間では有名な男で、なんでも少年院に入ってたことがあるらしく、ほんとかどうかわからないが「俺は人を殺したことがある」みたいなことを言って回ってる。どうせハッタリだとは思うけど喧嘩の腕は確かなようで、影山にアバラを折られたとか前歯を持ってかれたなんて噂は絶えない。俺は直接当たったことはないが、なんとなく妙な雰囲気はあるし、ちょっとあなどれない男なのだ。
「ねーねー、誰なの? その影山って人」
「こっちの話だよ。心菜は関係ない」
「あっまた喧嘩の相談でしょ。ダメだからね」
「違うってば」
俺と心菜のやり取りをくすくす笑って見ていた栄太と雄斗が立ち上がり、公園の入り口に停めておいたチャリに向かって歩き出した。
「じゃ俺ら、もう帰るわ」
「あとは二人でドーゾ。おアツいカップルの邪魔はしませんよう」
「何言ってんだよお前ら!」
でかい声を出したら傷口を濡らす消毒液がツンと神経を刺激して、喉が一瞬固まった。
栄太と雄斗の自転車が坂道を下りていき、タイヤがアスファルトを滑る音も聞こえなくなった頃、俺の傷の手当も終わった。心菜がばんそうこうや消毒液をポーチの中に片付けながら、やれやれとため息をつく。
「まったく、ひーくんはどうしてもう、すぐ喧嘩なんかするかなぁ」
「しょうがねぇだろ。俺、東高のボスなんだから」
「ボスとか学校同士の喧嘩とか、そんなのやってるの今どきひーくんぐらいのもんだよ。もう、ほんっと子どもっぽい。ひーくんは楽しいのかもしれないけど、わたしは本気で心配してるんだからね?」
すねたような言い方。白い横顔にはうっすら涙が浮かび、長い睫毛の端っこを濡らしている。心菜は、可愛い。中学の時も高校生になった今も、学校でいちばん可愛かった。惚れてるからってのもあるけれど、そこを差し引いても心菜は実際、かなり人目を引く美少女だ。学校にファンクラブだってあるらしいし、俺と歩いていて芸能事務所のスカウトに声をかけられたこともある。
そんな心菜に悲しい顔をされると、俺は弱い。
「でも、それもあとちょっとの間だけだよ。秋になればボスは交代だ、今の一年の中からタイマンで選ぶんだけどさ。そうなったらもう、俺らは引退」
「そうなの!?」
「そうなの。うちは毎年きっちり、高二の秋に引き継ぎがあるんだよ。うち、一応進学校だから、その後は受験に集中しようってわけ。まるで部活みたいだろ」
そう言って笑うと心菜の両目からどっと涙の粒が噴き上げてきて、華奢(きゃしゃ)な体が俺に飛びついてきた。いきなり抱きつかれて、ちょっと驚いた。でも柔らかい感触と甘い体温が嬉しくて、俺は細い背中をそっと撫でてやる。
「ごめんな、いつも心配ばっかかけて」
「ほんとだよ。わたしだけじゃないよ? ひーくんのお父さんだってお母さんだって、どれだけ心配してるか」
「そうだよな……」
心菜と栄太と雄斗を連れて、ボンジュールからチャリで五分の公園へ逃げた。この公園は長い坂道の途中にあって、すべり台の上からはボンジュールの建物が見下ろせる。四角いコンクリート製の廃墟がパトカーの赤い光に照らされ、黒一色で塗りつぶされた夜の街にぽっかりと浮かんでいた。
「次っ! ひーくん!」
順番に傷の手当をしていた心菜がベンチから俺を呼び、俺はアルミ板の上をダンダンダン! と走ってすべり台を下りる。顔にばんそうこうを貼られたちょっと間抜けな顔の栄太と雄斗はブランコに腰掛けていた。
「いってー、しみる! ちょ、心菜、もっと優しくやってくれよ」
「男の子でしょ、これぐらい我慢して。嫌ならもう、喧嘩しない!」
「はいはい」
心菜に叱られてる俺を見て栄太と雄斗が声をひそめ、ぷっと笑う。横目で睨む(にらむ)と二人ともツンとすました、真面目な顔になった。
「みんなにメールしたけど、うちの高校の奴は全員無事だって。誰も捕まってない」
栄太が携帯をいじりながら言った。両耳を飾る計五コのピアスが公園の外灯の光を浴びて、テカテカしている。隣で雄斗がくるっと首をこっちに向ける。茶色でも金でもなく、ハイビスカスみたいな真っ赤に染めた髪は夜でもよく目立った。
「なんか、俺らの近くで影山(かげやま)が暴れてたんだって。あのパトカー、俺らじゃなくて影山を追ってたらしい」
「で、影山は?」
「いやどうも、逃げちまったらしいですよ、ボス」
ふざけた調子で敬語を使い、ニッと欠けた前歯を見せる。俺は心菜が消毒している腕の痛みを我慢しながら、フンと「ボスらしく」頷いてみせた。
影山はこの街の不良の間では有名な男で、なんでも少年院に入ってたことがあるらしく、ほんとかどうかわからないが「俺は人を殺したことがある」みたいなことを言って回ってる。どうせハッタリだとは思うけど喧嘩の腕は確かなようで、影山にアバラを折られたとか前歯を持ってかれたなんて噂は絶えない。俺は直接当たったことはないが、なんとなく妙な雰囲気はあるし、ちょっとあなどれない男なのだ。
「ねーねー、誰なの? その影山って人」
「こっちの話だよ。心菜は関係ない」
「あっまた喧嘩の相談でしょ。ダメだからね」
「違うってば」
俺と心菜のやり取りをくすくす笑って見ていた栄太と雄斗が立ち上がり、公園の入り口に停めておいたチャリに向かって歩き出した。
「じゃ俺ら、もう帰るわ」
「あとは二人でドーゾ。おアツいカップルの邪魔はしませんよう」
「何言ってんだよお前ら!」
でかい声を出したら傷口を濡らす消毒液がツンと神経を刺激して、喉が一瞬固まった。
栄太と雄斗の自転車が坂道を下りていき、タイヤがアスファルトを滑る音も聞こえなくなった頃、俺の傷の手当も終わった。心菜がばんそうこうや消毒液をポーチの中に片付けながら、やれやれとため息をつく。
「まったく、ひーくんはどうしてもう、すぐ喧嘩なんかするかなぁ」
「しょうがねぇだろ。俺、東高のボスなんだから」
「ボスとか学校同士の喧嘩とか、そんなのやってるの今どきひーくんぐらいのもんだよ。もう、ほんっと子どもっぽい。ひーくんは楽しいのかもしれないけど、わたしは本気で心配してるんだからね?」
すねたような言い方。白い横顔にはうっすら涙が浮かび、長い睫毛の端っこを濡らしている。心菜は、可愛い。中学の時も高校生になった今も、学校でいちばん可愛かった。惚れてるからってのもあるけれど、そこを差し引いても心菜は実際、かなり人目を引く美少女だ。学校にファンクラブだってあるらしいし、俺と歩いていて芸能事務所のスカウトに声をかけられたこともある。
そんな心菜に悲しい顔をされると、俺は弱い。
「でも、それもあとちょっとの間だけだよ。秋になればボスは交代だ、今の一年の中からタイマンで選ぶんだけどさ。そうなったらもう、俺らは引退」
「そうなの!?」
「そうなの。うちは毎年きっちり、高二の秋に引き継ぎがあるんだよ。うち、一応進学校だから、その後は受験に集中しようってわけ。まるで部活みたいだろ」
そう言って笑うと心菜の両目からどっと涙の粒が噴き上げてきて、華奢(きゃしゃ)な体が俺に飛びついてきた。いきなり抱きつかれて、ちょっと驚いた。でも柔らかい感触と甘い体温が嬉しくて、俺は細い背中をそっと撫でてやる。
「ごめんな、いつも心配ばっかかけて」
「ほんとだよ。わたしだけじゃないよ? ひーくんのお父さんだってお母さんだって、どれだけ心配してるか」
「そうだよな……」