<男たちの戦場>

 しんと暗い夜の底で、殺気を抑えたいくつもの影が蠢(うごめ)いている。


 元は小さなレストランだったらしい、コンクリ造りの平屋建て。閉店してから十年以上経っているそうだが大人の事情ってやつで今だ取り壊されず、俺たち不良に窓をぶち破られたり、壁にスプレーで落書きをされたり、ゴミで汚されたりしながらも、なんとかまだこうして存在している。街の不良の間ではたまり場として有名だった。住宅街から少し離れているのでよほど騒がなければ警察を呼ばれることはないし、四方を囲んでいるコンクリの壁は大人たちからロクデナシ扱いされる俺らを、優しく包み込んでくれているようだった。


『ボンジュール』。俺たちはこの場所をそう呼んでいた。元はここで営業されていたレストランの名前。俺が知らないずっと昔、レストランとして幾人もの客たちに癒しの場を提供していたこの建物は、時代が移り変わった今でも不良たちの癒しの場であり続けている。しかし癒しのパラダイスはちょっとしたきっかけで、戦場に変わる。


 破られた窓のひとつから音を立てないようにして中に入ると、既に十数人不良が人垣を作ってひしめいていた。これから喧嘩を始めようという緊張感のせいで誰も物を言わず、コンクリートの壁に閉ざされた空気は殺気で温まっている。何人かがこっちを振り返り、俺に気づいた栄太(えいた)と雄斗(ゆうと)が手招きする。歩き出すと、自動的に人が動いて道が作られる。俺はこいつらのリーダー、古い言葉で言えば番長だ。つまり我が東高の代表、この町を二分する二大勢力の片方の、いちばん偉い奴ということになる。


「……待たせたな」


 東高の連中が作る人垣のいちばん前に出て言うと、ちょうど俺と向かい合う形になった到(いたる)がガムをくちゃくちゃさせつつ、唾を吐くような顔をして眉を持ち上げる。到の後ろには西高の奴らがずらっと並んでいる。人数は東高・西高どちらも七人、ちょうどいい勝負になりそうだ。俺が前に出るだけで西高の奴らの目にかあっと火が噴き上げる。しかし、睨み合いではこちらも負けていない。栄太も雄斗も、その他の奴らも、ついこの前中学を卒業したばかりの一年たちも、それぞれ自分がいちばん怖く見えると思われる顔を作って、ガムをくちゃくちゃやってる到を睨みつけていた。


「おっせーんだよ聖! 九時開始っつっただろうが、二十分も過ぎてんぞ」

「不良のくせに細けぇこと気にしてんじゃねぇよ、そんなんだからお前の頭、高二にしてつるっぱげなんだろうが」

「これはスキンヘッドだ、わざと剃ってんだよ」


到がぷっとガムを吐き出す。唾がここまで飛んできて、頬がちらっと濡れた気がする。俺の両側にいた栄太と雄斗が顔をしかめ、両者の殺気がにわかに高まる。危うく始まりそうになっている雰囲気だが今にも到たちに飛びかかっていきそうな栄太に落ち着け、と目配せをし、例のアレとささやく。興奮していた栄太がはっと落ち着きを取り戻し、ジーンズの後ろポケットに入れて八つに折りたたんでいたそれを俺に渡す。ゲタ箱に突っ込まれていたため、紙の端が少し汚れている。折りたたまれたものを開き、西高から送りつけられた「挑戦状」を読み上げる。


「挑戦状! もとじつを以って、我が西高生は東高の手からボソジュールを取り戻す! いつまでもボソジュールがお前らの天下だと思うな! 今夜九時、ボソジュールで待つ! ……ほー、やってくれんじゃん」


 挑発するようにわざと口元をにやつかせ、ルーズリーフに書かれた「挑戦状」をひらひらさせると、西高サイドからヤジが飛んでくる。


 不良の人気スポットであるボンジュールは、その高い人気ゆえ長い間東高と西高の抗争の原因になっていた。どちらの高校にもそれぞれ縄張りがあり、町のゲーセンや喫茶店がしばしば「どちらのものか」で揉めるのと同じように。一年前、それまで三年間西高の縄張りだったボンジュールを喧嘩によって俺たち東高の手中に収めたもつかの間、今到たちは再びボンジュールをその手のものにしようと、迫ってきている。


 殺気立つ西高の連中の中で到は一人超然としていて、余裕の笑みさえ浮かべていた。


「聖、お前やっぱバカだな。もとじつってなんだよ。本日だろうが、ほ・ん・じ・つ」


 さすがの俺も嫌味ったらしいその言い方にカチンと来て、頭の中心温度が一気に五度ぐらい上がった。今度は東高サイドが到にヤジを飛ばす中、俺は笑って言ってやった。


「はっ、バカはお前だろ? ボソジュールって何だよ。ボンジュールだろ。お前、カタカナも書けねぇのか? ンとソの違いもわかんないんでちゅかぁ」

「なんだと」


 到のスキンヘッドがトマトみたいに真っ赤になる。両者、一気にヒートアップ。嵐のように吹き荒れるヤジ、じりじり距離を詰める両者。指を鳴らすポキポキという音があっちからもこっちからも聞こえてくる。


 夜の底で俺たちは燃え上がる。喧嘩が始まる直前の、この雰囲気が俺は大好きだ。熱く煮えたぎった血に突き動かされ、喉をいっぱいに開ける。


「野郎ども、かかれえっ!!」


 俺と到はほぼ同時に叫んでいた。