愛知県名古屋市……の隣に位置する地方都市、彩遊《さいゆう》市にある『魔法菓子店 ピロート』。
通年で流している店内BGMを、明るめのボサノヴァチャンネルから、鈴の音が賑やかなクリスマスソングチャンネルに変えると、店の空気が一気にクリスマスムードになる。
店内を改めて見渡す。昨日までハロウィンを盛り上げてくれていたカボチャとお化けは、サンタやトナカイといった、クリスマスに欠かせないキャラクターへ。オレンジと黒がメインの装飾は、赤と緑や金銀といったクリスマスカラーへとチェンジされる。
昨日の閉店後と今日の開店前の三十分を使い、店長の東八代と共に飾り付けを終えたシェフパティシエの天竺蒼衣は、ほう、とため息をついた。
「おお、まさにクリスマスって感じだな。昨日までハロウィンだったとは思えない」
お疲れさん、かぼちゃ頭くん。と、昨日まで飾っていたジャック・オー・ランタンの人形に話しかける八代を見て、蒼衣はくすりと笑う。
「そうだねえ」
何度目のクリスマス準備だろうと、この瞬間、蒼衣の気持ちは一層引き締まる。
クリスマス。それは、世界中の菓子屋が、年内で一番あわただしく、忙しい時期だ。
スケジュールは詰めに詰められ、作業と同時に管理も必要だ。十二月が近くなれば、残業は当たり前、休日も返上で働きづめになる。
蒼衣は過去、この時期に人生の転機を二度経験している。肉体的、精神的にも負担がかかる季節だが、去年は、共に店を経営する親友・八代や周囲のひとたちの協力で乗り切ることができた。
今年も、二十四日の売り子として、常連のおばあちゃんたちが来てくれる。もちろん八代も、店を盛り上げると同時に、蒼衣の負担を極力減らそうと努力してくれている。
自分を支えてくれているひとたちの努力に応えたいと、蒼衣は店内を見渡して再度思う。
「そうだ。予約のチラシ、レジの下に置き場所作っといた。何枚でも配ってくれ。できればおまえからオススメしてもらえるとありがたいんだけど、余裕ないときはチラシを入れるだけでもしてくれるとうれしい」
そうだね、と蒼衣はうなずく。
「新作もあるし、もっと知ってもらいたいよね」
去年と同じ、『キャンドル・ショートケーキ』と、『太陽オレンジのブッシュドノエル』の二種に、今年は数量限定の新作を加え、三種類の商品展開をすることが決まっている。
「そう、新作! 数は少ないけど、インパクトは充分だと思うんだよな、あれ」
浮き足だった様子で語る八代に、蒼衣はむずがゆい気持ちになる。と同時に、クリスマス商戦への緊張がほどけていくようだった。
「そうだといいんだけど」
新作は、他のケーキとはひと味違う。余計に手をかけた、いわゆる「スペシャリテ」である。
ただ、日本人が――ピロートのメイン客層であるファミリー層が受け入れてくれるものかどうか。
やはり、イチゴショートケーキが主流のクリスマスケーキの中、諸外国の伝統的なエッセンスを取り入れたものを売るのは挑戦的な行為である。それも、ハイソサエティなものを売りにしている店ならともかく、街のお菓子屋を自負するピロートでどんな反応になるのか。
蒼衣自身は日本で馴染みのあるショートケーキも嫌いではないが、他にもお菓子にはおいしいものがあると知ってほしい。店のケーキにも、少しではあるがフランス菓子のエッセンスを入れているのはそのためだ。
「もっと自信を持ちたまえパティシエくん。おまえのケーキは美味い! 毎回言ってるけど何回言ってもかまわないよ」
「おだてすぎだよ」
「おだててケーキ作ってくれるならナンボでも褒めますよ、俺は。ああ、アレの面白さを、おいしさを誰かに早く話したい!」
仕事するぞ~! と気合いを入れる八代を見ていると、蒼衣もまた前向きな気分になれるのであった。
::::
十二月二十四日、午前零時。夜中だというのにピロート店内に明かりが見える。
例にもれず、ピロートもクリスマス準備に大わらわである。
「あーおーいー、イチゴカット終わった」
「ありがとう八代。ミキサーの前に置いておいて」
煌々と明かりがついているのは、正確にはピロートの厨房内。賑やかなJ-POPをBGMに、コックコート姿の蒼衣は、回転台に乗せたホールケーキにクリームをナッペしながら、声をかけてきた八代へ簡潔に指示を出す。
八代はイチゴのスライスが大量に乗ったアルミトレーを置くと、スライス作業の為に使っていた包丁とまな板をシンクで手早く洗いはじめた。
はあ、と八代には珍しい疲労感のあるため息が聞こえる。
「俺、今日の夜で一生分のイチゴをスライスしたかも。ゴム手袋もしてたのに、なんかほんのり手先がフルーティー……あ、まだこんなこと言える元気あったんだなー……あー……」
手の動きはいつも通りだが、彼の口から出てくる言葉は、やはり覇気がない。ちらりと後方の八代を見やれば、目をしょぼしょぼとさせている。
さすがに限界かもしれない。そう思った蒼衣は、ナッペの手を止めて、八代のほうへ身体を向けた。
「ちょっと休んだほうがいいんじゃないかな、八代は。昨日も遅かったのに、完徹はさすがにマズイよ」
「でもさ、まだ飾り付け……」
「コーヒー飲んで、十五分でも寝てきたらいいよ。なんなら起こしに行くよ」
「それで頼むわ」
去年もそうだったが、基本的に生菓子であるケーキの製造は、前日が勝負になる。
ありがたいことに、予約数は去年を上回った。新作も予定数をすぐに越えてくれた。八代曰く、見た目と魔法効果が、やはりファミリー層に注目されたらしい。見本を載せたSNSの投稿も効果があったらしく、蒼衣もそんな話を何度か聞いた。
「おまえのケーキをみんな待ってるから、俺もがんばらないとな。じゃ、ちょっと休んでくるわ」
そう言い残すと、八代は喫茶スペースに入っていった。
蒼衣も眠気をかみ殺す。八代はあくまでも手伝いの立場であり、製造するのは蒼衣だけだ。
体も心もつらいが、乗り越えた先にだれかの幸せがあることを蒼衣は知っている。
「がんばれ、自分」
鼓舞するようにつぶやいた蒼衣は、またナッペ作業に戻った。
「お、飾り付け見本ができてる」
十五分後、厨房に戻ってきた八代が上ずった声を出した。
作業台の上には、クリスマスの飾りつけをされた『キャンドル・ショートケーキ』のホールと『太陽オレンジのブッシュドノエル』がそれぞれ一台ずつ乗せてある。
「早速だけど、この見本の通りに、そこに分けてある飾りを乗せていってほしい」
蒼衣が指さした場所には、火イチゴのコンフィチュール、キノコ型の砂糖菓子、ヒイラギ型のチョコ、トリュフ、カラフルなチョコレートマンディアンなどの飾りが乗ったトレーがある。
「オーケーオーケー、見本通りな」
「頼んだよ。八代なら安心だから」
「そうだな、俺がケーキに顔突っ込みそうになったら止めてくれ」
「同じセリフをそっくり返すよ」
すっかり調子の戻っている八代に安心しつつ、蒼衣も仕上げに取りかかる。
作業台を挟んだ八代の向かい側で、新作『スノーマン・ハウス』のパーツを並べはじめた。
四角や三角の形をした、香ばしいクッキーと、接着に使うアイシング。そしてミニマカロン、アイシングクッキー、チュイルやギモーヴなど、小さい焼き菓子やカラフルなコンフィズリーが並ぶ。
「しっかしパーツ多いな、スノーマン・ハウス。なんだっけ、そのお菓子の家の名前」
「ヘクセンハウス。直訳すると「魔女の家」ドイツではメジャーなクリスマスのお菓子だよ。一回やってみたかったんだ。一度は食べてみたいと思わないかい、お菓子の家は」
クッキーをアイシングで接着して、三角屋根の家を作りながら、蒼衣は解説した。
「確かに、グリム童話の「お菓子の家」は憧れだわな。小さなクッキーやマカロンがそこかしこにくっついてるのがイイ。ベルサブレも使ってるから、食べるときも楽しいだろうな。でも、最大の楽しみは、家の中に潜んでるアイツ……」
八代が笑みを浮かべながら冷凍庫をちらりと見る。中にぎっしりと詰まっている「アイツ」を思い出し、蒼衣もつられてほほえみを浮かべた。
::::
「……おつかれ、さまでした!」
「でした~……」
二十四日、午後七時半。最後のお客を見送り「閉店」の看板を出したピロートの店内。
喫茶スペースの机に突っ伏すのは、うなり声しか出ない蒼衣と八代の二人だった。
二十四日、クリスマスイブのお菓子屋はまさに戦場だった。明け方まで必死でケーキを組み立て、休憩もそこそこに開店。途切れることのないお客の相手と追加製造に、蒼衣も八代も、厨房と店を何度行き来したかわからない。
販売に関しては、やはりおばあさん達の力が偉大だった。手際の良さは、なんとなく去年よりも磨きがかかっているような気がしたくらいだ。
手伝ってくれたヨキ・コト・キクのおばあさんたちは、閉店までいようとするのをなだめて夕方に帰ってもらった。働き盛りの三十路二人よりもなぜかパワフルな三人だが、この寒さで突然倒れられても困る。
「……今年も疲れたなあ」
「うん……」
先ほどからお互い「疲れた」しか口から出てこなくなっている。
閉店後、ざっと売り上げを確認し、想定通りの数字になっていることに安堵した二人は、一気に緊張の糸が切れてしまったのだ。
蒼衣は疲労でぼおっとする頭を振って、目の前で倒れる八代の肩を叩いた。
「八代……今年は家帰るんだろ……支度しなくていいのか……」
去年は、八代の妻である良子《よしこ》と娘の恵美《えみ》は、良子の実家に行ってしまっていたため、なし崩し的に蒼衣の部屋に泊まっていったという顛末がある。
しかし、今年は少しでも家族といたほうがいいと、蒼衣が帰ることを薦めた。
八代にはかわいい盛りの娘がいる。さすがに二年連続でお父さんが居ないクリスマスイブというのは、恵美にとっても良子にとっても、嫌なことだろうと思ったのだ。
「ほら、君んとこ用の『スノーマン・ハウス』を用意してあるから。恵美ちゃんに見せるんだろ」
ああ、と顔を上げた八代が、のろのろと席を立つ。
「本当にお疲れさま、八代。明日の準備は、僕がしておくから。……良いクリスマスを」
ワイシャツの背中に声をかける。ほんの少しだけさみしさが胸をよぎるが、この職業に就いたときから、その幸せは手放している。
同じ職業でも、せめて自分の一番大切な親友の家族には、さみしい思いをさせたくない。
しかし八代は、立ったまま動こうとしない。どうしたの、と声をかけようと思ったそのとき、八代が振り向いた。そして、蒼衣の肩を軽く叩く。
「蒼衣、今からちょっと付き合え」
「は、い?」
言葉の意味が分からずぽかんとしていると、早く上着着ろって、と急かさせる。
「え、ちょっと、上着? でも、僕、明日の準備……」
「俺も一緒に戻ってきてやるから。とにかく、行くぞ」
肩を押されるまま席を立ち、あれよあれよと裏口までたどり着いてしまう。そのうちに蒼衣の上着を渡され、流れで手に取ってしまった。
「行くって、どこに?」
隣の八代を見れば、東家用に用意した『スノーマン・ハウス』の箱を持っている。
「どこって、俺の家だよ」
通年で流している店内BGMを、明るめのボサノヴァチャンネルから、鈴の音が賑やかなクリスマスソングチャンネルに変えると、店の空気が一気にクリスマスムードになる。
店内を改めて見渡す。昨日までハロウィンを盛り上げてくれていたカボチャとお化けは、サンタやトナカイといった、クリスマスに欠かせないキャラクターへ。オレンジと黒がメインの装飾は、赤と緑や金銀といったクリスマスカラーへとチェンジされる。
昨日の閉店後と今日の開店前の三十分を使い、店長の東八代と共に飾り付けを終えたシェフパティシエの天竺蒼衣は、ほう、とため息をついた。
「おお、まさにクリスマスって感じだな。昨日までハロウィンだったとは思えない」
お疲れさん、かぼちゃ頭くん。と、昨日まで飾っていたジャック・オー・ランタンの人形に話しかける八代を見て、蒼衣はくすりと笑う。
「そうだねえ」
何度目のクリスマス準備だろうと、この瞬間、蒼衣の気持ちは一層引き締まる。
クリスマス。それは、世界中の菓子屋が、年内で一番あわただしく、忙しい時期だ。
スケジュールは詰めに詰められ、作業と同時に管理も必要だ。十二月が近くなれば、残業は当たり前、休日も返上で働きづめになる。
蒼衣は過去、この時期に人生の転機を二度経験している。肉体的、精神的にも負担がかかる季節だが、去年は、共に店を経営する親友・八代や周囲のひとたちの協力で乗り切ることができた。
今年も、二十四日の売り子として、常連のおばあちゃんたちが来てくれる。もちろん八代も、店を盛り上げると同時に、蒼衣の負担を極力減らそうと努力してくれている。
自分を支えてくれているひとたちの努力に応えたいと、蒼衣は店内を見渡して再度思う。
「そうだ。予約のチラシ、レジの下に置き場所作っといた。何枚でも配ってくれ。できればおまえからオススメしてもらえるとありがたいんだけど、余裕ないときはチラシを入れるだけでもしてくれるとうれしい」
そうだね、と蒼衣はうなずく。
「新作もあるし、もっと知ってもらいたいよね」
去年と同じ、『キャンドル・ショートケーキ』と、『太陽オレンジのブッシュドノエル』の二種に、今年は数量限定の新作を加え、三種類の商品展開をすることが決まっている。
「そう、新作! 数は少ないけど、インパクトは充分だと思うんだよな、あれ」
浮き足だった様子で語る八代に、蒼衣はむずがゆい気持ちになる。と同時に、クリスマス商戦への緊張がほどけていくようだった。
「そうだといいんだけど」
新作は、他のケーキとはひと味違う。余計に手をかけた、いわゆる「スペシャリテ」である。
ただ、日本人が――ピロートのメイン客層であるファミリー層が受け入れてくれるものかどうか。
やはり、イチゴショートケーキが主流のクリスマスケーキの中、諸外国の伝統的なエッセンスを取り入れたものを売るのは挑戦的な行為である。それも、ハイソサエティなものを売りにしている店ならともかく、街のお菓子屋を自負するピロートでどんな反応になるのか。
蒼衣自身は日本で馴染みのあるショートケーキも嫌いではないが、他にもお菓子にはおいしいものがあると知ってほしい。店のケーキにも、少しではあるがフランス菓子のエッセンスを入れているのはそのためだ。
「もっと自信を持ちたまえパティシエくん。おまえのケーキは美味い! 毎回言ってるけど何回言ってもかまわないよ」
「おだてすぎだよ」
「おだててケーキ作ってくれるならナンボでも褒めますよ、俺は。ああ、アレの面白さを、おいしさを誰かに早く話したい!」
仕事するぞ~! と気合いを入れる八代を見ていると、蒼衣もまた前向きな気分になれるのであった。
::::
十二月二十四日、午前零時。夜中だというのにピロート店内に明かりが見える。
例にもれず、ピロートもクリスマス準備に大わらわである。
「あーおーいー、イチゴカット終わった」
「ありがとう八代。ミキサーの前に置いておいて」
煌々と明かりがついているのは、正確にはピロートの厨房内。賑やかなJ-POPをBGMに、コックコート姿の蒼衣は、回転台に乗せたホールケーキにクリームをナッペしながら、声をかけてきた八代へ簡潔に指示を出す。
八代はイチゴのスライスが大量に乗ったアルミトレーを置くと、スライス作業の為に使っていた包丁とまな板をシンクで手早く洗いはじめた。
はあ、と八代には珍しい疲労感のあるため息が聞こえる。
「俺、今日の夜で一生分のイチゴをスライスしたかも。ゴム手袋もしてたのに、なんかほんのり手先がフルーティー……あ、まだこんなこと言える元気あったんだなー……あー……」
手の動きはいつも通りだが、彼の口から出てくる言葉は、やはり覇気がない。ちらりと後方の八代を見やれば、目をしょぼしょぼとさせている。
さすがに限界かもしれない。そう思った蒼衣は、ナッペの手を止めて、八代のほうへ身体を向けた。
「ちょっと休んだほうがいいんじゃないかな、八代は。昨日も遅かったのに、完徹はさすがにマズイよ」
「でもさ、まだ飾り付け……」
「コーヒー飲んで、十五分でも寝てきたらいいよ。なんなら起こしに行くよ」
「それで頼むわ」
去年もそうだったが、基本的に生菓子であるケーキの製造は、前日が勝負になる。
ありがたいことに、予約数は去年を上回った。新作も予定数をすぐに越えてくれた。八代曰く、見た目と魔法効果が、やはりファミリー層に注目されたらしい。見本を載せたSNSの投稿も効果があったらしく、蒼衣もそんな話を何度か聞いた。
「おまえのケーキをみんな待ってるから、俺もがんばらないとな。じゃ、ちょっと休んでくるわ」
そう言い残すと、八代は喫茶スペースに入っていった。
蒼衣も眠気をかみ殺す。八代はあくまでも手伝いの立場であり、製造するのは蒼衣だけだ。
体も心もつらいが、乗り越えた先にだれかの幸せがあることを蒼衣は知っている。
「がんばれ、自分」
鼓舞するようにつぶやいた蒼衣は、またナッペ作業に戻った。
「お、飾り付け見本ができてる」
十五分後、厨房に戻ってきた八代が上ずった声を出した。
作業台の上には、クリスマスの飾りつけをされた『キャンドル・ショートケーキ』のホールと『太陽オレンジのブッシュドノエル』がそれぞれ一台ずつ乗せてある。
「早速だけど、この見本の通りに、そこに分けてある飾りを乗せていってほしい」
蒼衣が指さした場所には、火イチゴのコンフィチュール、キノコ型の砂糖菓子、ヒイラギ型のチョコ、トリュフ、カラフルなチョコレートマンディアンなどの飾りが乗ったトレーがある。
「オーケーオーケー、見本通りな」
「頼んだよ。八代なら安心だから」
「そうだな、俺がケーキに顔突っ込みそうになったら止めてくれ」
「同じセリフをそっくり返すよ」
すっかり調子の戻っている八代に安心しつつ、蒼衣も仕上げに取りかかる。
作業台を挟んだ八代の向かい側で、新作『スノーマン・ハウス』のパーツを並べはじめた。
四角や三角の形をした、香ばしいクッキーと、接着に使うアイシング。そしてミニマカロン、アイシングクッキー、チュイルやギモーヴなど、小さい焼き菓子やカラフルなコンフィズリーが並ぶ。
「しっかしパーツ多いな、スノーマン・ハウス。なんだっけ、そのお菓子の家の名前」
「ヘクセンハウス。直訳すると「魔女の家」ドイツではメジャーなクリスマスのお菓子だよ。一回やってみたかったんだ。一度は食べてみたいと思わないかい、お菓子の家は」
クッキーをアイシングで接着して、三角屋根の家を作りながら、蒼衣は解説した。
「確かに、グリム童話の「お菓子の家」は憧れだわな。小さなクッキーやマカロンがそこかしこにくっついてるのがイイ。ベルサブレも使ってるから、食べるときも楽しいだろうな。でも、最大の楽しみは、家の中に潜んでるアイツ……」
八代が笑みを浮かべながら冷凍庫をちらりと見る。中にぎっしりと詰まっている「アイツ」を思い出し、蒼衣もつられてほほえみを浮かべた。
::::
「……おつかれ、さまでした!」
「でした~……」
二十四日、午後七時半。最後のお客を見送り「閉店」の看板を出したピロートの店内。
喫茶スペースの机に突っ伏すのは、うなり声しか出ない蒼衣と八代の二人だった。
二十四日、クリスマスイブのお菓子屋はまさに戦場だった。明け方まで必死でケーキを組み立て、休憩もそこそこに開店。途切れることのないお客の相手と追加製造に、蒼衣も八代も、厨房と店を何度行き来したかわからない。
販売に関しては、やはりおばあさん達の力が偉大だった。手際の良さは、なんとなく去年よりも磨きがかかっているような気がしたくらいだ。
手伝ってくれたヨキ・コト・キクのおばあさんたちは、閉店までいようとするのをなだめて夕方に帰ってもらった。働き盛りの三十路二人よりもなぜかパワフルな三人だが、この寒さで突然倒れられても困る。
「……今年も疲れたなあ」
「うん……」
先ほどからお互い「疲れた」しか口から出てこなくなっている。
閉店後、ざっと売り上げを確認し、想定通りの数字になっていることに安堵した二人は、一気に緊張の糸が切れてしまったのだ。
蒼衣は疲労でぼおっとする頭を振って、目の前で倒れる八代の肩を叩いた。
「八代……今年は家帰るんだろ……支度しなくていいのか……」
去年は、八代の妻である良子《よしこ》と娘の恵美《えみ》は、良子の実家に行ってしまっていたため、なし崩し的に蒼衣の部屋に泊まっていったという顛末がある。
しかし、今年は少しでも家族といたほうがいいと、蒼衣が帰ることを薦めた。
八代にはかわいい盛りの娘がいる。さすがに二年連続でお父さんが居ないクリスマスイブというのは、恵美にとっても良子にとっても、嫌なことだろうと思ったのだ。
「ほら、君んとこ用の『スノーマン・ハウス』を用意してあるから。恵美ちゃんに見せるんだろ」
ああ、と顔を上げた八代が、のろのろと席を立つ。
「本当にお疲れさま、八代。明日の準備は、僕がしておくから。……良いクリスマスを」
ワイシャツの背中に声をかける。ほんの少しだけさみしさが胸をよぎるが、この職業に就いたときから、その幸せは手放している。
同じ職業でも、せめて自分の一番大切な親友の家族には、さみしい思いをさせたくない。
しかし八代は、立ったまま動こうとしない。どうしたの、と声をかけようと思ったそのとき、八代が振り向いた。そして、蒼衣の肩を軽く叩く。
「蒼衣、今からちょっと付き合え」
「は、い?」
言葉の意味が分からずぽかんとしていると、早く上着着ろって、と急かさせる。
「え、ちょっと、上着? でも、僕、明日の準備……」
「俺も一緒に戻ってきてやるから。とにかく、行くぞ」
肩を押されるまま席を立ち、あれよあれよと裏口までたどり着いてしまう。そのうちに蒼衣の上着を渡され、流れで手に取ってしまった。
「行くって、どこに?」
隣の八代を見れば、東家用に用意した『スノーマン・ハウス』の箱を持っている。
「どこって、俺の家だよ」