窓の外で、一枚の枯れ葉が風に舞っていった。

「……なんていうか、ごめんね、彩也子ちゃん。せめてあの日私たちが起こしてあげてたら……」
「いや、いや、とんでもないです」

 遅かれ早かれ、こうなる日が訪れていた気がしますから、と、自ら口にした彩也子の肩が更に落ちていく。沈痛な面持ちのろくろがちらり、きつねを窺った。わらしが慌てたように身を乗り出す。

「でもさ、本当に疲れてたよね、彩也子ちゃん。最初にここ来た時、クマすごかったもん」
「は、はい、ほんと、一瞬お仲間かと思ったぐらい……いえ、あの、悪い意味じゃなく!」
「あーーそれ悪い意味にしか聞こえないと思うなーー」

 ろくろはごめんなさい……とさらに沈痛な顔を下へ向ける。きつねがやれやれと苦笑した。

「大変だったでしょ、休日出勤。今どきまだそんなの続けてるところあるんだね」
「うちの会社だと、みんなそうなんですよ。あと、単純に私は特に仕事が遅いから終わらなくて……時間になると勝手にタイムカード切られるから残業代も出ないですし」

 彩也子としては些細な愚痴のつもりで言ったその言葉に、きつねがあからさまに眉根を寄せる。

「まあまあ悪質じゃないの、それ」
「え、でも……時間内に終わらせさえすればいいだけの話なので」

 と、わらしの瞳がきらりと光った。

「もしかしてだけど、事務なのに事務以上の仕事させられたりとかしてる? 」
「えっ! どうしてわかったんですか! 契約の手続きの施行とか商品説明とかやってます!」

 わらしの瞳がまた光る。

「その割にボーナス全額カットされたりするとか」
「えっ! どうしてわかったんですか! 給料も営業事務としての分しかもらってないです!」

 黒い瞳はぎらぎら光る。

「有給申請すると延々と嫌味言われるとか」
「えっ! どうしてわかったんですか! 申請しても取れたことないです!」
「はい決定ブラック企業! 私昔から商家に住み着いてきたから見慣れてるよそういうの! 家出時だね!」
「さすが座敷童」
「見放されると商家が潰れる妖怪です」
「え? え?」

 話についていけない彩也子に、「要するに」ときつねが切り出す。

「その会社ろくでもないよ、って話」
「……やっぱりですか?」

 薄々感づいてはいた。いたが、内定がとれた中で一番名の知れた会社。ついでに目の前のことで精いっぱいで、転職する勇気はなかった。

「十四連勤ってやっぱりおかしいですよね……」

 三人の口から、そろって「うわぁ」と声が漏れた。

「よく倒れませんでしたね……」
「体は丈夫なので……」
「ダメなほうに発揮しちゃったか」

 きつねが苦笑した。
 突然、わらしが手を挙げる。

「はーい、遅刻とか誤字脱字、そのせいに一票」
「そうですよね、彩也子ちゃん確かにてきぱきしたタイプではないけど結構几帳面ですもん。洗濯物とかすごい綺麗に干してありました」
「えっきつねちゃん見習いなよ」
「はー?」

 ごめんごめん冗談、とわらしが片手を立てる。

(ああ、そういえば)

 彩也子は思った。

(こういう友達との会話、何年もしてないなあ)

「ね、彩也子ちゃん。だからね」

 きつねがそっと、彩也子の手を取る。
 久しぶりに体温に触れた気がした。

「彩也子ちゃんはがんばった! 全然悪くない!」

 そんなわけない、と思う。取り返しのつかないミスをしたのは彩也子だから。
 でも、心のどこかで、彩也子の心に、浮かび上がってきた思考。

(そう思ってもいいの?)

(私、がんばったって思っていいの?)

 涙が一気にあふれた。
 しゃくり上げる彩也子の背中を、ろくろが優しくさすっているのを感じる。
 わらしが彩也子に、ぴったりと体をくっつける。――妖怪のはずなのに、温かい。

 滲んだ視界の先で、きつねがそっと見守っていてくれるのがわかる。

 ますます涙が止まらなくて、彩也子の口から嗚咽が漏れた。

===

 帰り道。
 彩也子は周囲を見渡した。

(なんか……すごく空気がおいしい気がする)

 瞳を閉じる。
 十二月の澄んだ空気を、肺に思いっきり取り入れる。
 目を開けた。歩みだす。

 まるで、誰かに背中を押されているように、体が軽かった。