「ニンゲンはたいてい夜に寝るってのはわかってるんだけどね? 結局私らが調子いいのって夜だからさー。ここ開けるのもいつも夕方からなんだよね」
そんなことをいいながら少女はレジ袋を物色する。その背後で、ふさふさした尻尾が機嫌よさそうに揺れていた。
彩也子の目にはせいぜい二十歳そこそこに見えるその少女の切れ長の目は、いわれてみれば確かに狐のようだ。
「そおそ。で、今日は誰も来ないまま深夜になっちゃったから、もうこうなったら酒盛りでもするしかないってなって、ろくちゃんに買い出し行ってもらったとこ」
おかっぱの童女はレジ袋からうきうきとワンカップを取り出す。見た目には堂々たる法律違反だ。そんな目線に気が付いたのか、童女と目が合う。
「ニンゲンの法律なんてあやかしには関係ないもんねー」
にやりと笑った童女は「熱燗にするー!」と台所へ消えていった。その背に『きつねちゃん』が付け足す。
「あくまでもお客さん待つ間に、ね!」
「よく言うよ、自分だって今日いつもの発泡酒じゃなくてお高めのビールのくせに」
「あー、きつねちゃんその黒ごまもちアイスは私のですー!」
「はいはい。――それにしてもこんなにおいしい甘味がいつでもどこでも手に入るって最高だよね、現代文明さまさま。コンビニスイーツでなにかお気に入りある?」
急に水を向けられて、彩也子はひるむ。
「えっと……」
「あーてかなんか飲む? ワンカップあるよ? あとはきつねちゃんのビールか、あ、チューハイもある、ろくちゃん用の」
「お酒しかないんですか……」
「そりゃこんな時間だし、飲んで食って喋るしかやることないって。あ、これ開けていい?」
「どぞどぞー。彩也子ちゃんも気にしないでなんでも飲んで食べちゃって。どうせコンビニすぐそこですからー」
「は、はあ……」
「はいポテチ」
「あ……」
狐少女が差し出したポテトチップスの袋から一枚つまみだす。
彩也子は、目の前で起きていることに理解が追い付いていなかった。結果、いつも通り、雰囲気に流されている。その自覚はあった。
正面に座る狐少女を眺める。
精巧な尻尾だ。随分と機嫌が良さそうにゆらゆら揺れている。
作り物には、どうしても見えない。
右側に視線を移す。小学校中学年程度の少女がレンジで温めた日本酒のワンカップで晩酌をしている。
彩也子の左側には……言わずもがな、先刻彩也子の度肝を抜いた元首無し女がいた。穏やかに相槌を打つその声に言いようもない既視感を覚えて記憶をまさぐる。
視線に気が付いた彼女が不思議そうにこちらを見ていて、そのうち、「あ、」と声を漏らした。
「もしかして、この前夜道でチラシを渡した……?」
「あ! はい、はい、それです、それ私です」
童女が目をむく。
「まじか」
狐少女がどん引いている。
「あのくそださいチラシで?」
「やっぱり、無駄じゃなかったじゃないですかー!」
ろくろ首は頬を膨らませて狐少女に詰め寄った。
「いや、ごめん。……でもやっぱりデザインは変えたほうがいいって」
「何がだめなんですか!? 虹色ですよ!!?」
「なんでろくちゃんそんなに虹色の文字にこだわるの……?」
「二人とも! お客さんの前!」
童女が声を張って制止する。
彩也子は気まずくなって、鼻の頭を掻いた。
その様子を見た狐少女が、取り繕うように苦笑する。
「ごめんね、うち、ろくちゃんが事務担当なんだけどこの前ポスター作ろうって急に……ってこんな話はいいか。なんか質問ある?」
彩也子は視線を膝に落とした。
意を決して、口を開く。
「あの、本当におばけ、なんですか?」
「うーん、まあ、妖狐だから化け物の類ではあるね」
狐少女はそういうと、ビールの缶をあおる。童女が続いた。
「私は座敷童ー。こっちの『ろくちゃん』はろくろ首だよ」
彩也子にチラシを渡した女性だ。彼女に目を向ける。
「……首、伸びるんですか?」
「もちろん伸びますよー!」
「ひぃっ!」
色白の首がゴムのようにびよんと伸びて、裏返った彩也子の声にきつねとわらしが勢いよくふき出した。
「大丈夫だよ、あれ宴会の一発芸みたいなもんだから」
「ほんと害ないんだよあれ。結果人間がびっくりするだけだもん」
「びっくりしました……」
早くなった鼓動を、なんとか落ち着かせる。
ふう、と息を吐くのと、狐少女が口を開くのが同時だった。
「じゃあ、今度は私の番かな」
少しだけ身を乗り出して、少女は彩也子をのぞき込む。
「――最近の恋愛事情は?」
「あ……」
ここに来たきっかけを思い起こさせられて、自然、俯きがちになった。
「……実は、彼氏と上手くいってなくて」
「ほうほう」
「なにがあったの?」
先を促されて、彩也子は一連の流れを振り返った。
発端は、先週、急な残業でデートが流れたことだ。
元々段取りの悪い彩也子は、その日仕事がギリギリまで終わらず、待ち合わせ時間に間に合わないことを諒一に電話で連絡した。諒一はそれに怒って、先に帰ってしまったのだ。
今日はその埋め合わせをすることになっていた。ところが、時間になっても現れない。既読もつかない時点でうすうす予感はしていたが、「なんか頭痛いから今日やっぱやめよ」と返事が来たのはその二時間後のこと。
「自分勝手だね」
座敷童の第一声に、彩也子は多少鼻白んだ。
「……ですよね」
「うん? いや、彩也子ちゃんじゃなくてよ、相手が」
「……でも、最初は私が怒らせたんですし」
「いや、どー考えてもそいつがおかしいよ。いやマジで。ねえろくちゃん」
「体調悪いなら待ち合わせ時間までに言えって話ですよ。デートなんだから、こっちもいろいろ準備してますし」
「わかる」
こうも自分の恋人を好き放題言われると、彩也子は何となく複雑な気持ちになる。やいのやいのと言い合う二人に比べて、狐少女は比較的穏やかに彩也子の話を聞いていた。
「……きつねさん、どう思いますか」
「まあ、正直、付き合っててきついんじゃないかなって思うよ」
「……そうですか」
きつねは続ける。
「彩也子ちゃんは『きっかけ』を作ってるけど、それが彩也子ちゃんをサンドバッグにしていい理由にはなんないよね」
「ろくでもないやつだね」
「ろくでもないですね」
彩也子は閉口した。相談したのは自分だが、曲りなりにも恋人である。ろくでもないと言われると、反論したくなるものだ。
「諒一は私のこと考えてくれてます。確かにちょっと浮き沈み激しいけど、私がもっとちゃんとしてたら、諒一だってもっと向き合ってくれると思うんです」
「でもそいつと結婚したいの?」
一瞬、詰まった。
「……別れたら、もう結婚できるような相手に出会えないんじゃないかって思います。私、ぐずだし。のろまだし。美人でもないし」
「いやそういう子の方がまだモテると思うよぉ、ねえきつねちゃん?」
「……何がいいたいのかな、わらし?」
少女がその鋭い目でじとりとねめつけるが、肝心の座敷童はどこ吹く風でまた一口酒を嗜んだ。ろくろ首は彩也子に耳打ちしてくる。
「きつねちゃん、見るからに強い女だから殿方が近寄ってこないんですよ」
「は、はあ……」
「もういいでしょ、私の話は! 今日は彩也子ちゃんの話聞くの!」
仕切りなおされて、彩也子に視線が集まる。
「……私がちゃんとしてないから、諒一は怒るんです。今月も一回仕事に遅刻しちゃったし、書類の入力ミスばっかりだし、やらなきゃいけない仕事も忘れちゃうし、自分のことで精いっぱいで気配りも下手で。だから、私が変われば、諒一も変わってくれると思うんです」
――彩也子は、自分のことが嫌いだ。
できないことばかりの自分が、いつも情けなくなる。
静かに、彩也子の話に耳を傾けていたきつねが、口を開く。
「あのね、彩也子ちゃん。彩也子ちゃんが仕事で遅れちゃったり、忘れっぽかったり、あんまり気を回せなかったとしても、それ全部許してくれる人って絶対いるよ」
先ほどまでとは違う、柔らかい声音。
「納得できなくても、それは頭の片隅に置いといて?」
ちゃぶ台を囲む三人が優しく彩也子を見つめている。
――なぜだか、また、泣きたくなった。