夜は長い。
 特に今夜は――果てしなく。

「さぁ行くぞ怜」

 置いていくぞと私の手を引く。
 どくろさんの手は氷のように冷たかった。
 骨なのだから当たり前か。

「さっきかっこつけて非日常の世界に行くとか言っていましたけど、具体的にはそれってどこにあるんですか?」
「どこにでもある」
「……?」
「まぁ今回はその中でもとびきりすげぇ所にいくけどな――!」

 ひとまずついてくればいいとだけ。
 するとどくろさんは校庭に向く窓枠の側へ行く。
 理科準備室は地上4階にあり、遠くの建物の明かりが織りなす輝かしい景色を一望できた。

「飛ぶぞ」
「はい?」
「英語で言うと〝ふらいあうぇい〟だ」
「わざわざ外国語で訳さなくても飛ぶという意味は理解できています。私が首を傾げたのは――」
「俺の手を離すなよ」
「話を聞いてます? まずは説明をして頂いても……」
「行くぜ!」
「え――あ、ちょっと――!?」

 まったくの無視を決め込み、一気に夜へと飛翔する。
 彼に連れ出され宙に身体を投じ、言いようのない浮遊感と緊張感が駆け巡る。
 
「し、死んじゃ――」

 私は自分のが死ぬということを、この時初めて確信した。

     ※

「突然飛び降りたのは悪かったって。もう機嫌直せよな怜」
「別に機嫌悪くなんかないですけど?」
「いやいやいや。明らかに怒ってるでしょ。俺の左手を握る強さが尋常じゃないし。なんならちょっとヒビ入ってるし」
「なんですか? 私がゴリラ並みの握力を持ってるって遠回しに言いたいんですか?」
「言ってねーよ!」
「分かりました。では本気で握りますね」
「なぜ!? 否定したじゃねーか!?」

 4階から飛び降りて(正しくは飛び降りさせられて)、私は本当に落下死すると思った。
 だが地面スレスレのタイミングでどくろさんが自力で砕け、不思議な力?技?でクッション代わりになってくれた。

「これからあやかしたちの世界に行く。あいつらは人を驚かせるのが大好きな連中だ。慣れるためにも、ここで一発檄を飛ばしておこうと思ったんだよ」
「檄を飛ばすと空を飛ぶを掛けたわけですか。わー上手い上手い。――で、言い訳はそれだけです?」
「だから怖い目すんなって。美人が台無しだぜ?」
「び、美人って……」
「お? 照れてんのー? そういうところは可愛い――んナ!?」

 ここで偶然どくろさんの足を踏んでしまい、これまた偶然勢い余って踏み潰してしまう。
 先に言っておくけれど照れ隠しではない。
 私はちょっと褒められたくらいで浮き足立ってしまような人間ではないのだ。
 
「どくろさんはなんであの場所にいたんですか?」
「……あぁ?」

 手を離すなと言われているので、私は手は握ったままに質問した。
 粉砕された足を再生させながらどくろさんは応えてくれる。

「そりゃお前の学校が俺の根城だからだ。家の住人が家にいるのは当然だろう?」
「なるほど。ちなみに食事とかってどうするんです? がしゃどくろの史実通り本当に人間を食べたりするですか?」
「人間の魂を喰らうあやかしは多いぜ。俺はしないがな」
「じゃあ代わりに違うものを食べると?」
「だな。基本的には人の恐怖を糧とする。偶に学校にいる人間を驚かしてる――って、なんでそんな細かいことを尋ねる? 気になるようなことか?」
「気になります」
「どうして?」
「……気になるものは気になるんですよ」

 どうしてと言われると私も困るというのが正直なところ。
 自分でもよくわかっていない。
 どうしてなのだろう。
 なんとなく、あやかしのことを――いや、彼のことを知りたいと自然に思えたのだ。

「ふーん。まぁいいけどさ……っと、そろそろ見えてくるぜ」

 私たちは学校から街へと続く、人気の無い降り坂を降りてきていた。
 それは人がいないということ以外には、なんら普段と変わらない景色であった。
 けれどここに来て、一気に状況が変化する。

「俺とお前が手を握り続けている理由、それはより鮮明にあやかしを見えるようにするためだ。最初に言った通り怜には多少なりとも霊感があるが、それは俺ぐらい――まぁ中位級のあやかしを視認できるのが精々、弱っちいあやかしまで捉えることは叶わないだろう」
「ものすごく強大なあやかしになれば一般人でも見えると理科準備室で言ってましたね。どくろさんはそこそこすごいあやかしだから意思疎通できるのであって、存在感の薄い低級のあやかしを見るにはもっと大きな霊感がいるというわけですか」
「そうだ。そしてそこそこ俺はすごいんだ」
「あんな脆いのに?」
「その分復活もはえーだろーが」
「まさにストレス発散に殴られるのには最適な身体というわけですね」
「そうそう好きなだけ殴ってくれていい……って違うわ! 勝手にサンドバッグにすんなッ!」

 打てば響くとはこのことだろう。
 なんだかクセになってくる。

「とにかくもう見える場所に来た。少し目をつぶってみろ」
「目をつぶる?」
「いいからやれ」
 
 立ち止まったのはシャッターで締め切られた商店街の入り口。
 街灯だけが悲しげに道を照らしている。
 私は言われたとおり目をつぶった。
 1秒、2秒、3秒、4秒……
 15秒をほど経った頃に「目を開けろ」と促される。

「――――え?」

 理屈も理由も理念も理論も、なにかも不明。
 それは私では説明できない一瞬の出来事だった。
 どくろさんとリンクすることによって私は飛んだ、別世界へと。

「なに――これ――」
 
 空を見上げると闇に浮かぶ赤い月があった。
 そして真っ直ぐに目線をやった先には、もう静かな商店街は存在しなかった。
 あるのは燦々としたカオスの空間。
 江戸時代の吉原遊郭のような、バブル期のネオン街のような、現代の秋葉原電気街のような。
 そういうキラキラとギラギラとしたものが混ざり合ってしまったような景色が広がっている。
 なにより中央に一本通った道には、あふれかえんばかりのあやかしがいた。
 形や大きさは様々で、しかしみな一様に酒を飲み、なにかを食べ、愉快に踊り狂っている。
 その状況をまとめて一言で表すとすれば――〝祭り〟のようだ。

「祭りか、良い表現だな」

 魑魅魍魎と異様な空間が織りな熱気と活気と狂気に飲まれ、私は入り口に立ちすくんでいた。
 しかし止まらない。もう止まれない。
 どくろさんが私の手を引きながら、混沌未知の世界へ誘っていく。

「ここはこの辺一帯にいるあやかしたちのたまり場」
 


「ようこそ、怜――俺たちあやかしの世界へ」