握ったその手のあたたかさに、小桜はこれが夢ではないことを嫌でも理解させられた。
 だってとても懐かしい感触なのだ。
 大きな手にすっぽり包まれることも、その優しい温度も。
 この感触がとても好きだった。
「今日は少し遅かったんだね。もう一時の鐘が鳴ったよ」
 『彼』は小桜を見遣って、少し笑った。
 小桜はどきりとしてしまう。
 知っているひと、どころではないし、自分にとってとても近しいひとだけれど、彼は小桜の胸を高鳴らせるにはじゅうぶんな理由を持っていた。
「そ、そうだね、……いえ、そう、ね」
 普段使っているような言葉遣いで言いそうになってしまって、慌てて言いなおした。
 そこで思い知る。
 自分は変わった。言葉遣いすら娘の頃から変わっていたのだ。
「そう、ね。ちょっとお母さんに用を頼まれていたの」
 しかし話し出してしまえば、すらすらと出てきた。
 昔話していたようなことなのだ。忘れやしない。
 思い出すことがもう滅多にないだけで、忘れやしない。
「ごめんなさい、お待たせしたかしら」
 しかし遅かったと言われてしまったから、気分を悪くしただろうか。
 小桜は、そろそろと彼を見た。
 けれど彼は笑って首を振る。優しい笑みだった。
「いいや。少々待ったけれど、待つ時間なんて楽しいもんさ」
 その笑みに安心して、小桜もはにかむように笑った。
「そう、……ね。そう言ってくださると嬉しいわ。ありがとう」
 それでやりとりはひと段落し、彼は小桜の手を取り直してくれた。
 二人は連れ立って歩いていったけれど、小桜には行き先がわかっていた。
 さっき遠目に見た、お寺だ。今日はひとが割合多く、同じように寺を目指しているらしいひとや、反対に、用を済ませて帰って行くひとなどが行き交っている。
「なにか美味しいものでも食べたいね」
 彼が言った。視線の先には常からある茶屋のほかにも、屋台が幾つか出ているようだ。
「ええ。春の和菓子なんかあるかしら」
「去年は桜餅が出ていたねぇ」
「あら! 今年もあるといいわ」
 もうすっかり、昔の調子を思い出した。そんなことまで言えてしまう。
「さくらちゃんは桜餅が好きだもんな」
 名前通りだ、と彼は、はは、と声を出して笑った。
 からかうように言われてちょっと恥ずかしかったけれど、これすら懐かしくて胸が高鳴る。
 そして小桜は思う。
 これは夢とうつつの狭間のようなものなのかもしれないけれど、今、この瞬間は確かにある。
 一体どうしてこれが起こったのかはわからないけれど、彼がここに居て、隣にいて、その手のあたたかさを感じられているのだ。
 放り出して帰る道を探そうなどという気にはなれなかった。
 ……最期に取った彼の手は、もうすっかりつめたくなってしまっていたから。
 そのときの痛み。
 ちりっと小桜の胸を刺していった。
 けれどその痛みを振り払う。
 つめたい手より、あたたかい手に触れたときのほうがずっと、ずっと多いのだ。
 そして今、まさにそれがある。
「まぁ先にお参りだよ。ああ、結構並んでるね」
 寺の境内に入った。地面の感触が変わって、じゃりじゃりとした足音がした。