それは数日後のことだった。秋深まる折、小桜が庭の柿の木の様子を見ようと縁側に出た、昼下がり。
 柿の木には夏の終わりから実ができて、順調に膨らんで色づいていったところだった。
 渋柿だから食べられない。けれど、干しておけば甘い干し柿になるのだ。
 良い頃合いまで熟れたらタイミングを逃さないように摘んでしまわないといけない。
 そうでないと鳥についばまれてしまう。そうなったらもう干し柿になりやしない。
 この柿に関しては、毎年、鳥との勝負ともいえるのだった。
 その毎日のことだったのだが、今日はなにか妙なものがいた。
 妙なもの、どころではない。柿の木に腰かけて、ぷらぷらと足が揺れているそれは、少年だったのだから。
 小桜は仰天した。子供が勝手に庭に入っておまけに柿の木などに座っていれば、当然であろうが。
「ど、どこの子だい」
 柿泥棒など、小桜が子供の頃は定番も定番だったけれど、この令和の世の中でそんなことは非常識極まりないとよく知っている。
「いい柿だね。干せば甘くなるよ。今年は特別甘いだろう」
 しかし少年は小桜の質問には答えなかった。ひとつもいだ柿を、手でもてあそんでいる。おまけにそんな、よくわからないことを言った。
 柿が特別甘くなるなんて、どうしてわかるのか。
 現代の少年、小学生くらいに見える、長そでシャツとハーフパンツ、焦げ茶の短い髪なんて外見のごく普通の男の子がそんなことを言うだろうか。
「そ、それは渋柿だから、食べたところで美味くなんてないよ。おかえし」
 いや、悪戯っこなんだろう。柿の木くらい、やんちゃな子ならのぼるさ。近所では見たことのない子だけど……どこか、親戚なんかから遊びに来ているのかもしれないし。
 自分に言い聞かせる。なんとか気を張って、小桜は手を差し出した。
 けれど少年は柿を返してはくれなかった。ぽんぽんと手の上ではずませている。
「盗りやしないよ。この実はもう食べ頃だからもいでおいてあげたのさ」
 しれっとそんなことを言い、少年は立ち上がった。そのとき、ふわっと風が揺れた。少年の髪を揺らす。
 今日は風なんてなかったのに。
 静かな小春日和だったのに。
 おまけに今吹いた風は冷たいどころか、何故か春風のようにぬくもりを持っていたのだ。
「柿食えば、鐘が鳴るなりってね」
 法隆寺。
 ぼうっと、小桜は胸の中で呟いていた。
 有名な俳句だ。今、そんなことは関係ないだろうに。
 けれど関係なかったのだろうか。すぐにそれはわからなくなってしまった。
「さぁ、鐘が鳴るよ。五つ鐘が鳴ったら戻って来いよ」
 ぶわっと。
 今度は目の前になにかが散った。雪のような細かいものだ。
 目に入る、と咄嗟に小桜は顔の前を手で覆っていた。
 しかし手に触れたものは冷たい雪などではなかった。
 ふわりとやわらかなそれは、花びら。花びらを渦巻かせる風も、ぬくい、ぬくい春の風。
 ごーん……という、鈍い鐘の音は一体どこからしただろう。
 花びらの舞う向こうだったことは違いない。
 舞い散る花びらでちっとも見えやしなかったけれど。