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柚子はどこにでもいる普通の少女だった。
両親と妹の四人家族。
公立の学校に通い、普通に友人がいて、普通に生活している。
普通だと思う。
特に不自由なく生活はできていた。
しかし、柚子はあまり両親から愛されているという実感はなかった。
幼い頃はどうだったか分からない。
けれど、物心がついた時には、すでに両親の関心は妹の花梨のものだった。
しっかり者で人に頼ることを苦手とした柚子と違い、甘え上手で可愛らしくいつも笑顔の花梨を、両親がことさら可愛く思ってしまうのは仕方のないことだったのかもしれない。
全く愛されていなかったわけではないと思う。
虐待をされたわけでもないし、きちんと食事も必要な物も用意されていた。
けれど、花梨と比べたらそれほどの興味を柚子に見いだせなかった、ただそれだけ。
それでも、柚子はお姉ちゃんだからと、両親に甘えることができなくても、甘える花梨とそれを許容する両親の姿に寂しさを感じていたとしても、自分は姉だからと我慢した。
いつか自分にも興味を持ってもらえる日を夢見て。
しかし、妹の花梨が妖狐の花嫁に選ばれたことで、両親の柚子と花梨の扱いの差が顕著となった。
いや、姉妹の差は最初からあった。
当然のように地元の公立の小学校に通うことになった柚子と違い、花梨を多くのあやかしが通う私立の学校に通わせることを決めた両親。
社交的で要領も良く器量好しの花梨ならば、あやかしの花嫁になることもできると豪語し、親戚から借金までして入学金の馬鹿高い私立の学校に通わせた。
親バカと思われてもおかしくない両親の行いだったが、実際にその学校で妖狐のご子息に見初められたのだから、あながち親バカを馬鹿にはできない。
だが、そのせいで、両親の関心はさらに花梨へと寄り、柚子をないがしろにする回数が増えた。
運動会や参観が被れば、当然のように花梨を優先し、欲しいものがあれば花梨はいつでも買ってもらえるのに対し、柚子は毎月決められたお小遣いの中でやりくりするしかない。
お小遣いをくれるだけありがたく思うべきなのかもしれないと、あの両親に何を言っても仕方がないのだと。
両親が柚子を気に掛けるのは、気が向いた時だけ。
柚子とてまだ子供だった。
親に甘えたい時なのに甘えることを許されない。
そのことに対し、怒りを爆発させた事もあった。
嫉妬から花梨に掴みかかった事さえ。
けれど、両親はそんな時でさえ柚子ではなく花梨を庇う。
そして、何故柚子がそこまで怒りを感じているかも理解せずに柚子を怒鳴りつけるのだ。
柚子はいつからか諦めるということを学んだ。
あやかしの花嫁に選ばれる事は名誉な事だ。
両親が花梨を大事にすることは仕方がないのかもしれない。
あやかしは花嫁に何かあれば、その手を汚すことを厭わない程に、花嫁を溺愛するから。
勘気を恐れる気持ちは分かる。
だが、両親は最初から姉妹の間に愛情の差を子供達に分かるように接していた。
それを見て育ったせいか、花梨も姉に対しどこか軽んじるようになっていった。
幼い頃は普通の姉妹だったはずなのだが、明らかに柚子を下に見ているのを言葉の端々から感じる。
家に居場所がないと感じるようになった。
けれど柚子に味方がいなかったわけではなかった。
祖父母だけはいつだって柚子の味方で、花梨ばかりに気を使う両親に何度となく苦言を呈してきた。
「花梨だけでなく、柚子の事ももっと気に掛けろ」
「お前達の娘は花梨だけじゃないのよ」
そう言って、何度も両親に訴えてくれたが、両親には届かず。
「花梨は花嫁なのよ。優先するのは当たり前じゃない」
「そうだ。それに柚子はしっかりしているから大丈夫だ。けれど花梨には俺達がいなければ」
確かに柚子はしっかりしている。
けれど、それはそうせざるを得ない状況に両親がしたからだ。
だって、自分で何とかしなければ、両親は助けてはくれないのだから。
幾度となく繰り返された、祖父母と両親の話し合いは、いつも平行線。
花梨は花嫁だから。大事な子だから。
なら、自分は大事ではないのか?
その答えを聞くことが怖くて、柚子は言葉を飲み込むしかない。
結局、両親が変わることはなかった。
***
高校生になってから、すぐに柚子はバイトを始めるようになった。
居場所を見いだせないあの家に帰るのが嫌だったからだ。
安心できるのは学校とバイト先、そして祖父母の家だけ。
それ故、平日は学校とバイトに行き、土日は朝からバイトを入れて働き、その後祖父母の家に泊まりに行く。
ということを繰り返し、できるだけ家にいないようにした。
祖父母の家が比較的近かったのが、唯一の救いだと思う。
そうでなければ、柚子なくして成立しているあの家で息が詰まる思いをし続けなければならなかった。
それでも、まだ未成年の柚子。
全く家に帰らないというわけにもいかない。
たとえ両親が、いてもいなくても柚子に興味を持たなかったとしても。
あいにく今日は、テスト期間中で授業が終わるのも早く、テストがあるのでバイトも入れていない。
タイミングが悪いことに祖父母も外出中。
夕方まで図書館で勉強して粘ったが、帰らざるをえなかった。
家の玄関を前に、柚子は深呼吸する。
ただ家に帰るのに、こんなに憂鬱な気持ちになる者などそう多くはないだろう。
しかし、いつまでもこうしているわけにもいかない。
溜息を一つ吐いて、ゆっくりと家の中に入る。
中に入って行くと、リビングから楽しそうな話し声が聞こえてくる。
父親は会社。
しかし中からはいないはずの男の声が聞こえてくる。
ああ、彼が来ているのか。
特に何かを感じる事もなく、無感情にそう思っただけで、柚子はリビングに入ることなく自分の部屋へと入っていった。
「柚子ー!」
しばらくテスト勉強をしていると、リビングから母親の呼ぶ声が聞こえてきた。
「柚子、帰ってるんでしょう?晩ご飯作るの手伝ってちょうだい」
仕方なく、柚子は本を閉じてリビングへ向かった。
リビングに入れば、母親がグチグチと文句を言い始める。
「もう、柚子。帰ってるんだったら呼ばれる前に手伝いに来なさい」
普段柚子には見向きもしないのに、こういう時だけは柚子の事を思い出して名前を呼ぶのだ。
でも、この母親は普通に柚子の母親をしているつもりなのだ。
自分に非があるとは微塵も思っていない。
だから、最もらしいことを言って柚子を叱れるのだ。
それに、柚子には手伝えと言うのに、すぐ近くにいる花梨には、手伝えなどとは言わない。
その事に気付いているのかいないのか。
もう、柚子は両親に己の心情を訴えることは諦めている。
まあ、気付いていたとしても、彼の前で花梨を働かせるような事はできないだろうが。
先程から蕩けるような表情で、花梨の話に耳を傾けている男の子。
ハニーブロンドの髪に、金色の瞳。
明らかに日本人ではない色合いと、人間離れした美しい容姿。
狐月瑶太。
花梨を花嫁に選んだ、妖狐のあやかし。
あやかしの中では上位にある存在で、資産家でもある彼の家には、花嫁の家ということでいくらかの援助をもらっているらしい。
それにより、花梨を学校に入学させるために作った借金も返済したとか。
両親以上に花梨を溺愛している彼とは、何度か顔を合わせたことはあるものの、言葉を交わしたことはない。
そもそも、柚子はこの家に寝に帰るぐらいだし、土日は祖父母の家に居座っている。
顔を合わせたのはほんとに数えられるほど。
顔を合わせたとしても、瑶太は花梨のことにしか意識がいっていないので、ほとんど目が合うこともない。
ただ花梨の姉でしかない柚子のことなど眼中にないのだ。
だが、花嫁とはそれだけあやかしにとって大事な存在らしい。
他が見えなくなるほどに。
柚子は思う。
それほどまでに愛されるとはいったいどんな気持ちなのだろうか。
何を置いても、全身全霊を掛けて愛される花嫁は幸せなのだろうか。
花梨を見る限りでは、とても幸せそうだ。
絶対に柚子には出せない、幸せいっぱいの笑顔。
空気からして、愛されている事が分かる。
羨ましくないと言ったら嘘になってしまう。
両親からも、彼氏からも愛されている花梨。
同じ家に生まれた姉妹なのに、どうしてこうも違うのか。
祖父母は柚子の事を気に掛けてくれる。
それはとてもありがたく、それがどれだけ柚子の救いになったことか。
けれど思ってしまう。
私を愛して……。
私はここにいるんだよ。
そう、両親に言えたらどれだけ楽だろうか。
当然のように柚子を残して会話を成立させている、母と花梨と瑶太。
まるでいない者として扱われるのは、何度期待するのは諦めたと自分に言い聞かせていたとしても辛いものがある。
たちが悪いのは、そんな母達にはそんなつもりが一切ない事だ。
柚子の苦しみに気付きすらしない。
それに唯一気付いてくれた祖父母だが、最近は体の調子も悪いという事も多く、あまり頼ることもしづらい。
自分にも、花梨を選んだ瑶太のように、自分だけを愛してくれる人がどこかにいるのだろうか。
そんな事を思ってすぐに、くだらないと切り捨てる。
悲劇のヒロインぶったって、助けてくれる者などいないというのに。
ああ、早く大人になりたいと、柚子は思う。
そうすれば、すぐにこの家から出て自活するのに。
未成年ではそれすらできない。
***
「これを私に?」
それはバイト帰りに祖父母の家へ泊まりに来た日のことだった。
ニコニコした表情の祖父母から手渡された紙袋。
そこには、若い子の間で人気のブランドのロゴが入っていた。
中を開けてみると、可愛らしいワンピースが入っていた。
「どうだ、柚子?」
柚子の反応を期待に満ちた顔で待つ祖父と、そんな祖父の反応を楽しげに見る祖母。
「すっごく可愛い……」
「そうだろう、そうだろう」
祖父はドヤ顔だ。
「どうしたの、これ?」
柚子が問い掛けると、祖父は照れたように顔を赤くする。
「あー、いや、あれだ。ちょうど通りかかったら柚子に似合いそうだったんで買ってきたんだよ」
そう言った途端、祖母が吹き出して笑った。
「違うわよ。この人ったら慣れないスマホで検索して、若い子に人気の洋服屋を探して、朝早くから店の前に並んで買ってきたのよ」
「お、おい!」
ばらされて恥ずかしいのか、顔を真っ赤にする祖父。
「並んだの、お祖父ちゃん?」
「いや、まあ、その、もうすぐ柚子の誕生日だろう。それでだな……」
ばつが悪そうに頭を掻く祖父は恥ずかしそうだが、柚子は心の中が温かくなった。
両親はきっと柚子の誕生日など覚えていないだろう。
花梨の誕生日は毎年盛大にするというのに。
だから、祖父母が誕生日を覚えてくれた事。
プレゼントを買うために朝から若者に混じって買い物をしてくれた事。
きっと若い女性向けの店で買い物をするのは居心地が悪かっただろう。
朝から並ぶのは大変だっただろう。
けれど、柚子のためにそれをしてくれた。
物をもらった事よりもそれが嬉しい。
「ありがとう。お祖父ちゃん、お祖母ちゃん」
柚子は久しぶりに幸せいっぱいの気持ちになった。
その日は祖母がケーキやご馳走を用意してくれて、早めの誕生日パーティーを祖父母と祝い、土日は幸せな気持ちで過ごした。
けれど、いつまでも長くは続かない。
嫌でも、平日になれば家に帰らなければならなくなる。
相変わらず、柚子を取り残して会話を弾ませる両親と花梨を、壁の外のことのように感じながら夕食を取る。
その後、食器の後片づけをしていると、家のチャイムが鳴った。
インターホンから聞こえてくるのは瑶太の声。
花梨は嬉しそうにしながら玄関に走って行った。
瑶太はこうして、暇を見つけては花梨に会いに来る。
毎日学校で会っているのだからじゅうぶんだろうにと、柚子は思うのだが、それでは足りないらしい。
あやかしの、花嫁への執着はそれだけ重い。
本当は一緒に暮らしたいようだが、花梨がまだ未成年で学生ということで、その話は進んでいない。
とっとと出て行ってくれれば、こちらも少しは過ごしやすくなるのに。
そう思ってしまうのは、姉として最低なのかもしれないと柚子は自嘲するも、そう思わずにはいられなかった。
すぐに戻ってきた花梨の横には瑶太がおり、二人の手はしっかりと握られている。
二人の仲が良いのは両親達にとっては喜ばしいことだが、柚子はそんな二人を見るのが苦痛で仕方ない。
愛されない自分を知らしめられているようで。