卒業おめでとう。

私に、唯一笑いかけてくれたあの人に、なんで、素直に笑顔で「ありがとう 」
て伝えることができなかったんだろう。

あの18歳の卒業式から、10年たった今。

あの日に戻れたら、どんなにいいんだろう。
あの時の私は自分に自信がなく、とにかくこの街が嫌いだった。
もともと、学校の生徒数は、一学年、十数人程度、大きいとはいえず、学校で気の合う友人は少なく、
高校の数も少なく、変えることもできずに、悶々とした学生生活を送っていた。

そんな憂鬱な日々の中で、唯一心を開く事ができたのが、一弘(かずひろ)だった。

当時、大学生で隣町にある大学から、この学校の卒業生という事で『卒業生と話す会』に呼ばれたのだ。

『何してるの?』

私が浮かない表情をして街をぼーっと眺めていた事に、心配でもしたのか、一弘から声をかけてきた。
私は、初めて話しかけてきた見慣れない青年に驚きながらもそっけなく答えた。

『べつに。何も。ただ、街を眺めてただけ。』

『そっか。俺もたまに、この屋上よく来てたよ。遠くの方に小さな山に反射する夕日を見るのが大好きでさ。』

同級生とは、違う少し大人びた雰囲気をだす彼に惹かれていたのかもしれない。
その日から、連絡取り合うようになり、色んな話をし、行きたい大学への進路も決まった。

ただ、両親は大学進学せずこの街で出会い結婚した為、私が1人暮らしをする事に心配し、
上京する事に反対した。

その反発心とはやくこの街を出たい気持ちが強く。
『卒業式でないから』
私は、両親にそう言い放って、卒業式の日に家をでた。

「行くのか。」見送りには、一弘が来てくれていた。両親が連絡したらしい。
この場所から出る事で何かが変わる気がして。私は、強くうなづいた。

両親も共働きで1人でいる事の多かった私には彼だけが、話し相手になっていた。
そんな彼と離れる事は、悲しかった。自分の決めた道に進みたいという意志の方が当時は強かった。
でも、本当は、自分の本当の気持ちに向き合う事から逃げてたのかもしれない。

「卒業おめでとう。あとさ、、。あの、、。さとみ…。おれ、、。いや、なんでもない。
つらくなったら、いつでも連絡してこいよ。俺はここにいるからさ。」
うん。とそっけない返事をした。一弘は、何か言おうとしていたけど、最後の最後まで、優しかった。止める事もせず、優しく送り出してくれた。

あれから、10年。私は、故郷に帰ってきた。

私は、仕事に疲れ、退職をすることにし、次の仕事を始めるまでお休み期間をつくることにした。

大学を卒業し、就職し、彼との連絡も、お互いに忙しかったこともあって、自然に減っていた。
好きだという気持ちも、あったが結局告白できずにズルズルときてしまった。

この場所に戻ったら、あの別れた日からまたやり直せるんじゃないか。
そんな事は叶わないと思いつつも、もし自分の気持ちに素直になっていたら、違う人生を歩んでいたかもしれない。

今はもうシンっと静まり返っていて、二階建ての小さな校舎を見上げた。

見慣れているはずなのに、なんだか異世界に来た気分だった。

在校生徒が少なくなったこの学校は、もうすぐ廃校となり市民の施設への改装工事が行われる。
その前に、一回見に行こうと思って、やってきたのだ。
今日は、17時に閉館するらしい。あと、1時間あればゆっくり見て周れるだろう。

「はい、サインお願い。中は自由に見て大丈夫だから」
管理人のおじさんが微笑みかけながら言う。

来場者名簿には、多くの卒業生の名前が記入されていた。

【桜木 里美】(さくらぎ さとみ) 2010年卒業

記入し終えると「はい、ありがとうございます。」
と管理人さんに会釈をして学校へと踏み入れた。

ガラガラと教室の扉を開けると、10年ぶりの光景が目に入った。
机が数個並べられていて、黒板には、学校との別れを惜しんだ卒業生達のメッセージがチョークで書き込まれている。

私も、何か書こうかとチョークへと手を伸ばすと、黒板の右端に懐かしい字体が目に入った。

『またあの日に戻れたら』一弘(かずひろ)

(一弘、来てたんだ...。)

卒業してから連絡は取り合ってはいたが、あの日から会ったりはしていなかった。
今日、こっちに帰ると送った時も、わかったと返信がきただけだった。

私も、戻れたらと思ってたけど、彼もきっと同じ気持ちだったのかな。

一弘の文字の横に
『ありがとう。大好きだよ。』
もう伝わる事のない想いをつづった。

教室をでて、図書室、音楽室、と順番に見て周り、最後に体育館の扉を開けた。