「そんなことより、私がダメだと言ったのに、どうしてひとりで出かけたりしたのですか」
「私……仁科さんたちなら、飯塚さんのことを知ってるかもしれないと思って……仁科さんたちの家を探そうと思ったんです」
「私が探すと言ったはずです」
「でも……」
獅狛さんは湯飲みをチェックしていただけだったし、と柚香は不満顔で彼を見た。獅狛は眉を寄せ、困っているようにも悩んでいるようにも見える表情になる。
「そろそろ本当のことを話した方がいいんじゃないの?」
奏汰の声がして、柚香は視線を動かした。奏汰は戸柱にもたれて立っていた。
「どうせいつか言わなくちゃいけないんだからさ」
奏汰はゆっくりと歩いて獅狛の隣にあぐらを掻いて座った。
獅狛は奏汰を見てから柚香に視線を戻した。その顔は眉間に深くしわを刻んでいる。
「獅狛さん、本当のことって……?」
柚香は布団から体を起こして獅狛を見た。
「なにを見ても驚かないと……そういう心構えができたならお話しします」
獅狛が柚香をまっすぐに見つめた。その茶色の目がかすかに金色に光る。普通、人間の瞳がそんなふうに光るはずがないということに、今になって思い至る。
「心構えは……できています」
柚香は同じように彼をまっすぐに見返した。獅狛はしばらく柚香の顔をじっと見つめていたが、柚香の決意が揺るがないのを見て取って、小さく息を吐いた。
「わかりました」
そうして柚香の手を一度撫でてから、膝をついたまま一歩下がる。
「私は……柚香さんや奏汰さんとは違う存在です。つまり、人間ではないのです」
柚香はゴクリと唾を飲み込んだ。獅狛が淡く微笑んだかと思うと、彼の体が白く光り始めた。まるで後光でも差しているかのようにまぶしくなり、柚香はとっさに手で目を覆った。
「獅狛さん!? 大丈夫ですかっ」
「私は大丈夫です」
獅狛の声が聞こえ、柚香は目を細めて指の隙間から覗いた。すると目の前に、ぼんやりと大きな犬の姿が見える。
「ええっ!?」
後光のせいでよく見えないが、白い犬のようだ。獅狛が着ていた紺色の作務衣は、犬の足元に落ちている。
「嘘」
柚香は奏汰を見た。彼は驚いた様子もなく平然としていて、小さく肩をすくめた。
「嘘じゃない」
「そんな……」
柚香は目の前に視線を戻した。光が弱まって、今では犬の姿がはっきりと見える。そして、その犬の姿には見覚えがあった。狼を思わせる凛々しくシャープな顔立ちは……先週の金曜日に柚香がはねそうになった大きな真っ白い犬だ!
柚香はうまく言葉がしゃべれず、口をパクパクと動かした。
「やはり驚かれましたね。まだ正体を明かすのは早いと思ったのですが……」
犬の口から獅狛の声が聞こえてきて、柚香はまじまじと犬の顔を見る。
「ホントに……獅狛さん?」
「はい」
柚香は救いを求めるように奏汰を見た。彼はゆっくりと口を開く。
「獅狛さんは狗守神社の犬神さまなんだ」
「狗守神社の犬神さま……?」
「ああ。俺の親父は狗守神社の神主だろ。それもあって、俺は獅狛さんに面倒を見てもらってる……というか仕えてるんだ」
「アキコさんに会った今なら、信じてもらえるかと思ったのですが……」
獅狛の声に寂しげな響きが交じった。柚香は膝立ちになって両手を伸ばし、そっと獅狛の頬に触れる。柔らかな白い毛は、まさに犬の毛そのものだった。
自分の好きな人が人間ではなかったなんて。それも犬神さまだったなんて。
柚香はへたへたと腰を下ろした。
「犬神であるがゆえに、私に呼びかける柚香さんの苦しそうな声が聞こえたのです。飯塚さんの匂いのする湯飲みを探すのに集中していたので、柚香さんが出ていく音を聞き逃したのは不覚でしたが」
「あ!」
獅狛の言葉を聞いて、柚香は飯塚のことを思い出した。
「飯塚さんの匂いって!?」
「飯塚さんが使った湯飲みから彼の匂いを拾って、それを手がかりに彼の家までたどろうと思ったのです」
「それで、獅狛さんはあんなに熱心に湯飲みを見てたんですね……」
獅狛は湯飲みがきれいか確認していたのではなかったのだ。
「どうしてそう言ってくれなかったんですか?」
「あのときお話ししても、まだ柚香さんには信じてもらえないかと思いましたので」
「でも、不思議な体験をたくさんしたから、話してくれたら信じたかもしれません」
「そうですね。そうすれば柚香さんも無茶をしなかったでしょうし……申し訳ない」
白い犬が悲しそうに頭を垂れたので、柚香は急いで話題を変える。
「そ、それより飯塚さんの匂いはわかったんですか?」
「わかりました」
「じゃあ、匂いをたどれるんですよね?」
「はい」
「だったら、今すぐ行きましょう!」
柚香はすっくと立ち上がった。
「体調はどうですか?」
獅狛に問われて、柚香は自分の体のあちこちを触った。どこも痛くなければ、気分も悪くない。
「大丈夫です!」
奏汰がクスリと笑って言葉を挟む。
「柚香ちゃんは順応するのが速いな」
「奏汰さんはもっと時間がかかったんですか?」
柚香の問いかけに、奏汰ではなく獅狛が答える。
「腰を抜かした挙げ句、たっぷり十分は絶叫していましたね」
白い犬にクスリと笑われ、奏汰は頬を染めた。
「し、仕方ないだろ。それまで神なんて信じちゃいなかったんだから」
「えっ、神主さまの家に生まれたのに!?」
信じられないと言いたげな柚香の言葉を聞いて、奏汰はますます顔を赤くする。
「うっせーな。車がなけりゃ行けないんだろ。あんまり言うと運転してやらねーからな」
奏汰がふて腐れた口調になり、柚香はおかしいのをこらえて言う。
「ごめんなさーい。拗ねないで!」
「拗ねてないっての」
そう言いつつ口を尖らせる奏汰がおかしくて、柚香はクスクス笑った。奏汰はついにそっぽを向く。
「柚香ちゃん、笑いすぎ!」
奏汰に不機嫌そうに言われても、柚香は笑うのをやめられなかった。三人でいるととても楽しいのだ。
「柚香ちゃん~」
「すみませ~ん」
柚香はひとしきり笑って目尻にたまった涙を拭い、獅狛を見た。
「獅狛さん、今から出発できますか?」
目を細めて笑みを浮かべていた彼が真顔になる。
「柚香さんさえよければ」
「大丈夫です」
「わかりました。では、今から出発しましょう」
白い犬の茶色の目がキラリと金色に光った。
「おいおい、俺の都合は訊いてくれないのかよ」
奏汰が頬を膨らませたままチラリと視線を投げ、柚香は顔の前で両手を合わせてお願いのポーズをする。
「奏汰さん、今から出発したいです。運転お願いします!」
「仕方ないなぁ。女の子の頼みは断れないし」
奏汰は小さくため息をついて、獅狛に顔を向けた。
「それで、獅狛さんはそっちの格好で行くの?」
「はい。こちらの姿の方が嗅覚が優れていますから」
獅狛がひらりと跳んで部屋を飛び出た。弧を描くその姿は、神々しく美しい。
「あ、待ってください」
柚香は白く凛々しい後ろ姿を追った。犬と人の姿のどちらが本当の獅狛なのだろうかと考えながら。
入り口の格子戸に“本日は閉店しました”と書いた紙を貼り、柚香は獅狛と一緒に奏汰の車の後部座席に乗った。ダッシュボードに表示されている時刻は十八時三十分。柚香が倒れたのは昼過ぎだったから、五時間近く眠っていたことになる。
「晩飯はどうすんの? 腹減ったし、途中でなにか食おうか」
奏汰がエンジンをかけながら後部座席に問いかけた。
「晩ご飯は帰りでもいいですか? あまり遅くなったら飯塚さんの家を訪ねられなくなりますから」
「確かにそうだな」
奏汰は柚香がシートベルトを締めたのを確認してアクセルを踏んだ。ししこまの門の前で停車して、後部座席の獅狛を見る。
犬の姿をした獅狛は、前足の間に置いた湯飲みに鼻を寄せた。そうして匂いをかいでから、開いた窓から外の空気を吸う。
「右ですね。右に進んでください」
獅狛の指示に従い、奏汰は敷地を出ながらハンドルを切った。対向車とやっとすれ違えるような細いガタガタ道を、速度を落として進む。サイドウィンドウからは、道路を照らすオレンジ色の街灯の中、刈り入れが終わって稲が干されている田んぼが見えた。
「このうちのどれかが飯塚さんの田んぼなのかな?」
ハンドルを握ったまま奏汰が言った。
「そちらの田んぼですね」
獅狛は狗守山の麓に広がる右手の田んぼの方を向いた。稲が干されているのは、きっと二日前に飯塚が干したものだろう。
「次の角を左折して県道に出てください」
獅狛に指示されるがまま、奏汰は左折して広い道路に進んだ。獅狛はときおり匂いをかぐような仕草をして、空気中に残る飯塚の匂いをたどっている。
(二日前に使って洗った食器から匂いがわかるなんて……。しかも、空気中の匂いをたどれるなんて……)
警察犬でも無理じゃないだろうか、などと思いながら、柚香は左側に座る獅狛の姿を盗み見た。開いた窓からひんやりとした風が吹き込み、獅狛の白く艶やかな毛並みを乱す。風を受けて細めた茶色の瞳は、暗闇でも輝く金色の光を宿していた。
人間の姿のときも美しいと思ったが、犬の姿のときも凛々しく美しい。
そうして獅狛の案内に従い三十分ほど走るうちに、柚香のまったく知らない地域に出た。そのまま郊外を抜けて隣の県に入ると交通量が増え、幹線道路沿いに家電量販店や大型スーパーが見えてくる。
「いつもあのスーパーで買い物してるんだ」
奏汰がバックミラー越しに柚香に声をかけた。
「こんなところまで……いつもありがとうございます」
「すごく広いから、製菓材料とか輸入食品とかいろいろ売ってるよ」
柚香は奏汰に、今度連れてきてください、とお願いしようかと思ったが、また獅狛に反対されるだろうと思って、言葉にしなかった。
やがて車は混雑した繁華街を抜けて、マンションの建ち並ぶエリアに入り、ほどなくして落ち着いた住宅街へと進んだ。
「近づいてきました。速度を落としてください」
奏汰がスピードを落とし、獅狛は集中するかのように窓の外をじっと見る。瓦屋根の家や比較的新しい三階建ての家などが、ゆっくりと後ろに流れていく。
まだだろうかと思ったとき、獅狛が顔を上げた。
「あの黒い車が駐まっている二階建ての家です」
獅狛の鼻先が前方に見える白壁の一軒家を指した。リビングと思われる一階の大きな窓から明かりが漏れていて、ダークブラウンに塗られたボーダーフェンスが見えた。フェンスにはハンギングポットが吊され、柚香が名前の知らない小さな花がたくさん咲いている。フェンスの向こうにはオリーブの木が植わっていて、よく手入れされているのがわかった。
「へえ、しゃれた家だな。奥さんの趣味かな」
奏汰がつぶやいて、フェンスの横に車を駐めた。
「獅狛さん、そのままで行くの?」
奏汰に問われて、獅狛は首を振る。
「いいえ。ここで人の姿に戻るわけにはいきません。滝井さんの件は柚香さんと奏汰さんにお任せします」
「俺、そういうの向いてないし、柚香ちゃん、頼むな」
奏汰に言われて、柚香は情けない顔になる。
「そ、そんな! 私だって向いてないですよ~。それに飯塚さんの家をどうやって知ったのか、うまく説明できる自信がありません」
「そんなの、仁科さんに聞いたとかテキトーに言っときゃ大丈夫だろ。あの人、顔が広いし、弟が町長だから、あの町のことをなんでも知ってたって不思議じゃない」
仁科の弟が町長というのは初耳だったが、奏汰の言葉に従うのがベストだろう。
「わかりました……」
そう返事しつつも不安は拭いきれなかったが、奏汰が車から降りたので、柚香も続いた。奏汰と門の前に並び、ドキドキしながらインターホンを見つめる。なにを言おうか考えている最中だったのに、奏汰が手を伸ばしてボタンを押し、家の奥で軽やかなメロディが鳴るのが小さく聞こえた。
「ちょっと、奏汰さん」
柚香が抗議の声を上げたとき、インターホンが接続するカチッという音がした。
「はい」
男性の声が応答した。
「え……っと」
柚香の全身に緊張が走る。言葉を探して口を動かしていたら、スピーカーから怪訝そうな声が聞こえてきた。
「……どなたですか?」
奏汰が肘で柚香の腕を軽く突いた。
「あ、あのっ」
柚香は声が上ずり、一度咳払いをして続ける。
「こ、こんばんは。夜分に申し訳ありません。わ、私、お茶処ししこまの西川と言います。あの、ししこまです。日曜日に飯塚さんが来てくださった……」
「え? ああ! 抹茶ババロアを作ってくださったパティシエールさんですね?」
相手が飯塚だとわかってホッとしつつ、柚香は口を動かす。
「はい。あの、実は飯塚さんのことを常連さんに聞いて、じゃなくて、飯塚さんのおうちを常連さんに教えてもらって、それで、飯塚さんのお困りに役に立ちそうな人が来て……」
言いたいことを整理できずに思いついた言葉を口にしていたら、飯塚の戸惑ったような声が聞こえてきた。
「ええと、ちょっと待ってくださいね。今、そちらへ行きますから」
「あ、すみません」
インターホンの接続が切れる音がして玄関扉が開き、ワイシャツとスーツのズボン姿の飯塚が出てきた。
「遅い時間にすみません」
柚香は改めてお詫びの言葉を述べた。
「それはいいんですけど、こんなところまでいったいどうしたんですか?」
飯塚は草履をつっかけて前庭を歩き、門扉を挟んで柚香と奏汰と向かい合った。柚香は一度深呼吸をして口を開く。
「実は、今日、ティートゥーユーって会社の部長さんがししこまに来られたんです」
「ティートゥーユー? 聞いたことないんですが」
飯塚が首を傾げ、柚香は急いで説明を始める。
「あの、滝井さんという方がそこの取締役営業部長で……」
柚香は滝井の会社のこと、それに滝井が飯塚たちの役に立ちそうなアプリの開発に乗り気であることを説明した。
「飯塚さんのことをお話ししたら、『連絡してください』って言って、名刺をくださったんです」
柚香はバッグから滝井にもらった名刺を出し、飯塚の方に差し出した。飯塚は手を伸ばして受け取る。
「株式会社ティートゥーユーの滝井壮一朗さん……」
「はい。遠隔地から田んぼの様子を知ることができれば、飯塚さんの負担も軽くなると思うんです」
「なるほど……。本当にそうなったらありがたいですね。しかし、そのアプリはこれから開発するんですよね? となると金銭的負担が発生しますし、どのくらいが相場なのかはわかりませんが、我が家にはアプリ開発を依頼するような余裕は、ちょっと……」
飯塚は口ごもった。
「滝井さんは田んぼオーナーという制度についても教えてくれました。田んぼオーナーにも使ってもらえれば、利用者が増えてコストを分散させることができるそうですし、県の農業振興プロジェクトから補助金を出してもらえるかもしれないとも言っていました」
飯塚は腕を組んで「うーん」と唸るような声を出した。奏汰が焦れったそうに言葉を挟む。
「そうやって悩むくらいなら、話を聞いてみてもいいんじゃないの? 聞くだけならタダなんだからさ」
飯塚は迷うように目を動かした。
「確かに……このままだったら負担が重くなるのは目に見えていますし……」
「話を聞いてみて、怪しいとか金銭的に無理とか思ったら、きっぱり断ったらいいんだよ」
「そうですね……。せっかく来て名刺を渡してくれたんですから、電話をしてみます。ただ、アプリの開発を依頼するかは確約できませんが」
飯塚の言葉を聞いて、奏汰は軽く右手を振る。
「俺らはティートゥーユーの回し者じゃないし、滝井さんに名刺を渡すって約束したから来ただけだから」
「わざわざありがとうございます。名刺、確かに受け取りました」
「こちらこそ、夜分に失礼いたしました」
柚香がお辞儀をし、飯塚は軽く頭を下げた。
「気をつけて帰ってください」
「ありがとうございます」
飯塚が家の中に戻ってパタンとドアが閉まり、柚香はホッと胸を撫で下ろす。
「約束を果たせてよかったぁ……」
「ま、アプリの開発まで進むかどうかは、飯塚さんと滝井さん次第だろうけどな」
奏汰が車に戻り始め、柚香も続いた。
「これ以上は私たちにはどうしようもありませんもんね。でも、いい方向に進むといいなぁ」
柚香はドアを開けて後部座席に乗り込んだ。車内で待っていた獅狛が、柚香を見て目を細める。
「名刺を渡せてよかったですね」
「はい。獅狛さんが飯塚さんの家を突き止めてくれたおかげです。ありがとうございました」
柚香がシートベルトを締め、奏汰がエンジンをかけながら言う。
「じゃあ、どこかでなにか食って帰ろう。途中にいろいろレストランがあったよな。焼き肉屋に中華料理店に回転寿司に……あー、どれがいいだろ」
食事を想像してうっとりする奏汰に対し、獅狛が冷静な声を出す。
「奏汰さん、レストランは無理です」
奏汰は顔をしかめて振り返った。
「だったら、人の姿に戻ったらいいじゃん」
「作務衣がありません」
獅狛の言葉を聞いて、奏汰はため息をついた。
「そうか、そりゃまずいな」
「まずいって?」
首を傾げる柚香を見て、奏汰はニヤニヤ笑って答える。
「想像してみてよ、柚香ちゃん。獅狛がこの姿になったとき、作務衣はどうなった?」
犬の姿になったとき、足元に作務衣が落ちていたことを思い出し、柚香は目を見張った。
「まさか……」
彼がこのまま人の姿になったら……。
想像しかけて真っ赤になり、柚香は明後日の方向を見る。
「そ、そそ、そうだ、スーパーでお惣菜かお弁当を買いましょうか!? そうしたら帰ってすぐ食べられますよ!」
柚香の動揺を見て取り、奏汰はクスリと笑った。
「獅狛さんってさ、意外と逞しいんだよ。とても三百歳とは思えない」
「ええぇっ、さ、三百歳!?」
獅狛が言っていたのは本当だったのかと思いながら、柚香は目を丸くして獅狛を見た。
「すごいお年なんですね……」
柚香のつぶやきを聞いて、白い犬はぷいっと横を向き、おもしろくなさそうな声で言う。
「蒸善さんは六百十五歳です」
驚く話が続き、柚香はこれ以上ないくらい大きく目を見開いた。
「ろ、六百十五歳!? ってことは、蒸善さんも神さまなんですか!?」
柚香の問いに奏汰が答える。
「そ。でも、蒸善のじいさんはお茶の神さま。ししこまのお茶は蒸善さんに分けてもらってんの。けど、獅狛さんってずるいんだぞ~。三百歳なのにいい体してるんだ。反則だよなぁ。人間で言えば三十歳くらいになるのかな。柚香ちゃん、今度風呂をこっそり覗いてみるといいよ」
「そそそそ、そんなことしませんっ」
柚香は赤い顔のまま言った。
「本当は見てみたいだろ?」
ししこまを出る前に柚香に大笑いされた仕返し、とばかりに奏汰は意地悪く言った。
(そりゃあ、まあ……神さまの体が人間と同じ構造をしているのか……興味はあるけど……でも、獅狛さんの裸なんて!)
柚香は両手を頬に当てた。獅狛は小さく息を吐く。
「奏汰さん、余計なことは言わずに、運転に集中してください。でないと、あなたのおかしな寝言を柚香さんに教えますよ」
「えっ、俺、寝言なんて言うかな?」
「言いますよ。女性が引くような寝言を」
「嘘だろ! やめてくれ!」
奏汰がアクセルを踏み込み、柚香は背中を座席に押しつけられた。
「あー、BGMはなにがいいかなー。あ、FMかけるかぁ!」
ことさら大きな声でしゃべる奏汰の横顔が焦っていて、柚香はクスクスと笑う。そんなふたりを見て、獅狛はゆったりと目を細めた。