実は、僕の声も相当に特徴的なのである。常日頃から、声が変だと言われ続けている。ヘリウムガスを吸った声、テレビの匿名で音声を変えた声――事あるごとに散々言われる。誰かと知り合った最初の頃なんかは特に。よくもまあ、という感じの言ってくれようだが、それぞれの指摘が感心するほどに的確なことは自覚もあって、録音された自分の声などを聴くといたたまれなくて死にたくなる程である。誰でも、録音した自分の声に違和感がある、嫌いだ、という思いをある程度は持つと思うけれど、僕の場合、その感じ方がより激しいのかもしれない。
何より切実なのは、声が通らないことだった。普通に話しかけても聞き返されることがよくある。騒がしい場所だと、まずまともに聞き取ってもらえず、授業中の発言や食事の時の注文の時などは、いつも苦労するのだ。
何人かで会話をしている時、僕の話の途中で割り込まれると、もうその後は話を続けられない。逆に、割って入ることは難しく、発言権を取り戻せないのだ。そうなると黙っているか、話を振られるまで待つしかない。必然的にそういう場は苦手になり、多人数相手では声を気にするあまり、うまく話せないようになってしまった。一対一の時は良いのだけれど。
何とか聞き取ってもらうには無理に喉を閉めて絞り出すように「がなる」しかなく、これがますます変な声の深みに嵌まる悪循環になっているのだ。
小さい頃の声が異様に高かったことが、そもそもの始まりなのだと思う。当時は、超音波とか宇宙人とか言われていた。黙っていたくても、話さなければコミュニケーションが出来ないわけで、何かの風向きが変わる度に、そのことに触れられ、からかわれ続けていたのだ。
それが嫌で嫌でたまらなかったのだが、変声期を機に、低い声が出るようになった時はどれほど嬉しかったことか!
ただ、どういう訳かその代償に、というか――僕はなんとなくそう理解しているのだが――今のおかしな声質も固定されてしまったのである。それに、低い声とはいっても、あくまでそれ以前の自分の声に対して相対的に、ということで、同時期に周りの男子は更に低い声になったので、僕の声は「男としては高い」ことに変わりはなかった。それでも、以前は「女子と比べても高い」だったので、僕としてはある程度は男声の音域に近付けたことでも十分満足だったのだ。だから、それと引き換えに変な通らない声質も受け入れろ、ということなら、まあ、それは仕方のないことかなと思ったのである。
そんな事情もあって、騒がしさが必然となる人混み自体も大の苦手なのである。そういう場所で何か声を発しても、騒めきの壁に吸い込まれるように、僕の声は一切返ってこない。無響室の壁に声をぶつけているかのように、自分の体の中への響きだけが残る。その場にいながら、自分だけ隔離されてしまったような感覚になってしまうのだ。縁日の公園を迂回しようとしたのは、そういう潜在的理由もあってのことなのだが。
何より切実なのは、声が通らないことだった。普通に話しかけても聞き返されることがよくある。騒がしい場所だと、まずまともに聞き取ってもらえず、授業中の発言や食事の時の注文の時などは、いつも苦労するのだ。
何人かで会話をしている時、僕の話の途中で割り込まれると、もうその後は話を続けられない。逆に、割って入ることは難しく、発言権を取り戻せないのだ。そうなると黙っているか、話を振られるまで待つしかない。必然的にそういう場は苦手になり、多人数相手では声を気にするあまり、うまく話せないようになってしまった。一対一の時は良いのだけれど。
何とか聞き取ってもらうには無理に喉を閉めて絞り出すように「がなる」しかなく、これがますます変な声の深みに嵌まる悪循環になっているのだ。
小さい頃の声が異様に高かったことが、そもそもの始まりなのだと思う。当時は、超音波とか宇宙人とか言われていた。黙っていたくても、話さなければコミュニケーションが出来ないわけで、何かの風向きが変わる度に、そのことに触れられ、からかわれ続けていたのだ。
それが嫌で嫌でたまらなかったのだが、変声期を機に、低い声が出るようになった時はどれほど嬉しかったことか!
ただ、どういう訳かその代償に、というか――僕はなんとなくそう理解しているのだが――今のおかしな声質も固定されてしまったのである。それに、低い声とはいっても、あくまでそれ以前の自分の声に対して相対的に、ということで、同時期に周りの男子は更に低い声になったので、僕の声は「男としては高い」ことに変わりはなかった。それでも、以前は「女子と比べても高い」だったので、僕としてはある程度は男声の音域に近付けたことでも十分満足だったのだ。だから、それと引き換えに変な通らない声質も受け入れろ、ということなら、まあ、それは仕方のないことかなと思ったのである。
そんな事情もあって、騒がしさが必然となる人混み自体も大の苦手なのである。そういう場所で何か声を発しても、騒めきの壁に吸い込まれるように、僕の声は一切返ってこない。無響室の壁に声をぶつけているかのように、自分の体の中への響きだけが残る。その場にいながら、自分だけ隔離されてしまったような感覚になってしまうのだ。縁日の公園を迂回しようとしたのは、そういう潜在的理由もあってのことなのだが。