幽霊探し二日目は、俺たちの教室を見張ることにした。ひとりが自分のクラスで待ち、もうひとりが廊下で。こうすればお互い近くに居たままひとりになれる。
今日は探しまわるのではなく、幽霊が出るのを待つ作戦だ。いつの間にか目の前にいた――なんてことになるかも?
――ヒマだな。
廊下の床から窓の外へ視線を移してため息をひとつ。背中には校舎の壁と窓。最初の20分は俺が廊下を担当している。
俺の前に伸びる教室10個分の廊下。向こう端ははるかかなただ。後ろの窓から入る西日で、床には長い長方形の中に俺の上半身の影が映っている。廊下は学校の象徴ともいえる場所のひとつなのに、こんなふうにじっくりと眺めるのは初めて。新鮮なながめではある。でも、暇だ。
スマホの時計は見張り開始から10分も経っていない。今日も聞こえてくるクラリネットの音はやっぱり音階練習。何かの曲だったら、もう少し気が紛れるかも知れないのに。
右側に並んだ教室の5つ目に樫村さんがいる。彼女は何をしているのだろう。今日はお互いの居場所が分かっているから、連絡を取り合う必要がない。
先週、彼女が暇を持て余して掃除をしたという気持ちが分かる。スマホがあれば時間をつぶせるかと思ったけれど、下を向いていたら幽霊が出てきても気付かない可能性があると気付いた。でも、じっと前を見ているだけだと、12月の空気で制服が冷えていくのがことさらに感じられる。
と、スマホの画面が光った。現れる彼女の名前。
――出た、のか?
廊下にはやっぱり誰もいない。教室から誰かが出てきたり――。
『何かしてる?』
たちまち体の力が抜けた。思わず「ふふっ」と声が出て、ずるずると壁を伝って座り込む。どうやら彼女も退屈しているらしい。
一息ついてから文字を打つ。
『いや、何も』
『ヒマだよね』
『今日は掃除しないの?』
『あわてて怪我したり、壊したりしたくないから』
また笑ってしまった。そうだった。
『廊下は寒くない?』
先週のことを思い出しているあいだに彼女からの言葉が届いた。その言葉で体の中心が少し温まった。
『それほどでも』
そう送ったあと、気付いた。
『スカートだと寒いかも』
続けて、
『俺がずっと廊下でもいいよ』
『大丈夫。教室は飽きる』
『こっちも飽きるよ』
『そりゃそうか』
こんな他愛ないやり取りが続き、気付いたら交代の時間だった。
――静かだ……。
教室に入ると、廊下は思いのほか音があったことに気付いた。
さっき俺がいた場所は校庭側だった。クラリネットのほかにも遠かったけれど部活のかけ声が聞こえていた。でも、自分のクラス――7組――に入って戸を閉めると、時が止まったような気がした。まるで教室を描いた絵の中に入りこんだみたいに。
彼女は廊下をゆっくり歩いているはずだ。20分間座っていたので動きたいと言っていた。「頑張ってねー」の声が解放された喜びにはずんでいた。
――今はどの辺かな。
廊下を確認してみたいけど、それでは幽霊が出るチャンスが減るような気がする。……まあ、最初から幽霊に出るつもりがないかも知れないけれど。
こういうとき、音楽でも聴けばいいのだろうが、あいにく俺は音楽に興味がない。スマホのゲームも今はやっていない。今までは部活に友人との付き合いに受験とずっと何かしらやることがあったから、暇な時間のことなど考えたことがなかった。
とりあえず自分の席に座ってスマホを見つめる。SNSでもチェックして暇をつぶそうか。スマホを手に持っていれば、彼女から連絡があったときにすぐに反応できるし。いや、やっぱり警戒を怠るわけにはいかない。
俺の席は廊下から2列目の後ろから2番目。机を一つはさんで斜め後ろに入り口がある。先週、俺が5組をのぞいたときは――。
「う、うわっ!」
ガラスに顔が!
「いったっ……」
くるぶしに強烈な痛み。驚いて立ち上がった拍子にぶつけたのだ。痛みに思わずうずくまりながら、ガラリと戸が開く音と「ごめん!」という声を聞いた。
「びっくりさせるつもりじゃなかったんだよ!」
駆け寄ってきたのは樫村さんだった。ガラスからのぞいていたのは彼女だったのだ。というか、彼女しかいないだろう。いや、幽霊がいるか?
「ごめんごめんごめん。大丈夫? どこが痛いの?」
痛み、驚き、反省、落胆。いろいろなものが頭の中で渦巻く。でも、ここは笑顔だ。
「い、いや、平気。ちょっと当たっただけだから」
「そんなことないよ。痛そうだもん」
そう。痛い。たぶん、机の金属の脚に思い切り当たったのだ。
「大丈夫だよ。もう引いてきたから」
「本当に……?」
すぐ前にひざまずき、俺の顔をのぞき込む彼女。心配をかけていることが非常に申し訳ない。
「ホントに大丈夫だから。もう痛くないし」
平気な証拠に足首を動かしてみせる。ぶつけたくるぶしはまだかなり痛いものの、それ以外は問題ない。歩くことに支障はなさそうだ。痛みも薄れ始めている。
「先週、脅かしちゃったし、これでおあいこだね」
安心してもらえるように軽く言って顔を上げた――ら。
――ち、近い。
彼女が眉間にしわを寄せて俺の顔を凝視している。我慢していないか、表情で確認しようとしているらしい。並んだ机の間にしゃがみ込んでいるのだから、近いのは当然なのだけど……。
「あはは、大丈夫だよ、ほら」
言葉は棒読みだし、下の向き方が少し大袈裟だったかも知れない。でも、ここで顔をあげたら見つめ合うことになってしまう。それは困る。
足を動かしてみせながら、今度は額に汗が噴き出してくる。さっきまでは寒かったのに。鼓動も変に速くて落ち着かない。
樫村さんにドキドキするなんて、あってはならないことだ。彼女と俺は幽霊探しの仲間なんだから。彼女に対して失礼だ。
そう思うのに、もっと近くに寄ったらどうだろう、なんて考えが、打ち消しても打ち消しても浮かんでくる。知り合って数日の相手にそんなことを思うなんて、俺はそれほど女子に飢えているのかな?
「気にしなくていいよ、俺の方がもっと悪かったし。先週、ほったらかして帰っちゃったんだから」
とにかくしゃべり続けよう。気まずい間が空かないように。これ以上、彼女に対して何かを思わないように。
「ちょっと考えれば分かるよね、転んだんだって。なのに助けないで帰っちゃったりして、ホント、ごめん。ダメだよねぇ、俺」
「そんなこと……」
彼女は驚いたように目をぱちぱちさせた。それから小さく微笑んで。
「わたしは面白かったからいいよ」
「面白かった?」
「そう。だって、本物の幽霊を見たのかもって、一晩わくわくしてたんだもん」
そうだった。
「じゃあ、俺だったからがっかりしたんじゃない? それもやっぱり申し訳なかったなあ」
「ううん、それもべつにいいの。尾張くんがどんなひとか気になってたから」
「あ……」
それもそうだった。俺の名前を知っていて……。
「知り合えて満足。幽霊探しに付き合ってもらえてるし」
引っ張られないようにと思っているのに、こんなことを言われたら。
どうしたらいいんだろう。