幽霊を待っいてたなんて、どういうことなんだろう?
話が消化不良のまま教室に戻ると、加賀がにやにやしていた。
「樫村にコクられた?」
「樫村?」
訊き返すと、わざとらしくため息をつかれた。
「今、話してただろ? 廊下で」
「ああ、あの子」
俺の反応に、加賀は「こいつがコクられるわけないか」と脱力した。その納得はちょっと腹立たしいけれど、影の薄い俺だから仕方がない。
「あれ、樫村華乃だろ? 生徒会やってた」
「ん? その名前は聞き覚えがあるけど……」
「名前だけか。まあ、会長以外は顔なんてよく分かんねぇかもな。俺は同じクラスだったから知ってるけど」
「ふうん」
言われてみれば、生徒会をやっていそうな雰囲気だ。表情や話し方が大人びていて。
ふと気付くと、加賀が不満そうな顔をしている。
「めずらしく女子と話が弾んでたのに、相手の名前も聞かなかったのかよ」
「うーん、まあ、人違いだったから」
うん、「人違い」には違いない。間違えたのが「誰かと」じゃなく「何かと」だけど。
「そういうチャンスをモノにできないから、尾張は彼女できないんだよ」
「はは、それは仕方ないよね」
「推薦で大学決まったんだから、少しは楽しいこと考えたら?」
「ああ、それもそうだね、うん」
俺だって彼女がいたら楽しいだろうと思う。でも、誰でもいいわけじゃないから、初対面の相手を彼女候補として考えることはない。名前を訊いたりしたら警戒されそうだし、すでに彼氏がいたら面倒なことになりかねない。
そもそも俺は人見知りが人一倍強くて、慣れた相手じゃないと気楽に話せない。そんな俺はおとなしい男子として認識されているだけで、特別に注目して恋愛感情をいだいてくれるような誰かなどいるはずがない。
もちろん、好きになった子は今までに何人かいた。でも、冴えない自分が誰かの彼氏としてやっていけるとは思えなかったから、打ち明けることもしなかった。そのうちにクラスが変わったり、その子に彼氏ができたりして、俺の中の気持ちも消えていった。それに、彼氏や彼女がいないのはべつにめずらしいことじゃないと今は知っている。
――幽霊を待っていたなんて。
午後の授業の支度をしながら、小さく笑いが漏れてしまう。あのときの挑戦的な表情が妙にはっきりと記憶に残っている。笑えるものなら笑ってみろ、と、あの目は強く言っていた。
――いいなあ。
あんなふうに、自分のやりたいことを貫けるなんてすごくうらやましい。それを他人に堂々と宣言できるところも。それが“幽霊を見ること”だっていうのがますますいい。生徒会に立候補できるようなひとは、やっぱり俺とは違う。
きのうのあの時間に待っていたということは、やっぱり放課後の幽霊のことなのだろうか。
気がかりだったあの影が幽霊じゃなかったと判ってほっとした。そのうえ、彼女の小気味良い発言だ。気分が高揚してくるのも仕方ない。彼女のことが頭から離れない。
彼女も怖いものが好きなのかな。それで、学校に伝わる怪談話を確かめてみようと思ったのだろうか。だとしたら、俺が幽霊じゃないと分かってがっかりしただろうな。
そう言えば、彼女は俺を見たときのことを「びっくりした」と言っていた。「怖かった」とは言わなかった気がする。もしかしたら、目的達成だと思って喜んだのかも知れない。その勢いで箒につまずいてしまったのかも。
俺が幽霊じゃないと分かったからには、再挑戦するのかな? ……うん、あの様子だとあきらめる気はなさそうだ。本当に出るなら俺も見てみたいけど、真似をしたら嫌がられそうだし、ひとりで校舎に残るのはやっぱり気味が悪い。また会えたら首尾を訊いてみたいな。もしかしたら、本物に会った話が聞けるかも知れない。
それにしても、どうしてそんなことを思い付いたんだろう。それも聞いてみたかったな……。
知り合いになった途端に出くわす回数が増える、ということがあるらしい。その日の帰り、彼女に会った。自転車置き場に行くと、ちょうど彼女が自転車を引いて出てくるところだった。
目が合って、同時に「あ」と声をあげ、ちょっと照れ笑い。そして、彼女も受験生だということを思い出した。そんなに毎日、学校に残るわけにはいかないのは当たり前だ。
「今日は用事があるんだけど」
立ち止まって口を開いた彼女に俺は驚いて身構えてしまった。昼休みに言葉を交わしたとはいえ、彼女が俺に話しかけることは二度とないだろうと思っていたから。そんな俺の態度にかまわず、彼女はまたあの挑戦的な微笑みを浮かべた。
「来週、またチャレンジするつもり」
幽霊を見ることだとすぐに分かった。
「来週? 放課後?」
「うん」
うなずいた彼女はちょっと得意気。
「ひとりで怖くないの?」
うらやましいと思う一方、俺はやっぱり気味が悪い。それに、今は暗くなるのも早いし。
「ちょっと怖いけど、いい幽霊だから。それに、一時間くらいで帰るつもりだし」
「え? いい幽霊? それってどういうこと?」
「あれ? 知らない? 放課後の幽霊の話」
「やっぱりそれなんだ? 放課後の幽霊っていうのは知ってるけど、ただ消えちゃうとしか……」
彼女は時計を確認し、顔を上げた。
「ねえ、家はどっち方面? よかったら歩きながら話さない?」
「え、あ……」
予想外の展開だ。俺と一緒に歩くなんて、いいんだろうか? まあ、方向が違っていたらそれで終わりだけど……。
「あっち、北の方。交番の前を抜けて、ずっとまっすぐ」
「じゃあ、途中まで一緒だ。自転車出しておいでよ」
「う、うん」
驚いた。女の子とふたりで帰るなんて小学校――いや、人生初かも。とりあえず、加賀に見られないで済んで助かった気がする。
樫村華乃は初対面から安心できる、数少ない相手だった。話し方や表情、そのほかいろいろな雰囲気には、俺を焦らせたり不安にさせたりするものが何もなかった。多少の遠慮はあるものの、これほど楽な相手は滅多にいない。
「幽霊の話、どんなふうに聞いてる?」
自転車を引いて並んで歩き出すと、彼女が尋ねた。
後ろから「華乃、バイバーイ」と声がして、自転車に乗った女子が追い越して行った。それに手を振って応えた彼女の白いママチャリがバランスを崩し、あわてて支え直したのを見届けてから口を開く。
「俺が聞いたのは、『放課後の幽霊』って言われる幽霊がいて、放課後にひとりでいるときに出てくるって。で、そのまま消えちゃうって」
「ああ、うん、そうね」
彼女はうなずき、「でも」と続けた。
「それだけじゃないの」
「ほかに何かあるの?」
「まあ、幽霊自体はそれで終わりなんだけど」
学校を出るところで、左右を見るために彼女が言葉を止めた。
――だけど?
一緒に道路を確認しながら考える。加賀が言ったように、呪われたりするのだろうか……。
「見ると願いが叶うんだって」
歩き出すと彼女が言った。