「お前、俺に隠してることがあるだろう」
水曜日の朝、教室に入ると加賀がニヤニヤしながらささやいた。
ああ、来たか――と思った。金曜日から毎日、女子と一緒に帰っているわけだから、そろそろ誰かが疑いを持つのではないかと予想はしていた。
「放課後のことかな? 誰かから聞いた?」
心の準備も説明の準備もできている。俺の落ち着いた反応に、加賀は少し戸惑ったようだ。
「ケイタが見かけたって……、お前が女子と帰ってるところを。わざわざ俺たちと時間ずらして」
すぐに気持ちを立て直したらしい。ニヤニヤ笑いが戻って来た。
「誰なんだよ? いつの間に?」
「樫村さんなんだけど……」
「あ! この前、廊下で話してたのはやっぱり――」
「べつに特別な関係ってわけじゃないんだ。一緒に探し物をしてるだけで」
「探し物?」
ここで焦った顔や困った様子を見せてはならない。そして、ウソはなるべく少なく。それが秘密を守るコツだ。
「ちょっと見付けにくいものなんだ。先週、話しかけてきたのはそのことだったんだ。勘違いだったんだけど」
「ああ……」
「俺、受験終わったから、手伝うことにしたんだ。ほら、加賀が言ってたじゃん? 何かすればって」
「そりゃあ、言ったけど……、それだけか? 何か芽生えちゃったりしないの?」
加賀はあくまでも俺と樫村さんの関係を恋愛の方向に持って行きたいらしい。だけど。
「あはは、本当にそういう話じゃないから。金曜日で終わりだし」
「金曜日? 今週の?」
「そう。あさって。それで終わり」
加賀からそれまでの勢いが消えた。すぐに終わると言われ、俺と彼女の関係をさらに追及すべきかどうか迷っているのだろう。その隙に違う話題を持ち出し、話を変える。
――あるわけないんだから。
話しながら微かな空しさが胸にただよう。
樫村さんのように明るくてはきはきしたひととマイナス思考の俺が上手くいくわけがない。今みたいに友達としてなら大丈夫だけれど、恋愛の対象としては俺では足りないだろう。そんな可能性を考えるだけ無駄だ。
だから……、だから放課後の時間が――。
放課後、またしても冷やかしはじめた加賀から逃れて渡り廊下に着くと、彼女は中庭を見下ろしていた。下校や部活に向かう生徒がひと段落したら、俺たちの探索開始だ。
隣に立った俺に、彼女はやわらかい微笑みを向けてくれた。
「わたしね、いろいろ考えてるんだけど……」
「何を?」
「放課後の幽霊の正体」
「正体?」
「そう。いろんな可能性をね」
そこでいたずらっ子のように笑った。
「例えばね、どこかのトイレの個室に『放課後の幽霊』って落書きがあるとか」
「え……、それは嫌だな」
それなら確かに見るのはひとりきりのときに限られる。でも、この伝説がそんなオチでは嫌だ。
「うふふ、だよね? 大丈夫。それだと放課後限定にならないから」
確かにそうだ。よかった。
「あとは、単なる見間違いね。遠くでよく分からなかったとか」
「ああ、先週の俺たちと同じく」
「そうそう。見間違いの可能性はどうしても否定できないんだよね。でも、それはどの幽霊ばなしでも同じだから」
そのとおり。見間違いを考えていたら、幽霊はいないという結論でおしまいになるだけだ。
「そう言えば、幽霊ってどんな格好をしてるのかな? 俺は制服姿を想像してたけど、何か聞いてるの?」
「制服姿ではあるらしいよ。でも、性別ははっきりしないの」
「はっきりしない?」
「そう。歴代の目撃情報は男子も女子もあるの。共通してるのは『確かにいたのに、誰もいなかった』っていうこと」
「こわっ」
背すじに冷たいものが走った。
先週のあの瞬間を思い出す。あれは俺の勘違いだったけれど、教室にいた“誰か”が次の瞬間には消えていた。そう思ったときはほんとうに怖かった。今さらだけど、放課後の幽霊を探すということは、あの体験をもう一度することになるということだ。
「ね? 怖いでしょ?」
そう言う彼女はそれほど怖そうには見えない。さすが、自分から幽霊探しを始めるだけのことはある。
「でも、もっと怖いなと思ったのがね……」
そこで迷うように言葉を止めた。真剣な表情が怖さを増幅させる。胃のあたりが重くなってきた。「いたのにいなかった」よりも怖いこととはいったい……?
「パートナーが幽霊だったらっていうこと」
「パートナー?」
「そう。尾張くんのこと」
――俺?
彼女の瞳がまっすぐに俺に向けられて。
「尾張くんと会うのはいつも放課後ばっかりでしょう? だから、冗談のつもりでちょっと考えてみたの、『幽霊だったりして』って。だけど」
彼女の表情が曇った。
「縁起悪いよね、ごめん。それに、本当に怖くなっちゃった。そんなこと考えなければよかった」
最後はつぶやくような声だった。淋しそうな表情が俺を落ち着かなくさせる。
「あ……ははは、確かに怖いね、それは」
明るく同意しながら、頭の中では赤い光が点滅しはじめている。踏み込んではいけない領域が近くにあるという警告だ。会話の勢いでうっかり境界を踏み越えたら、気まずい空気にたちまち包まれてしまう。ここは気軽な態度でやり過ごさなくては。
「でも大丈夫。ちゃんと足あるから。それに、いつも消えないでずっといるじゃん。昼休みにも会ったし」
「うん。そうだよね」
彼女がうなずく。でも、彼女はまだ笑わない。
「違うって分かってる。でも、怖くなっちゃった。もしも本当は」
「そりゃあ、幽霊と一緒にいたと分かったら怖いよね」
「そうじゃなくて」
静かな口調。見上げた瞳は何かを訴えるよう。――いや、俺の勘違いだ。これはいつもと変わらない彼女。
「尾張くんが消えちゃうのが怖いなって思ったの」
一瞬、息を詰めた。
頼りなげな声に胸がざわめく。視界が不安定に揺れ、警戒していた境界線が足元にせまっていた。
――俺だって、もしも樫村さんが消えちゃったら嫌だよ。
浮かんできたセリフを間髪を入れずに打ち消した。こんなセリフを口にしたら彼女が引いてしまう。俺たちの関係は即終了だ。
「えっと……ありがとう。大丈夫だよ、消えないから」
俺は勘違いなんかしない。確かに俺たちは親しくなったけれど、それは仲間で同志であるという親しさだ。だって、俺たちは知り合ってまだ4日目だ。それに、俺のどこに彼女が惹かれるっていうんだ。
図に乗ってはいけない。彼女は友達としての俺を失いたくないだけだ。ほかのひとに話せないことも話せる、数少ない相手である俺を。それは俺だって同じだ。
「それってなんだか青春映画みたいだね。死んじゃった男の子が思い出の女の子に会いに来て、最後は感動の涙! みたいな」
「……つまり、ありきたりな考えってこと?」
からかい気味に言った俺に、彼女が軽く怒ったような、何とも言えない顔で返した。彼女のひとことで、境界線が速やかに遠ざかっていくことを感じる。これならたぶん、大丈夫だ。
「そういう意味じゃないけど……。ほら、叩いてみていいよ。こんなにしっかりした幽霊、いないと思うよ」
俺が自分の肩や腕を叩いてみせると、彼女の表情がようやく緩んだ。ちらりと俺の顔を見てから、ぽん、と腕に手を置く。続けてばん、ばん、ばん、と、強めに。
「うん。人間」
「でしょ?」
顔を見合わせて同時にニヤッと笑う。
そう。俺たちにはこんな雰囲気がちょうどいいはずだ。