まっすぐな廊下は薄暗く、ずらりと並ぶ教室はしんと静まり返っている。12月というこの時期に、放課後に教室に残っている3年生などいない。

外から聞こえてくる運動部の声はまるで青春のシンボルのよう。俺には過ぎ去ってしまった光に満ちた日々。

歩きながら、電気の消えた教室にちらりと視線を走らせる。戸に嵌ったガラスの奥に見えるのは、窓に切り取られた白っぽい空。その手前に暗い濃淡で浮き上がる机たち。

ふと、足を止めた。視界の隅の小さな動きに。

電気の消えた教室の中。

――鳥の影が映ったのか?

でも、もう少し大きかったような気がする。

確かめる必要はないけれど、足を止めたついでにそっとのぞいてみる。と、奥の方に黒いシルエット。誰かが立っている。見間違いではなかったのだ。

――ひとりで?

ガラスに顔をくっつけるようにしてのぞいてみても、ほかには誰も見えない。

――何してるんだろう?

こちらに背を向けて、並んだ机の間でゆらゆらと動いている。窓からの薄い光にふちどられた制服はスカートだ。

どこか記憶にある動きを繰り返し、少しずつ教室の後方――こちら側に移動している。それにしても、電気も点けずにひとりきりでいるなんて。

と、影がくるりとこちらを向いた。

しまった!……と思ったときには遅かった。向こうも俺に気付いたらしく、ぴたりと動きを止めた。逆光で表情はよく見えないけれど、驚いているのは間違いないだろう。

その胸元に長箒の柄を握っているのは見て取れた。彼女は掃除をしていたのだ。

「ご、ごめん」

もごもごとしたつぶやいたけれど、この距離で閉まった戸をはさんででは聞こえるはずがない。そんなことよりも、さっさと立ち去ればよかったのだ。誰もいない教室にひとりでいる女子をじっと見ている男なんて絶対に怪しい。

そうだ。退散しよう。急いで。

横を向いたと同時に、中からガタン、と音がした。こっちを確かめようと近付いてくるのかも知れない。見られないうちに――いや、出てくるのを待って説明した方がいいかな? 逃げたら余計に怪しくないか? 

迷ったせいで足が出ない。でも、説明してわかってもらえるかどうか……。

――え?

はっとした。ガタガタガタ、のあとに続けてバチン! という大きな音が聞こえて。

反射的に顔を上げ、中をのぞき込む。するとそこは……からっぽの教室。薄暗く、静かな空間が広がっているだけ。

吸い込んだ息がヒュッと音を立てた。

――消えた……?

自分の鼓動と外からの物音が急にはっきり聞こえてきて、この場所の静けさを余計に際立たせる。背中をすうっと冷たいものが走った。そして頭に浮かんできたことばがひとつ。

《放課後の幽霊》。

そっとガラスから離れる。左右に顔を向けても、長い廊下に人影はない。

放課後の幽霊はひとりでいるときに現れると聞いた。ただ現れて、消えてしまう、と。

――さっきのあれ、ラップ音だったりして。 

笑い飛ばそうと思ってひねりだした言葉だったのに、逆にぞわりとした。気味悪さがどんどん高まっていく。こんなところ、早く離れた方がいい。

そうだ。ぐずぐずしてる理由はない。用事は終わったんだから、さっさと帰ろう。

右脚はちゃんと動いた。一歩出し、体の向きを変える。床を蹴ると、思いのほか勢いよく体が飛び出した。

――きっと見間違いだ。

でも、もう確認しようなんて思わない。もつれる足で玄関に向かいながら、明日になったらこの気味悪さが消えていることを祈った。