「よし。じゃあ、だれが一番高くまで飛ばせるか競争だ!」
それぞれが、思い思いの方向に竹トンボを飛ばしはじめる。
ある者のトンボは木の枝に突っ込み、葉陰で休んでいた小鳥をびっくりさせ、ある者のは上まで登らず、石畳の参道にカラリと落ちた。
その中で左之助のトンボは群を抜いてよく飛び、一本杉の脇をすり抜け向こう側へ着地した。
「左之助ちゃんのトンボ、すごいねぇ」
喜一が目を丸くして感心すると、左之助は得意気に鼻をこする。
気をよくした左之助は、喜一に挑むように言った。
「おまえもあれくらい飛ばしてみろよ」
「うん!」
見よう見まねで喜一は、手の中の竹トンボをくるくると回し空に放った。
夏の青空に飛び込むように喜一の竹トンボは登っていく。
くるくると回りながら上を目指して飛ぶ様を、喜一は口をぽかんと開け、眩しい日射しを避けるよう両手でひさしを作って見守る。
トンボは拝殿の屋根の真上で失速し、そのまま落ちた。屋根にぶつかり、カランコロンと乾いた音を立てて転がり落ち、地面に敷かれた砂利で止まる。
それを喜一が慌てて拾いに行き、傷が付いていないかを熱心に確認してから、大事そうに丁寧な手つきで砂を払う。
「けっこう飛んだなぁ」
「うん。左之助のより高く飛んだんじゃねえか?」
「やるなあ、喜一」
仲間たちから受ける生まれて初めての讃辞に、喜一は照れ笑いで応えていた。
それまで自分に向けられていた仲間の関心を、いまは喜一が一身に集めている。左之助はむかっ腹をたて、八つ当たりのように喜一に言った。
「おい、喜一。おれの竹トンボとどっちが高く飛ぶか、勝負しようぜ」
「え? でも、左之助ちゃんのトンボ、よく飛ぶから勝てないよ」
突然の対決の申し出に困り顔の喜一を、左之助がせせら笑う。
「なんだ、負けるのが怖いのか? お坊ちゃんは、尻の穴までちっちゃくてお上品だ」
すると、周りまで調子に乗って口々にからかいだしてしまう。
「へえ、見せてみろよ」
ひとりが着物の裾をめくろうとする。
喜一は必死で前身頃をおさえた。
「やめてよ!」
「まだ襁褓をしているんだろう」
「赤ん坊はお神輿なんてかつげないぞ」
「やーい。弱虫毛虫、意気地なし」
だれかが言い出すと、たちまち合唱がはじまった。
弱虫だの意気地なしだのとはやしたてながら、喜一を囲んで全員でぐるぐると周り追い詰める。
ついさっき、自分の竹トンボを褒めてくれた友達の手のひらを返した言葉の暴力に、喜一の眼が潤みはじめた。固く目をつむり耳をふさいでその場に座りこんでしまう。
そこにいるだれもが、赤子のように大泣きするだろうと予想していた。
けれど喜一は白い手の中のトンボをじいっと見つめ、いまにもこぼれそうなほどに溜まった涙を、ぐいっと袖でぬぐい去った。
「わたしは赤ん坊でも弱虫でもない! いいよ、勝負しよう!」
それまでのどこか頼りなげだった喜一の瞳の奥に静かな炎が灯り、真っ直ぐ左之助を睨んだ。
突然変わった喜一の表情に、左之助は内心で舌打ちを打つ。
いつだってやわらかな笑顔で、左之助の後からゆっくりとついてきていた彼の、初めての反抗だった。
でもここで引き下がっては、次は自分が弱虫の謗りを受ける番だ。戸惑いを気取られないよう腰に手を当て仁王立ちし、精一杯の威嚇をしてみせた。
それでももう、喜一の瞳は揺らがない。左之助を真正面からしっかり見据えていた。
「よ、よし。勝負だ! 負けても泣くなよ」
「もちろん」
迷いのない力強い返事に左之助が一瞬たじろいだが、どうにかして踏み留まる。
「そ、そうだ。ただの勝負じゃつまらないから、なにか賭けよう」
苦し紛れの思いつきに、喜一が首を傾げ不思議そうな顔をした。
「おれが勝ったら……」
左之助が喜一を頭のてっぺんから爪先までを見渡し、その腰に目を留め、一点を指さして宣言する。
「その根付をもらう!」
皆の視線が、喜一の帯に挟まれた小さな巾着のひもの先にある根付に注がれた。
咳止めの薬が入っている袋が落ちないよう付けられた根付は、べっこう飴色をした琥珀である。
左之助が、前に一度じっくりと見せてもらったそれは、中に小さな虫が閉じ込められている珍品だ。
喜一は手のひらに乗せた琥珀を見つめ、眉を寄せて考えている。
おそらくは高価な品なのだろう。怖じ気づいて勝負を断ってくれればいい。そうすれば左之助の不戦勝だ。面目が保てる。
左之助は卑怯にもそう考えていた。
「わかった」
「へっ?」
左之助は、予想外に聞えてきた承諾の返事に、思わず間抜けな声が出て顔を紅くする。
「いいよ、これで。でも、わたしが勝ったらなにがもらえるの?」
言われて、自分の全身をくまなく見渡すが、琥珀に見合うような物はなにひとつ持っていないのは一目瞭然だった。
うーんと腕を組んで考える。
ふと、左之助の頭の中に良案が閃いた。
「もしおまえが勝ったら、今度の祭りで子ども神輿の一番前をかつがせてやる!」
「ええーっ!?」
その提案にほかの一同から抗議の声があがる。
神輿の先頭の担ぎ手は、言わば祭りの花形。毎年、子どもたちの間で熾烈な場所取り争いが起こるほど人気があるのだ。
「大丈夫だよ、おれが勝つからさ」
それに万が一負けたとしても、左之助の懐は全く痛まない。ずるい考えが頭の中を横切っていく。
「じゃあ、いいか? あの一本杉を越せるかで勝ち負けを決めるぞ」
自分はさっき、余裕で越えたばかりだ。今度も大丈夫なはずだと、ドキドキする胸に言い聞かせる。
喜一はうなずいて、手のひらでくるくるとトンボを回す練習を始めていた。
それを何回か繰り返すと、そびえ立つ一本杉のてっぺんを見上げ、静かに言った。
「いいよ。受けて立つ」
二人は両手のひらに竹トンボの軸を挟み、少しでも有利になるようにと高く掲げる。
仲間が固唾を呑んで見守る中、どちらともなく声が出た。
「いっせいのせっ!」
それぞれが、思い思いの方向に竹トンボを飛ばしはじめる。
ある者のトンボは木の枝に突っ込み、葉陰で休んでいた小鳥をびっくりさせ、ある者のは上まで登らず、石畳の参道にカラリと落ちた。
その中で左之助のトンボは群を抜いてよく飛び、一本杉の脇をすり抜け向こう側へ着地した。
「左之助ちゃんのトンボ、すごいねぇ」
喜一が目を丸くして感心すると、左之助は得意気に鼻をこする。
気をよくした左之助は、喜一に挑むように言った。
「おまえもあれくらい飛ばしてみろよ」
「うん!」
見よう見まねで喜一は、手の中の竹トンボをくるくると回し空に放った。
夏の青空に飛び込むように喜一の竹トンボは登っていく。
くるくると回りながら上を目指して飛ぶ様を、喜一は口をぽかんと開け、眩しい日射しを避けるよう両手でひさしを作って見守る。
トンボは拝殿の屋根の真上で失速し、そのまま落ちた。屋根にぶつかり、カランコロンと乾いた音を立てて転がり落ち、地面に敷かれた砂利で止まる。
それを喜一が慌てて拾いに行き、傷が付いていないかを熱心に確認してから、大事そうに丁寧な手つきで砂を払う。
「けっこう飛んだなぁ」
「うん。左之助のより高く飛んだんじゃねえか?」
「やるなあ、喜一」
仲間たちから受ける生まれて初めての讃辞に、喜一は照れ笑いで応えていた。
それまで自分に向けられていた仲間の関心を、いまは喜一が一身に集めている。左之助はむかっ腹をたて、八つ当たりのように喜一に言った。
「おい、喜一。おれの竹トンボとどっちが高く飛ぶか、勝負しようぜ」
「え? でも、左之助ちゃんのトンボ、よく飛ぶから勝てないよ」
突然の対決の申し出に困り顔の喜一を、左之助がせせら笑う。
「なんだ、負けるのが怖いのか? お坊ちゃんは、尻の穴までちっちゃくてお上品だ」
すると、周りまで調子に乗って口々にからかいだしてしまう。
「へえ、見せてみろよ」
ひとりが着物の裾をめくろうとする。
喜一は必死で前身頃をおさえた。
「やめてよ!」
「まだ襁褓をしているんだろう」
「赤ん坊はお神輿なんてかつげないぞ」
「やーい。弱虫毛虫、意気地なし」
だれかが言い出すと、たちまち合唱がはじまった。
弱虫だの意気地なしだのとはやしたてながら、喜一を囲んで全員でぐるぐると周り追い詰める。
ついさっき、自分の竹トンボを褒めてくれた友達の手のひらを返した言葉の暴力に、喜一の眼が潤みはじめた。固く目をつむり耳をふさいでその場に座りこんでしまう。
そこにいるだれもが、赤子のように大泣きするだろうと予想していた。
けれど喜一は白い手の中のトンボをじいっと見つめ、いまにもこぼれそうなほどに溜まった涙を、ぐいっと袖でぬぐい去った。
「わたしは赤ん坊でも弱虫でもない! いいよ、勝負しよう!」
それまでのどこか頼りなげだった喜一の瞳の奥に静かな炎が灯り、真っ直ぐ左之助を睨んだ。
突然変わった喜一の表情に、左之助は内心で舌打ちを打つ。
いつだってやわらかな笑顔で、左之助の後からゆっくりとついてきていた彼の、初めての反抗だった。
でもここで引き下がっては、次は自分が弱虫の謗りを受ける番だ。戸惑いを気取られないよう腰に手を当て仁王立ちし、精一杯の威嚇をしてみせた。
それでももう、喜一の瞳は揺らがない。左之助を真正面からしっかり見据えていた。
「よ、よし。勝負だ! 負けても泣くなよ」
「もちろん」
迷いのない力強い返事に左之助が一瞬たじろいだが、どうにかして踏み留まる。
「そ、そうだ。ただの勝負じゃつまらないから、なにか賭けよう」
苦し紛れの思いつきに、喜一が首を傾げ不思議そうな顔をした。
「おれが勝ったら……」
左之助が喜一を頭のてっぺんから爪先までを見渡し、その腰に目を留め、一点を指さして宣言する。
「その根付をもらう!」
皆の視線が、喜一の帯に挟まれた小さな巾着のひもの先にある根付に注がれた。
咳止めの薬が入っている袋が落ちないよう付けられた根付は、べっこう飴色をした琥珀である。
左之助が、前に一度じっくりと見せてもらったそれは、中に小さな虫が閉じ込められている珍品だ。
喜一は手のひらに乗せた琥珀を見つめ、眉を寄せて考えている。
おそらくは高価な品なのだろう。怖じ気づいて勝負を断ってくれればいい。そうすれば左之助の不戦勝だ。面目が保てる。
左之助は卑怯にもそう考えていた。
「わかった」
「へっ?」
左之助は、予想外に聞えてきた承諾の返事に、思わず間抜けな声が出て顔を紅くする。
「いいよ、これで。でも、わたしが勝ったらなにがもらえるの?」
言われて、自分の全身をくまなく見渡すが、琥珀に見合うような物はなにひとつ持っていないのは一目瞭然だった。
うーんと腕を組んで考える。
ふと、左之助の頭の中に良案が閃いた。
「もしおまえが勝ったら、今度の祭りで子ども神輿の一番前をかつがせてやる!」
「ええーっ!?」
その提案にほかの一同から抗議の声があがる。
神輿の先頭の担ぎ手は、言わば祭りの花形。毎年、子どもたちの間で熾烈な場所取り争いが起こるほど人気があるのだ。
「大丈夫だよ、おれが勝つからさ」
それに万が一負けたとしても、左之助の懐は全く痛まない。ずるい考えが頭の中を横切っていく。
「じゃあ、いいか? あの一本杉を越せるかで勝ち負けを決めるぞ」
自分はさっき、余裕で越えたばかりだ。今度も大丈夫なはずだと、ドキドキする胸に言い聞かせる。
喜一はうなずいて、手のひらでくるくるとトンボを回す練習を始めていた。
それを何回か繰り返すと、そびえ立つ一本杉のてっぺんを見上げ、静かに言った。
「いいよ。受けて立つ」
二人は両手のひらに竹トンボの軸を挟み、少しでも有利になるようにと高く掲げる。
仲間が固唾を呑んで見守る中、どちらともなく声が出た。
「いっせいのせっ!」