橙色の夕陽が参道に、長い影をおとす。
 一本杉に、カラスの親が帰ってきて、子どもたちと寝支度をはじめていた。

 拝殿の前で、前掛け姿の娘が懐から出した縮緬のがま口を開けた。硬貨を一枚つまんで賽銭箱の上まで持ってきたが、ふと手を止めて財布に戻し、違う硬貨と交換する。
 それを何回か繰り返していたかと思うと、がま口をひっくり返し、その中身を全て賽銭箱へ落とした。
 聞き耳を立てていたあかねは、奮発したなとほくそ笑む。

 鈴の音と柏手が、夕暮れの境内に響いた。
 あかねはのっそりと立ち上がって本殿を出ると、手を合わせている娘の前に座る。
 顔を上げた娘は、突然目の前に現れた白狐を見て息を呑んだ。

「お狐さまでいらっしゃいますか?」

 娘が声を震わせた。
 あかねは扇のように背中に広げた尻尾をゆらゆらとさせながら、鷹揚に肯く。

「松乃屋の澄江よのぅ? 大きゅうなったな」
「あたしのこと、知っているのですか?」
「七つ参りのときに妾と話したのを、覚えてはおらぬか。まぁ、それも仕方なかろう」

 あかねは少し寂しそうに笑った。

 人の子は七つまでは神の領域にある。守狐であるあかねと等しき存在だ。
 だがそれをすぎれば、たいていの者は日々の暮らしの中で、不可思議な存在は置いてきてしまうものだ。

 澄江は、必死に古い記憶をたぐり寄せてみる。
 父母と訪れた七つ参り。一本杉の陰から白い手に呼ばれた澄江は、禰宜と話しこんでいる両親から離れた。

「――ここでよく遊んだ女の子に会って」

 あかねの尻尾が嬉しそうに揺れる。

「もう遊べなくなるからって。たしか名前は……あかねちゃん?」

 あかねの狐目が、緩やかな弧を描いた。

「ほぅ。覚えておったとは」
「あかねちゃんは、お狐さまだったのね」

 澄江は驚きと懐かしさとが入り交じり、両手で口を押さえた。

「昔話もよいが、いまはそなたの願い事じゃ」

 あかねの瞳孔がすっと細められ、澄江も神妙にかしこまった。

「聞き届けてはいただけませんか」
「なれどそれで、そなたはかまわぬのか?」

 澄江の瞳がほんの一瞬だけわずかに揺らいだが、すぐさま迷いを振り払い、強い意思を返す。

「はい。それが一番良いのです」

 彼女の決意があかねにしっかり届き、そこに込められた想いにふぅと息を吐く。

「ようわかった。ならば――」

 あかねの言葉を、澄江はじっと聞き入った。