「なにから話せばいいのかしら」
目を伏せながら涙を拭うと、お絹は小さくい呼吸を整えるように息を吐いた。
「大きくなってサトリ様のところで働くようになったのだけど、私は厳格な父や優しいサトリ様に反抗したかったのかしらね。仕事が終わると夜遊びに出るようになったの」
(あの夜の街にお絹はでていたのね。そうだもしかして……)
「もしかして大黒屋?」
「ええ。どうしてわかったの?」
言い当てられて驚いたのか、お絹はキョトんとした表情をした。
「そこで弥勒にあって、サトリ様の反対も聞かずに現世に行くことにしてしまったの。騙されているとも知らずに」
涙は止まったが、心底後悔をしている様子のお絹は視線をさまよわせた。
やはり……あそこでに弥勒は一颯の命で妖都や現世などと偽って、あやかしさらいをしていたのだと惟子は確信を持った。
しかし、それは何のために……。
そこまで思ったところで、またもや何かの気配がした。
そこにはとてつもなく美しく、髪の長い色白の男が立っていた。
しかしそこにはまったくと言っていいほど表情はなく、ただ惟子をジッとみていた。
その何とも言い表せない不気味さに、惟子は無意識に後ずさるがすぐに牢の石の壁にぶつかった。
「暁」
後ろから聞こえた、聞き覚えのある低音の声に惟子はゾクリと肌が粟立つ。
「一颯様」
すっと頭を下げると、暁は一颯に牢の前の場所を譲る。
「お前は誰だ?」
今までよりさらに恐ろしい声音と、その問いに惟子は動きを止めた。
「もう一度問う。お前は誰だ?」
はっきりとお絹ではなく自分に向けられた視線に、惟子はお絹と名乗り偽っていたことが知られていることに気づいた。
そして、ここにお絹がいる以上名乗る名前はない。
「私は……」
言い淀む惟子に、一颯は少しだけ笑みを浮かべたように見えた。
「まあ、いい。どうであれお前たちは生贄になるのだからな。所詮お前はここのお絹を助けにきたサトリのところの人間だろう」
サトリの嫁であることはどうやらわかっていないような様子に、惟子は少しだけ気持ちを落ち着けることが出来た。
「生贄ですって?」
その言葉に一颯は今度こそ口に弧を描き笑い声をあげた。
「そうだ。まあ、どうせ死んで行く身だ。教えてやろう。教えてその時まで怯えることで、更に妖力があがることだろうし……」
一人で納得したように一颯は言うと、言葉を続けた。
「そうだこの〝下”は黒蓮様が完全になるための場所だ。絶対的な王となるためのな。そのためには妖力が必要になる」
「そのためにこうしてあやかし達をさらってるの?」
グッと唇を噛んで聞いた惟子に、一颯はあざ笑うように惟子を見た。
「あたりまえだろ。サトリも探っていたようだが……ここは絶対的な聖域で結界が張ってある。たどり着くまでに息絶えるだろう」
その言葉に惟子はカッと頭に血が上るのがわかった。
「あんたたちなんかに!」
そう言いかけたところで、横にいたお絹が大声を上げた。
「バカ言わないで。サトリ様が死ぬわけなんてないでしょ!あんたたちなんかに負けるもんですか!」
「きゃ!」
涙を流しながら言ったお絹だったが、一瞬にして強い衝撃が空気を伝わり壁へと打ち付けられた。
「お絹!大丈夫!」
意識が朦朧としているのだろう、視線をさまよわせるお絹を惟子は抱き起した。
「いらぬことを言うと早死にすることになるぞ」
怒気を含んだ一颯の言葉に惟子は何も言うことも、視線を外すこともできなかった。
「せいぜいその時まで祈りでもささげることだな。暁、弱らせては妖力が減る。後は任せた」
そう言い、妖艶な雰囲気を纏った一颯は、するりと白い暁の頬を撫で上げると身をひるがえしこの場から去っていった。
「あまりいらぬことを言わない方が身のためだ」
今までほとんど何も言うことがなかった暁が、抑揚なく言葉を発した。
そんな暁を惟子はキッと睨みつけたが、お絹に視線を戻した。
「お絹大丈夫!ねえ。お絹」
「ええ」
頭を振りながら身体をおこしたお絹にホッとして、胸をなで下ろした。
「生贄になる日まではきちんと体調を整えろ」
静かな抑揚のない声に、惟子も感情を押し殺して問いかけた。
「どうやってよ。こんなに何もないところでどうすればいいのよ」
「食事ぐらいもってくる。それで十分だろ」
一ミリも表情を変えることなく言う暁を、惟子はジッと見据えた。
「あなた……暁っていうの?」
その問いに暁が答えることはなかったが、なんの感情も持たないこの男に何かを感じた。
「食事は……オムライスがいいわ」
その言葉に暁が一瞬だけ表情を固まらせたのがわかった。
「……そんなものは知らない」
「そう、私の友達から聞いたのよ。とてもおいしい食べ物だって」
静かに言った惟子のその言葉に、暁は答えることなく惟子に背を向けた。