それから、よくも悪くも数日、なんの情報を得ることもできず惟子は厨房にいた。
(このままじゃラチが開かないわ……)
今日も何匹か魚を捌いたため、匂いがついた手を何度か洗いながら、惟子は流れ落ちる水を見てため息を付いた。
「お絹! お絹!」
「呼ばれてるぞ」
隣から同僚に声を掛けられ、惟子は我に返った。
「料理長どうかした……」
「お呼びだ! 一颯様がお呼びだ!」
普段無口で慌てることなどない料理長が、汗を流しながら惟子の方へと走って来る。
それほど一颯からお呼びがかかると言うことは、異例のことなのだろう。
「どうしてかしら?」
惟子としては一颯に会えるのはまたとないチャンスだ。動揺しないように努めて冷静に尋ねた。
「美味しい魚料理のお礼がしたいとのことだ」
(そんなことあるのかしら)
疑う気持ちももちろんあったが、何も進展がないままここにいるよりはいいだろう。
「どこへ行けばいいの?」
「こっちだ」
早くしろと言わんばかりに、料理長はすでに一番手前の扉の前で惟子を手招きしている。
小さく息を吐くと、惟子は小走りに料理長のもとへと向かった。
広間から続く一番奥の大きな扉を開けると、そこはさらに広間があり階段があった。
(どうなってるの? この場所)
そう思ったところで、階段を下りてくる人影が目に入った。
「弥勒様、九蘭様」
そう言ったと思えば、料理長は床に座り頭を下げていた。
「お絹、お前もだ」
その言葉に、惟子も座ろうとしたところで九蘭が声を発した。
「いいのよ。久しぶりね。お絹」
今日も妖艶な雰囲気を存分に漂わせ、真っ赤な唇が声を描いた。
「お久しぶりです」
あの時は知らなかったが、ここでは二人には敬語を使わなければいけない身分だと知った今、惟子は深く頭を下げた。
「一颯様がお待ちよ。こちらへ。料理長はここでいいわ」
その言葉を聞くと、料理長はそそくさと階段を下りて行った。
そんな料理長に小さくお礼を言うと、惟子は二人の後に続いた。
「迷子になりそうだわ」
「侵入者を入れたいために入り組んでるからな」
小さく言った言葉だったが、弥勒に聞こえていたようで機嫌のよさそうな声が聞こえた。
今日も相変わらずご機嫌のようだ。
「侵入者なんているの?」
「そりゃあ、いるだろう。現にこの前も……」
「弥勒様!」
その言葉制するように、九蘭がジロリと弥勒をにらみつけた。
(侵入者……)
どうやら弥勒はお調子者で、余計なことをいってしまうのだろう。
慌てて口を手で抑えると、咳ばらいをする。
「なんでもない。早く来い。たがが料理人に一颯様がお会いするなど滅多にないことだからな!」
背を逸らせ威厳を保つように言うと、金色に輝く扉の前で止まった。