「おい、娘! 娘!」
汗なのか油なのかわからない液体を振りまきながら、ガマ蛙は惟子めがけて突進してきた。
慌てて惟子はガマ蛙を避けると、急ブレーキをかけた蛙がコロリと一回転した。

「あら……」
もちろん自分がその体を受け止める気はなかったが、あまりにも派手に転がったガマ蛙に惟子は申し訳なくなる。

そして娘と呼ばれていたのは、やはり自分のことだと気づいた。
「あの。なにか……」
恥ずかしかったのか、真っ赤な顔をしながら体制をたてなおしたガマ蛙は、コホンと咳ばらいをすると惟子を見据えた。

「弥勒様がお呼びだ」
「え?」
言っている意味が解らず、惟子はきょとんとして問いかける。

「だから、弥勒様がお呼びだ! 早く行け!」
最後はどなるように言われ、惟子は慌ててくるりと踵を返した。

(料理ダメだったかしら……)

少し不安になりつつ、弥勒のいる部屋の襖の前で一息つく。

「入ります」
そう声を掛けて襖を開けると、先ほどとは打って変わって機嫌よく酒を飲む男が目に入った。

「ああ、お前か。この料理をつくったのは」
意外にもしゅっとした顔立ちの男は、両隣にいる綺麗な猫娘たちの「弥勒様、もっと飲んで」という甘い声に、「おっとっと」などとデレデレしながら飲んでいる。
呼ばれた名前からその男が、先ほどの弥勒だと分かり、惟子はその顔をまじまじと見てしまった。
しかしそんな事など全く気にしていないのだろう、弥勒は惟子をみた。

「美味かった。特にこの野菜と一緒のやつだな」
南蛮漬けという料理がないのだろう、弥勒はうまそうにアジを口に入れて咀嚼する。
怒ったり気が高ぶると、きっとあやかしは変化するのだろう。そんなことを改めて認識しながら惟子は弥勒の言葉の続きを待った。

「お前名はなんという?」
「お絹と申します」
ここにきて新しく得た名前をすらりと言った自分に少し驚きつつも、惟子は頭を下げた。

「お絹か。良い名だな」
酔いも手伝ってかご機嫌な様子の弥勒は、隣の女の子たちにも料理を進めながら、大量に酒を飲んでいる。
見たからに顔は赤く、酔っぱらっているのだろう。

「お気に召していただき光栄です。弥勒様にこれからもたくさんの料理を召し上がっていただきたいですが……」
そう言って惟子は少し表情を曇らせて見せた。

「どうした?」
「私は臨時の身。もう二度と弥勒様にお会いできないですね」
わざとらしく言うと、ガマ蛙が何かを言おうとしたが、それより早く弥勒
声を上げた。